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頭に包帯巻いた男児「世界レベルで見てくれている人がいた」、記録映画に映る竹本さんの感慨

産経ニュース / 2024年10月11日 20時47分

ノルウェーのノーベル賞委員会は11日、2024年のノーベル平和賞を日本全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協、東京)に授与すると発表した。3歳の時に広島で被爆した竹本秀雄さん(82)=広島県呉市倉橋町=は「長年、平和活動をしてきた人たちがやっと報われたというか。世界レベルで、平和運動を見てくれている人がいたということだと思う」と感慨深げに話した。

被爆直後、頭に包帯を巻いた幼い男児を背負って歩く一人の少年。ある記録映画に収められた一場面は見る者多くの胸を締め付けた。その幼児は当時3歳だった竹本さんだ。

竹本さんは昭和20年8月6日、爆心地から約1キロの自宅で被爆した。学徒動員中だった姉の1人を亡くし、自身は倒壊した家の下敷きになり、ほお骨が見えるほどの深い傷を負った。顔には今もケロイドが残る。竹本さんをがれきから見つけ、助けてくれたのが当時11歳の兄、定男さん(23歳で死去)だった。竹本さんを背負っていた少年だ。

終戦後に東京に出張していた竹本さんの長姉の夫が、たまたま訪れた映画館で記録映画に写りこんでいた竹本さん兄弟に気づいた。映写技師に頼み込むと、3コマの小さなフィルムを切り取って渡してくれたという。

そのフィルムに映っているのが、被爆直後の廃虚の中を表情ゆがめながら歩く定男さんと、3歳の竹本さんだった。

竹本さんに被爆の記憶はほとんどないが、姉を亡くし、小学校時代には「ピカドン」というあだ名もつけられた。

「原爆の日」が近づくと、テレビではこの記録映画の一場面がたびたび放映されたが、竹本さんはフィルムに映る少年が自分だということをごく親しい人以外には明かすことはなかった。「黙っていたのではない。言えなかった」と振り返る。

初めて自身の体験を証言したのは、2年前の原爆展でのこと。実行委員をしていた50年以上の付き合いになる親友から展示の1年前に依頼され、時間の余裕があったことが大きかった。ずっと気持ちに寄り添ってくれていた親友の頼みに応えたい気持ちもあったという。

今でも被団協の関連で東広島市で語りを続けている竹本さん。来年の戦後80年を前に先日はイギリスの公共放送BBCからも取材を受けた。「少しずつ手応えを感じている」。ようやく世界へ声が届き始めた。

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