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武田国男氏死去、武田薬品工業の元社長 創業家の看板背にグローバル企業に改革

産経ニュース / 2024年6月17日 16時30分

元武田薬品工業社長の武田国男(たけだ・くにお)さんが8日に死去したことが分かった。84歳だった。武田薬品が17日発表した。

武田薬品工業の社内パーティー会場。若き日の武田國男氏は、一人で瓶ビールをラッパ飲みしていたという。周囲には誰も近づかなかった。本人は「武田家のおちこぼれの窓際」で、分家、独立せず親の家にとどまる「部屋住み」のような存在だったと当時を振り返っていた。

武田薬品は代々、長兵衛を名乗る武田家当主がトップを務めてきた。三男の國男氏は入社後しばらく食品部門など傍流を歩いた。仕事よりも遊び優先。そのとき磨いたゴルフの腕は「プロ並み」と周囲が口をそろえるほどだ。

しかし、昭和55年に長兄の彰郎氏と父の六代目長兵衛氏が相次いで死去。武田家以外から社長が起用されたが、社長、会長を歴任した小西新兵衛氏(故人)が國男氏に目をかけ抜擢したことが転機となった。派遣された米国の合弁会社で、幹部の猛反対を押し切って後の武田薬品飛躍のきっかけとなった前立腺がん治療薬「リュープリン」の投入を決断、成功を納めた。

武田薬品の社長に就いたとき「大政奉還」と揶揄されたが、長兵衛を名乗らず、それまでの武田薬品を否定するかのような改革に乗り出した。多角経営に見切りを付け医薬品以外の事業を次々と売却、組織を大幅にリストラし、年功序列だった人事には成果主義を持ち込んだ。「ぬるま湯につかった武田」を変えるため迷いはなかったという。

傍流を歩んだ結果、OBや幹部らとの「しがらみがなかったからできた」と、社外から招かれたトップであるかのような口ぶりだった。しかし、あるOBは「武田家出身というだけで発言に重みが出る。創業家の看板がなければ改革は推し進められなかった」と、社内に残る古い体質をテコに使うという、したたかさがあったと指摘する。

武田家と武田薬品に対する複雑な思いを抑えつけるかのように、思考は冷ややかなほど合理的だった。半面、海外で武田製品の営業を担当する企業関係者を招いたパーティーでは、大名の扮装をしておどけてみせるなど豊かなサービス精神も持ち合わせていた。

武田はその後、平成31年1月に、欧州の同業シャイアーを6兆円超を投じて買収。グローバル市場でも存在感を示している。

武田氏は傍流から一気に駆け上がり、そのグローバル企業としての礎を築いた。そんな道中の苦労話も大阪弁で軽やかに語ってみせるところに、この人の魅力があった。(粂博之)

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