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不屈ラガーマン有終 「運命のタックル」、がん乗り越え 最初で最後の公式戦、兄弟対決

産経ニュース / 2024年6月12日 12時50分

5月下旬に3季目の幕を閉じたラグビー・リーグワン。シーズンを特別な思いで終えた選手がいる。がんと闘い続け最初で最後の公式戦出場を実現。念願の兄弟対決も果たした。相手選手に半身不随の大けがをさせることになった「運命のタックル」など心身にふりかかった厳しい試練を乗り越え、静かにユニホームを脱いだ。

5月5日、花園ラグビー場(大阪府東大阪市)。後半21分、三菱重工相模原ダイナボアーズのフランカー、田中伸弥選手(28)=大阪市出身=がグラウンドに入った。花園近鉄ライナーズ相手に、得意のタックルを繰り返した。

「きょうはフィナーレ。この試合に出ようと思って、必死に頑張ってきた」。相模原に入り5シーズン目となる今季の最終戦で初めてつかんだ公式戦出場への思いを語った。

近畿大4年生だった平成29年、胸部にがんが見つかった。医師から生存率50%と伝えられる。「生きてもう一回普通の生活に戻りたい」。大学時代から相模原入団後まで幾度の手術を受け、治療を続けた。リハビリなどを繰り返し、体を鍛え直した。

心の支えになったのは、花園に所属する兄、健太選手(30)と対戦するという目標だ。昨季に観戦した試合で「お兄ちゃんがベンチから飛び跳ねてチームメートと喜んでいるのを見て、もう一度ラグビーをやりたいと思った」。

今季の日程が決まった際、最終戦の相手が花園であるのを見て、この試合への出場のため全力で練習に取り組んだ。そして念願の兄弟対決が実現。兄はその後途中交代したが、田中選手は約20分間グラウンドを走り回り、勝利に貢献した。

試合後、田中選手は兄と固い握手を交わし「もう一度ラグビーをやりたいという思いは、家族が支えになった」と感謝。初出場した公式戦を「ワンキャップ(1試合の出場)の重みが感じられ、大声援にすごく体が震えるような舞台だった」と振り返った。

兄の健太選手は「弟が絶望感を味わっているところを全部見てきた」。グラウンドに立った弟の姿を見て「スタンドがわいて自分も誇らしかった」と目を細めた。

田中選手を起用したグレン・ディレーニーヘッドコーチも「ラグビーより大事なものがいっぱいあることをわからせてくれた」と語った。ラグビーの聖地・花園では、田中選手の引退を知らせるアナウンスが流れた。

スタンドから熱視線

スタンドにも、田中選手の引退試合を特別な思いで見つめた選手がいた。島津製作所のラグビーチームに所属する中川将弥選手(28)。2人の関係は7年前、平成29年11月の関西大学ラグビーリーグ戦にさかのぼる。

京都産業大でプレーしていた中川選手。近大の田中選手のタックルを受けて頸椎を損傷し、半身不随になった。田中選手にがんが見つかったのはその約2週間後。のちに「運命のタックル」と呼ばれた。

「再びラグビーをしたい」。けがや病に倒れた〝因縁〟の2人は、やがて励まし合うようになる。「みんなに勇気を与えられる存在になろう」。2年前には近大の特別講義の講師として2人そろって登壇もした。

スタンドから田中選手の活躍を見た中川選手は「がんに向き合い、ラグビーに向き合ってきたシンヤ(田中選手)を尊敬する。これからも切磋琢磨(せっさたくま)していきたい」とコメントした。

約20分の現役最後の試合を終えた田中選手。引退後について「いったん自分を見つめなおし、何がしたいかをもう一度考えたい」と語った。好きな言葉は「不撓不屈(ふとうふくつ)」。その言葉通り、今後も屈せず挑戦を続けるつもりだ。(西川博明、写真も)

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