鳥羽伏見の戦い 武家政権の確立と終焉に因縁の地 京都・城南宮 誠の足跡 新選組を行く
産経ニュース / 2025年1月21日 10時30分
慶応4(1868)年の鳥羽伏見の戦いは、約260年の徳川幕府の時代に終わりを告げ、明治維新に向かう戊辰(ぼしん)戦争の初戦となった。朝廷とともに「錦の御旗(みはた)(錦旗(きんき))」を掲げる新政府軍に対し、反乱軍として追い詰められていく旧幕府側。新国家建設のため、日本は激動の時代を迎えた。
JR京都駅の南4キロにある城南宮。方除(ほうよけ)の大社、梅の名所として知られる境内の西側に、文久元(1861)年建立の石造りの鳥居がたたずむ。「鳥羽の戦いを目撃していたはず」。同行する幕末維新史研究家、木村幸比古さん(76)が鳥居を見上げて語る。
鳥居に面した国道1号を隔てて鴨川まで続く城南宮道は、幕末当時は城南宮の長い参道の一部だった。慶応4年1月3日、新政府軍はこの参道に大砲4門を据え、鳥羽街道を北上してきた旧幕府軍と対峙(たいじ)。新政府軍は、当時は参道の西側にかかっていた小枝橋を旧幕府軍に渡らせまいとした。同日夕、橋付近で新政府軍の薩摩兵が挑発のために撃った1発で戦いの幕は上がる。
木村さんによると、間もなく鳥羽の南東3キロにある伏見でも開戦。伏見奉行所に詰めていた新選組も参戦した。「幕府側にとって再興をかけた戦いであり、新政府側には討幕の絶好の機会となった」と指摘する。
<鳥羽一発の砲声は、百万の味方を得たるよりも嬉しかりし>。城南宮の北3キロにあった東寺で状況を見守っていた新政府軍の西郷隆盛はこう喜んだという。
城南宮に残る記憶
「城南宮は新政府軍寄りだったわけではなく、戦略上の要衝だったため陣が置かれたようです」。城南宮の29代宮司である鳥羽重宏さん(59)が説明する。
延暦13(794)年の平安京遷都に際して創建された城南宮で、鳥羽家は室町時代から代々宮司を務めてきた。鳥羽の戦いを巡っては、当時10歳だった25代宮司による記録が残る。
「これから戦が始まるから女子供は逃げろ」
1月3日、城南宮に突然訪れた薩摩兵らはこう告げた後「しばらく座敷で休ませてもらう」と、土足で屋敷に上がり込んできた。いつ戦が起こるかわからない緊張感が漂っていたという。
この屋敷は社務所に隣接し、現在は貴賓館と呼ばれているが、当時は鳥羽家の母屋だった。鳥羽さんは「もう、わかりませんが、柱に弾の傷があったと聞いています。ご神体を避難させたものの、境内はほとんど無傷だったそうです」と明かす。
錦旗と縁のある地
翌4日、戦況は大きな転機を迎える。明治天皇から仁和寺宮嘉彰親王が征討大将軍に任命されて新政府軍を率い、その後錦旗がひるがえった。新政府軍は「官軍」と称され、旧幕府軍は錦旗に銃を向けたとして「賊軍」のレッテルをはられる。
城南宮近くに位置する鳥羽離宮跡公園。平安後期、城南宮を取り囲むように造営され、院政の拠点となった広大な鳥羽離宮の一画だ。離宮の鎮守社として城南宮では流鏑馬(やぶさめ)や競馬(くらべうま)も行われたという。承久3(1221)年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府追討のため挙兵した承久の乱で、上皇は離宮で行う流鏑馬の武者揃えと称して兵を集め、錦旗を持たせた。これが錦旗の始まりともされる。
鳥羽さんは感慨深げに語る。「当時から600年あまり後、再び錦旗が鳥羽の地を進んだ。武家政権の確立と終焉(しゅうえん)、いずれにも縁のある地になっていることはすごい巡り合わせだと思っています」
戦絵巻 デジタルで色鮮やかに
寒風が吹く田んぼ、冬枯れのススキが目の前に広がり、カラスの鳴き声や馬のいななきとともに砲声が近づき、人々が戦いを繰り広げる-。仮想現実(VR)の技術を使って入り込んだ鳥羽伏見の戦いの舞台は、想像以上に臨場感にあふれていた。
令和4年にこの試みに取り組んだのは、コンテンツ制作会社「アートリサーチ」(京都市西京区)。文化財の絵巻や絵画などを最新技術で撮影し、高精細なデジタル画像に再現するベンチャーだ。
同社がデジタル化した鳥羽伏見の戦いの舞台は、「戊辰戦争絵巻」が原本。社長の赤坂輝実さん(56)は「仁和寺で宝物をデジタル化している中で、絵巻と出合って『色があったらな』と思ったのがきっかけです」と振り返る。
上下巻からなる同絵巻(各幅0・3メートル、長さ20メートル)は明治22(1889)年制作。モノクロの木版画で鳥羽伏見の戦いなど計39場面が描かれている。
同社は令和2年、絵巻を撮影したデジタル画像に当時の資料などを参考にして彩色。「令和版」絵巻として仁和寺に奉納した。3年には描かれた人などが動く十数分の映像を制作した。
絵巻などの文化財を高精細のデジタル画像にすることで、原本を保護できるだけでなく、画像を拡大し細部まで鮮明に見ることができるという。赤坂さんは「デジタルで正確な情報を残すことで、歴史や先人の思いを伝承できる」と強調している。(池田祥子)
鳥羽伏見の戦い
慶応3(1867)年10月の大政奉還、12月の王政復古の大号令で天皇を中心とする明治政府が樹立した後、徳川家の官位剝奪と領地返納を強行採決した薩摩、長州の両藩に対し旧幕府側が1万5千人で挙兵。大坂から京に進攻し、両藩兵ら新政府軍5千人が迎え撃った。翌4年1月3日、鳥羽と伏見で衝突したが、「官軍」となった新政府軍が旧幕府軍を圧倒し、6日に戦が終わり、大坂城にいた徳川慶喜は江戸へ逃れた。
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