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「看板」生んだ驚きの発想 ポッキー、全部にチョコ塗らなくても→手に持つ部分2センチ 「昭和100年」だヨ全品集合 江崎グリコ編

産経ニュース / 2024年10月8日 10時30分

グリコは「楽しい」だけでなく「驚かされる」お菓子だ。その代表の2品が昭和41年に発売された『ポッキー』と47年発売の『プッチンプリン』である。スティック状のビスケットにチョコレートがコーティングされ、食べると「ポッキン」と音がする。お尻の突起を「プッチン」と折るとあら不思議、プリンが落ちてくる。いったいこの発想はどこから。というわけで大阪市西淀川区歌島にある江崎グリコ本社を訪ねた。

苦い経験 甘くコーティング

昭和40年、チョコレート市場での競争が激化していたころ、グリコは『アーモンドチョコレート』に次ぐヒット商品の開発に力を注いでいた。当時、世間では《ながら族》という言葉がはやっていた。テレビを見ながら、本を読みながら…。そうだ! デートをしながら気軽に食べられるチョコスナックだ。これが第1の発想。

次にどんな形状にするか。すでに主力商品になっていた『プリッツ』をチョコレートでコーティングする案が通った。

形はスティックと決まったものの①どうやってチョコレートを塗るか②持った手は汚れないか③チョコが溶けてスティック同士がひっつかないか-などの問題点があった。

「1本ずつ銀紙で包めば」「いや、それではコストがかかるしカサも大きくなる」。同社社史担当の清水洋司さんによると開発者たちは毎日、試作品を作って検討した。ある日、誰かが「別に全部チョコを塗らなくてもええんやない」とつぶやいた。そうか! 第2の発想である。手に持つ部分は2センチと決まった。

あとはどうやってムラなくチョコレートを塗るか。ここでも発想を変えた。「塗る」のではなくチョコレートにドボンと「漬けた」のである。

試作品が完成した。だが、即発売とはならなかった。41年1月に大阪府寝屋川市にある数十店のお菓子屋さんでテスト販売。さらに10月には広島県で実施してようやくゴーとなった。

なぜ、そこまで慎重になったのだろう。「39年の苦い経験からです」と清水さんはいう。39年、東京五輪が開催され、高度経済成長がピークを迎える中で、江崎グリコは過剰な設備投資などの結果、経営の危機に陥っていた。創業者の江崎利一は構造改革を断行した。149品目にまで膨れ上がっていた商品をなんと28品目にまで削減した。

「それだけでなく、もう2度とそんな事態にならないためにと、厳しい開発基準を設けました。それが《1品・10億円》です」

年間売上高10億円以上を期待できる商品だけを発売するというもの。ちなみに「ポッキー」は発売から3年後の44年に30億円の売上高を記録。いまもグリコを支える基幹商品である。

雅な名前で出ています

いまや世界中で販売されている「ポッキー」だが、ヨーロッパでは名前が違う。なんと「MIKADO」と呼ばれている。えっ、まさか「帝(みかど)」のこと? な~んてわけがない。

「MIKADO」とは、細い竹の棒を積み上げて崩れないように引き抜く、ヨーロッパでは昔からあるポピュラーなゲーム。その竹の棒と「ポッキー」の形が似ていたのだ。

昭和57年に「MIKADO」で発売開始。フランス、オランダ、イタリア、ドイツ、スペインで今でも売られている。

心は折らずに突起折る

容器の底にある小さな突起を折ると、プリンがお皿の上へ落ちてくる。長年グリコ製品の開発に携わり、現在、江崎グリコ品質保証部のグループ長を務める浦藤喜規さん(63)によると、担当者がたまたま入ったレストランで、パティシエがアイスピックでプリンの容器の底に穴を開け、空気を入れて取り出すのを見てピンときた。有名な誕生物語である。

だが、どうやって容器の底に穴を開けるのか。ここからが苦悩の日々だった。

「プッチン棒(底に付いた突起のこと)が折れすぎてもいけないし、折れなきゃいけない。折ったときちゃんと穴が開いてなきゃいけない。それを当時の人たちは1本1本、何万本も手で折って確かめたんです」と浦藤さん。

こうして昭和47年に発売にこぎつけた。それでも穴が開く確率は100%ではなかったという。

グリコ社内では『プッチンプリン』を《逆境に育まれた商品》と呼んでいる。最大の《逆境》は2000年代に入って、プリンをお皿で食べない時代がやってきたことだ。

「買ってすぐに食べたい」「洗い物を増やしたくない」。プッチンプリンはこのまま時代に流されて消えていくのか…。

浦藤さんたちは何度も話し合った。そして出した結論は「もう一度、プッチンする楽しさを知ってもらおう」。彼らは《逆境》から逃げずに立ち向かったのである。

平成20年『Happyプッチンプリン運だめし』=底の突起が4本あり、そのうちの1本だけが本物という仕掛け。

21年『手作りプッチンプリン』=約1リットルの大きな手作りプリン。底の突起は再生可能なネジ式になっており何度でもプッチンできる。

24年『男のプッチンプリン(おつまみ冷奴風)』=史上初の甘くないプッチンプリン。冷奴風に仕上げた豆乳プリンとしょうゆだしにショウガを効かせたソースの組み合わせ。

「これはプッチンしないと味わえない商品。わざわざお皿にプッチンしてもらおうという狙いです」と浦藤さん。グリコマンの意地を感じた。

ヒット呼んだ冷蔵ショーケース

最初の《逆境》は昭和47年、完成当時にやってきた。プリンは要冷蔵で賞味期限が短い。これがネックとなってどのお店も置いてくれない。冷蔵ショーケースのあるスーパーはすでに先行のメーカーが棚を占めている。

営業部が知恵をしぼった。打ち出したのが「四面体作戦」。四方向から中身が見られる冷蔵ショーケースを開発。全国10万店舗に置かせてもらい《グリコ特選ショップ》と命名し、プリンや牛乳、ヨーグルト、デザートなどをその中に入れて売り出した。

これでパン屋さんだけでなく八百屋さん、酒屋さん、なんと魚屋さんまで置いてくれたという。(田所龍一)

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