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外国航空会社の客室乗務員から宮司に転身 国際舞台から見た神道、日本文化の奥深さ アマ物語

産経ニュース / 2024年7月9日 10時30分

おもしろ宮司さんの2人目は、オーストラリアの航空会社で客室乗務員(CA)の経験を持つ「尼崎えびす神社」(尼崎市神田中通)の太田垣亘世宮司(54)である。「子供のころから実家の仕事(神社)がイヤでイヤで…。家を飛び出すためにCAになったんですよ」。その彼女がなぜ、家業を継ぐことになったのだろう。外に出て初めて知った、日本のことを何も知らない、何も語れない自分。そこから太田垣さんの第2の人生が始まった。

CAに憧れて

昭和45年生まれ。大阪万博などで多くの外国人が日本を訪れ、海外の文化が一気に流れ込んできた時代に育った。

「神社なんて古くてダサいイメージ。こんな家、早く出たい! そればかり考えていました」

そんな太田垣さんの前に現れたのが「のろまな亀」。そう、堀ちえみ主演のテレビドラマ『スチュワーデス物語』(58年放送開始、TBS系)である。

「わたしでもスチュワーデスになれる。そして家を飛び出すんだ―と興奮しました。どうしたらなれるのか、毎日そればかり考えていました」

立命館大国際関係学部に進学し、CAになることを前提に大学では英語や国際的知識を必死になって身につけた。平成6年の関西国際空港開港-という時流にのり、アンセット・オーストラリア航空(当時)を受けた。準備は万全。ところが、面接官が最初に聞いてきたのは…。

「あなたはきれいな日本語を話せますか?」

そして履歴書を見て、首をかしげながらこう問いかけてきた。

「お父さんの仕事が『カンヌシ』とありますが、それは何ですか。もうひとつ『シントウ』とは何ですか?」

太田垣さんはがくぜんとしたという。今まで自分が必死になって避けてきたものを尋ねられたからだ。

「うまく答えられませんでした。そんな自分が悲しくて、恥ずかしくて…」

神道学び直し

太田垣さんは合格した。だが、仲間たちより1カ月も遅い研修となった。教官は遅れた理由をこう説明した。

「私たちは今、宗教に関してとても敏感になっています。私たちはシントウを知らない。危ない宗教なのか、テロと結びついてはいないか…などを1カ月かけて調べていました」

彼らは明治神宮の正月三が日の初詣のビデオを見た。そして神道が単なる宗教ではなく日本人の生活にしみ込んだ古来からの文化であることが分かったという。不思議なことに太田垣さんの胸の奥にも「もっと日本のこと、神道のことを知りたい」という小さな思いが生まれた。

2000年シドニー五輪が終わると、太田垣さんはCAを辞めた。そして神戸大大学院の国際文化学研究科に入学した。

「6年間のCA生活で学んだ、海外で求められている日本人とは、外国かぶれしているのではなく、心のこまやかな、思いやりのある日本人らしい日本人。だから、心の底から日本の文化や神道のことを学びたくなったんです」

この時点ではまだ、太田垣さんに実家を継ぐ気持ちはなかったという。神職の資格をとった太田垣さんは語学力を生かし「神道国際学会」のオフィサーとして米ニューヨークで2年間、高校や大学で日本文化を紹介。日系人を対象に神道祭儀(七五三など)を執り行う仕事をしていた。そんな太田垣さんにある日、転機が―。

「実家を継いでくれていた従兄が『神主をやめてサラリーマンになる』と言い出したんです。人生っていろいろあるんですね」

こうして平成24年、尼崎えびす神社の太田垣亘世宮司が誕生したのである。

おじいちゃんは「飛んでる宮司さん」

尼崎えびす神社の創建は850年以前といわれている。戦前までもっと海寄りの尼崎市西本町5丁目にあったが、昭和28年、国道43号建設に伴い、現在の神田中通3丁目に移転した。太田垣宮司によると、祖父で当時の宮司、太田垣源龍氏が〝飛んでる〟宮司さんだったという。

「尼崎市の工業化、商業化を見越していたんでしょうね。もう、漁業の時代は終わった。これからは商売繁盛の神様や―といってえびすさまの持つ鯛をやめて倉を持たせたんです」

以来、尼崎えびすは「倉持えびす」と言われるようになった。「それだけじゃないんです。周囲の反対を押し切って大きな大きな鳥居(高さ17メートル)を建てた。モデルは厳島神社(広島県)の大鳥居。で、負けたくないと思ったんでしょうね。高さが40センチほど高いんですよ。でも、それがいまでは尼のえべっさんの顔になっています」

そんな祖父は、まだ幼い3姉妹の次女・亘世さんにだけ、時折手紙をくれていたという。「手紙の最後に『お前のそばにいつも神さまがいるよ』と書いてあったんです。いま思えば、祖父には私がこの神社を継ぐことが分かっていたのかもしれませんね」

太田垣宮司は笑った。

神様は八百万、すべてを受け入れる

令和5年6月、尼崎えびす神社で男性同士の結婚式が行われ話題を呼んだ。2人は兵庫県内の神社をあたり、同性婚を受け入れてくれたのはここだけだったという。太田垣宮司はこう解説した。

「同性であれ異性であれ、純粋に結婚したい―というのであれば受け入れます。もちろん、いろんな意見があるでしょう。伝統を重んじられる神社があってもいいと思います。ただ、私は日本の神様は多様性に富んでいると思うんです。だって『八百万の神様』っていうでしょう。いろんな神様がいらっしゃるんですよ」

太田垣宮司がこんな考えを持つのは、やはり客室乗務員(CA)の経験があるからだろう。神社や宮司の仕事を俯瞰(ふかん)的に見ることができるという。

「それに私が勤めていたころ、男性CAにはゲイの人が多かったんです。最初は特別な目で見ていましたが、徐々に普通になりました」

太田垣宮司が変わっているのではない。それがいまは普通なのである。(田所龍一)

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