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大和の自然がはぐくんだ氷の文化 朝廷献上の誇りとともに 奈良・氷室神社 西日本の水

産経ニュース / 2024年8月11日 10時0分

奈良県北部には「かき氷」を扱う店が50店以上あり、夏になると氷を食べて涼む人の姿が見られる。これだけ多くのかき氷の店があるのは、古代に同県天理市福住町周辺の氷を天皇に献上したとの故事があり、日本最古の氷室神社が存在するから-というのが一説だ。豊かな自然が育んだ水と氷の文化と歴史は、今も大和の地に息づいている。

日本書紀に

奈良市中心部から車で40分。緑の濃い山間地にたたずむのが福住氷室神社(天理市福住町)だ。

この神社の起源ともなった氷室とは、穴などに氷や雪を貯蔵して春夏まで保存する施設のことだ。古代より世界各地で利用されてきたが、日本の氷室の歴史は仁徳天皇の時代にさかのぼる。

日本の文献に初めて氷室が登場するのは最古の史書の一つ「日本書紀」で、仁徳天皇62(西暦374)年、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が闘鶏(つげ)(現在の福住町)で狩猟をした際、氷室を発見したと記されている。皇子が地元の豪族、闘鶏大山主(つげのおおやまぬし)に説明を求めたところ「冬に穴を掘り、萱(かや)やすすきを敷いた上に氷を保管すると夏まで溶けない」「暑い月には水や酒をひたして使う」と答えたという。

皇子がその氷を献上すると天皇は大いに喜び、以後は冬に氷を貯蔵し、春に朝廷へ献上するしきたりが根付いたとされる。社伝によると、允恭(いんぎょう)天皇の時代(430年ごろ)に氷室の守り神を祭ったのが福住氷室神社で、全国の氷室神社の発祥とされる由縁でもある。

平城京の長屋王邸跡から出土した木簡には福住町の氷室から氷が運ばれたことを示す記述が見つかるなど、貴族の夏の生活と氷室との関係がわかってきた。

神社の周辺には氷室跡があり、福住町の有志が平成11年から氷室の歴史を後世に残そうと、復元した氷室に冬の氷を蓄え夏に同神社まで運搬する行事を続けている。今年は7月15日に実施され、小学生が大八車を引いて同神社に氷を届けた。2月に氷室に収めた氷は3トンあったが、残っていたのは240キロ。福住校区の区長会長、辻沢正博さん(74)は「気候変動のせいか、去年より少ない。この先大丈夫か心配になる」と気をもみながら「子供の数が少なくなる中、地元の氷の歴史を守っていきたい」と話す。

業界も信仰

奈良県には名高い「氷室神社」が奈良市春日野町にもある。和銅3(710)年の平城遷都に伴い、春日野一帯に氷を採取する池や氷室が造られ、守護のための氷の神を祭るとともに、夏の天候で稲作の具合を占う祭祀(さいし)を行ったのが起源とされている。

和銅4年に天皇に氷を献上する勅祭が行われ、70年以上にわたって平城京に氷を納めるようになったが、平安遷都(794年)後は廃止されたという。故事にちなんで今も製氷や冷蔵冷凍にかかわる業界の信仰を集めており、巨大な氷柱を立てて商売繁盛を祈願する「献氷祭」が5月1日に営まれている。

大きな祭事ばかりが見どころではない。「奈良・大和は日本のはじまりの地だ。氷にまつわる行事を、みなさんにもっと理解し、楽しんでもらいたい」と大宮守人宮司(74)。

氷の行燈にろうそくを入れて明かりをともす「氷献灯(こおりけんとう)」は20年来続く毎月1日の行事で、柔らかな明かりが境内を神秘的に照らす。珍しい「氷みくじ」も引くことができ、境内にある氷に貼り付けると文字が浮かび上がる。

大宮宮司は「経済も政治も国際関係も、現代の日本は国難が多すぎる。こうした行事には文化・伝統の継承だけではなく、『国難氷解』の意味も込めている」と話している。(平岡康彦)

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