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賀茂川の水・青龍神水・琵琶湖疎水…古都・京都の歴史に刻まれた苦悩と祈り 西日本の水

産経ニュース / 2024年8月15日 10時0分

京都からは水にまつわる3つのエピソードを紹介する。憩いのスポットとして知られる賀茂川(鴨川)はかつて洪水を繰り返し、京の人々の悩みの種だった。そして祇園祭で知られる八坂神社(京都市東山区)の神水を巡る伝説。明治期、東京遷都で沈み切った古都を復活させた琵琶湖疏水は、今も活躍を続ける。

青龍神水 都を浄化

八坂神社の疫病退散の祭礼、祇園祭。神輿(みこし)渡御や山鉾(やまほこ)巡行などさまざまな神事・行事で用いられるのが「青龍神水」だ。京都には多くの名水があるが、青龍神水は飲むためではなく、祈りのための水といえる。

神社本殿地下には龍穴(りゅうけつ)と呼ばれる大きな池がある。深さは「50丈(約150メートル)にをよびて なお底なし」との記録が残る。池は漆喰(しっくい)の蓋で固められているが水脈は生きており、水をくみ上げることができる。

水脈は祇園祭発祥の地である神泉苑(京都市中京区)につながり、龍神が行き来すると伝わる。

令和4年、神仏習合の儀式を執り行って、八坂神社の神水と神泉苑の聖水、閼伽(あか)水が交換された。両者を混ぜて生まれたのが青龍神水だ。疫病を鎮めるために行われていたころの祭りに戻そうと、八坂神社の野村明義宮司が発案し始まった。

青龍神水は、山鉾巡行の際の清め水や神輿渡御の担ぎ手の給水などに使われる。野村宮司は「青龍神水をもって都を浄化したい」と話す。(田中幸美)

レトロな琵琶湖疏水 現役で古都支え

京都に水を運び、市民生活を支える琵琶湖疏水。明治期に完成した人口運河だが、当時のトンネルや橋は今も残り、歴史ある風景が観光客を楽しませている。

明治維新による東京遷都に伴い、人口減少や産業衰退などの課題が突きつけられた京都に活力を呼び戻すため建設された。明治23(1890)年の完成後は水力発電にも利用され、観光都市の経済や産業発展に貢献してきた。

今も水道用水などに使われる「現役」。南禅寺境内にある「水路閣」や傾斜鉄道の下を通行できるトンネルの「ねじりまんぽ」など、明治期に作られたレトロな建造物が残す風景は、ウオーキングルートや写真スポットとしても人気を集めている。

訪れる人がより楽しめるよう、地元協議会は疏水沿線を歩く計3コースのマップを作った。平成元年にオープンした「琵琶湖疏水記念館」(京都市左京区)では建設当時の資料など計約100点を展示。疏水の歩みを伝えている。

運営する京都市上下水道局の担当者は「楽しみながら、琵琶湖疏水の歴史を学んでもらいたい」と話している。(堀口明里)

賀茂川 貴族の庭潤す

京都市の中心を流れる賀茂川(鴨川)。平安時代後期の権力者、白河上皇が〝制御不能〟として頭を悩ませたほどの暴れ川だが、貴族の庭にはなくてはならない存在でもあった。

紫式部の「源氏物語」にも登場する雲林院跡(京都市北区)では昨年の発掘調査で式部時代の溝跡が出土。賀茂川の水を市街地に引き込んだ水路から取水していた可能性が浮上した。

賀茂川の水を庭園に引くこと自体は珍しいことではない。今年の大河ドラマで秋山竜次さんが演じる藤原実資(さねすけ)が住む邸宅「小野宮」も、賀茂川から東京極大路(現・寺町通)沿いに流れた中川からの水を庭池に利用していたという。

二条城前を流れる堀川も、かつては賀茂川の水を引く運河だった。江戸時代から昭和時代にかけ、賀茂川から京都御所と周辺の公家屋敷に水を運んだ石組み水路跡が相国寺(京都市上京区)北隣で実施した発掘調査で出土している。

平安京の庭園に詳しい京都産業大の鈴木久男元教授は「賀茂川(鴨川)は厄介な存在である一方、平安文化の創出になくてはならない存在だった」と話す。(園田和洋)

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