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「天国で一緒に仲良くね」 親孝行のために家族の名前並べ 犠牲者らの銘板に新たに21人 

産経ニュース / 2024年12月14日 18時27分

来年1月に発生から30年を迎える阪神大震災の犠牲者らの名前を掲げる「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区)に14日、新たに21人の名が加えられ、銘板に刻まれたのは計5068人となった。

「やっと一緒に並べられた」

兵庫県芦屋市の医師、兒玉隆之さん(55)は、ほっとしたように笑顔を見せた。震災で亡くした姉の小亀寛子さん=当時(36)=と、その後亡くなった父の兒玉順三さん=当時(76)、母の章子さん=同(87)=の名前が書かれた銘板を地下の「瞑想(めいそう)空間」の壁に取り付けた。3人には心の中で「天国で一緒にみんな仲良くね」と伝えたという。

発災時、兒玉さんは医学生で神戸市東灘区の自宅で両親と3人暮らし。寛子さんは兵庫県西宮市内で夫と子供2人と暮らしていた。

平成7年1月17日早朝、自宅で激しい揺れに襲われたが、幸いベッドが壁の倒壊を食い止め、全壊した自宅から自力ではい出て助かった。両親も無事だったが、しばらくして訪れた兄から「寛子たちがあかんかった」と知らされた。

寛子さんには4歳の長女と2歳の長男がおり、震災発生当時は家族4人で2階で寝ていたが、全壊した自宅の下敷きになり、生き残ったのは長女だけ。長女は寛子さんが四つんばいになって倒れてくる壁から自分を守ってくれたと打ち明けたという。遺体安置所で対面した姉は、「穏やかな表情に見えた」と兒玉さんは振り返った。

被災後、「震災がなければ」と無念の思いを吐露することもあった順三さんは飲酒量が増え、肝臓がんで平成16年に他界。章子さんは令和3年、認知症の末に亡くなった。「両親も震災で人生が狂わされたと思います」と兒玉さんは打ち明ける。

西宮市の震災記念碑公園には寛子さんと夫、長男の名前が記録されているが、両親の名前はない。兒玉さんは震災の直接死ではなくても銘板を設置できると知り、親子3人の名前を一緒に並べようと決意。「親孝行のためにという思いもあって、名前を並べてあげたかった。両親も姉も喜んでくれていると思います」。(地主明世)

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