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像高168センチの線彫り 敏満寺石仏谷中世墓跡の観音堂石仏 石仏は語る

産経ニュース / 2024年6月14日 15時0分

敏満寺石仏谷中世墓跡は、琵琶湖東岸に面した青龍山西麓斜面に立地しています。敏満寺には、鎌倉時代初期に僧・重源が東大寺再興を祈願して銅製五輪塔を寄進しています。中世には大きな勢力を有しましたが、浅井氏、織田氏との攻防により16世紀後半には衰退しました。敏満寺の中心は胡宮神社付近と考えられており、墓跡群は神社南側の南谷と称される地区にあります。

発掘調査では墓域下層に付属施設があり、墓跡の分布は、約60メートル四方の範囲におびただしい数の石仏や石塔が大量に露出しています。その数は約1600カ所に達します。分布範囲は北端付近に巨石があり、境界を示していると推定されます。全体的な構造は斜面に平坦(へいたん)面を造成して雛壇状に造っており、礫や石造物の分布状況からそのまとまりが50カ所以上認められるようです。墓跡は数メートルの平面規模をもって、平坦面や塚状盛土を施したり、河原石をふいたりしている墓があります。

15、16世紀段階には、石仏や一石五輪塔を複数立て並べていますが、蔵骨器を埋納しただけの墓も多くあり、蔵骨器は四耳壺などを使用し、火葬骨が多量に納められた大甕もあります。使用する焼物は瀬戸、美濃と常滑が多く、ほかに渥美、信楽、備前、越前、珠洲、中国陶磁などの産地が確認されています。これらの遺物から見て、墓は12~13世紀に形成されはじめ、16世紀後半には終焉(しゅうえん)する中世の地縁的な惣墓の可能性が考えられます。

胡宮神社の観音堂には、観音菩薩とみられる線刻石仏があります。総高約200センチ、最大幅約80センチ、最大厚約50センチの自然石安山岩の凸凹表面に蓮華(れんげ)座、その上部に像高約168センチの線彫りとします。二重円光を負い、頭上宝冠に大まかな化仏の線刻、左右の髪は端で束ね、長い垂髪を肩部まで垂らし、左手に未開敷蓮華、右手は胸前施無畏印、天衣を閃かす造作で、墓地にあった可能性があります。 (地域歴史民俗考古研究所所長 辻尾榮市)

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