1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

厚い油層「祖先の信仰の積み重ね」 京都・西岸寺油掛け地蔵 石仏は語る

産経ニュース / 2024年8月10日 15時0分

油懸(あぶらかけ)山地蔵院西岸寺と称する浄土宗知恩院派の寺院です。地蔵菩薩は伏見天皇、正親町天皇の信仰が篤く、文保元(1317)年には伏見院別院御殿が下賜され、地蔵院の称号を賜っています。天正18(1590)年、相模国小田原の僧、雲海上人西蓮社岸誉によって開創されたと伝えます。

その地蔵堂には、俗に油懸地蔵と呼ばれる石造地蔵菩薩立像が安置されます。『拾遺都名所図会』(江戸時代)には「むかし、山崎に住いする油商人有り。ある時、油を担うて此門前を過ぐるに、忽ち転びて油を流す。周章して担桶を見れば、余残幾もなし。…帰りさらんにはしかずとし、残る所の油を以て、此石仏に潅いで、一念の残執なく帰りけり、それより、幸日々に栄えて、大福長者となりぬ。…」とあり、京都の町に伝わって諸願成就の油懸地蔵尊として親しまれてきました。

地蔵菩薩立像は高さ約150センチ、幅約80センチ、花崗岩製です。厚肉彫りで、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持ち、面相は柔和で美しく、撫肩で大きく胸を開く作風です。錫杖輪部分が大きく立派なことから、鎌倉時代の造作と見られます。

舟形光背には銘文が刻まれているようですが、油を掛けて祈願してきた油層が厚く積もっていて、地蔵堂再建の際には、調査が申し入れられましたが、「油層は祖先の信仰の積み重ね」として削り取ることはしなかったという経緯があるそうです。

当山三世住職の任口(宝誉)上人は、北村季吟(きぎん)門下で如羊と号し、松尾芭蕉とは同門と伝え、西山宗因(そういん)に連歌、松江維舟(いしゅう)に俳諧の手ほどきをし、談林の長老として慕われたといいます。西岸寺は淀川を往来する伏見の船着場に近く、訪れる客が多かったのでしょう。井原西鶴や宝井其角(きかく)、松山玖也(きゅうや)、季吟、伊勢村意朔(いせむらいさく)などの俳人が足をとめ、貞享2(1685)年には、高徳を慕って訪ねた芭蕉が、出会の喜びを伏見名物の桃にことよせて「我衣にふしみの桃のしづくせよ」と詠じ、『野ざらし紀行』には「伏見西岸寺任口上人にあふて」と前書があり、その石碑は文化2(1805)年の建立です。 (地域歴史民俗考古研究所所長 辻尾榮市)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください