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白髪一雄生誕100年、半世紀を超える「行為」の跡 尼崎で展覧会

産経ニュース / 2024年8月31日 8時0分

兵庫県尼崎市の同市総合文化センター美術ホールで行われている「生誕100年 白髪一雄 行為にこそ総てをかけて」は120点を超える作品と資料で、地元が生んだアクションペインター、白髪一雄(しらが・かずお、1924~2008年)の人生を振り返る展覧会だ。

白髪は天井からつるしたロープにつかまり、足で絵を描いた前衛画家として世界にその名を知られている。尼崎の呉服店に生まれた白髪は、生涯をこの地で過ごした。

東京で洋画を学ぶ夢を諦め、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大)で日本画を専攻。卒業後、画家、伊藤継郎のアトリエなどで洋画に取り組んだ。昭和27年には金山明や村上三郎らと若手の会「0(ゼロ)会」を発足、30年には吉原治良が率いる具体美術協会(具体)に入り、先のアクションペインティングで頭角を現してゆく。

その足で描く絵で印象的な色彩は、37年の「天空星急先鋒」などに見られる血しぶきのような赤。幼い頃、白髪は地元の祭りでだんじりがぶつかりあう瞬間、曳き手の一人が頭を挟まれて亡くなるという光景を目にした。彼の「アクション」と「赤」は、その体験が根源にあるとされる。一方、恵まれた環境に育ち、穏やかな人柄で人望も厚く、具体の仲間たちにも兄のように慕われた。

現代美術の展覧会には珍しく、会場に入ってすぐのところに飾られている日本刀と狂言面は、彼が所持したもの。幼い白髪少年のエピソードを知れば、刀と面は荒ぶる魂と穏やかな心を内に秘めて生きた証しのようにも見える。

具体で活動中からフランスの美術評論家、ミシェル・タピエに高く評価され、海外でも広く知られるようになったが、次第に密教に傾倒し、46年には比叡山延暦寺で得度した。学芸員の藤巻佐和子さんは「猟で山を歩いているときに見つけた石像の梵字に美を感じたのがきっかけだったそうです」と話す。吉原の死去に伴い、47年に具体が解散した後も、仏教や東洋思想に影響を受けた水墨画や書を残した。

そうした体験を血肉とし、白髪は晩年までアクションペインティングを続けた。「後年はかなり足腰への負担がつらくなったようです」と藤巻さん。平成4年の「蛭子(ひるこ)」に見られるように血の赤は、墨の黒へと変わり、塗り残した部分も増えてゆく。最晩年19年の「玄(げん)」は手による絵画作品だ。しかし、それもまた半世紀を超える「行為」の跡なのである。

会場には白髪のアトリエを再現したセットも組まれ、展覧会の作り手の熱量も伝わってくる。「行為にこそ総てをかけて」は「具体」の会報誌にある白髪の言葉から引用したもの。不世出の画家の全てを、ここで知ることができる。(正木利和)

生誕100年 白髪一雄 行為にこそ総てをかけて

9月23日まで(火曜休館)。一般1,000円ほか。問い合わせ06-6487-0806。

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