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鉄道とともに発展したまち・奈良王寺町 苦境乗り越え着実に歩む 昭和100年 まちの今昔

産経ニュース / 2024年12月30日 11時0分

奈良県北西部に位置し、大阪府との府県境にある王寺町。明治時代に県内で初めての鉄道が開通して以降、「鉄道のまち」として発展してきた。昭和には高度経済成長に伴ってベッドタウンとして台頭したが、たびたび災害に見舞われた時代でもあった。乗り越えてきたのは、多くの人々の努力があったからだ。町を歩けば、そうした歴史に対する人々の誇りを感じることができる。

シンボルはD51

JRと近鉄の2社4線が乗り入れている県内有数のターミナル駅、王寺駅(同町)。JR大和路線に乗れば天王寺駅まで約20分という高い利便性から、多くの人が利用し、令和2年度の一日の乗降者数は約4万人に上る。

隣接する舟戸児童公園には、町のシンボルともいえるD51形蒸気機関車895号機が展示されている。昭和19年に製造され、旧国鉄の関西線や草津線を走っていたが、47年に引退した後は町からの強い希望を受けて旧国鉄(JR)から無償貸与されたという。数年前まではJR社員やOBらで構成されたボランティア団体が手入れして保存に努めてきた。

王寺観光ボランティアガイドの会の田中宏さん(77)は「こうして現役の姿のまま触って間近で見られる蒸気機関車は珍しく、町の自慢。これ目当てに訪れる人は今も絶えません」と笑顔を見せる。

大阪のベッドタウン

王寺町は成り立ちから、鉄道とともに歩んできた町だ。明治23年に県内で初めての鉄道が王寺-奈良間で開通して以降、王寺駅を中心に鉄道網が形成され、農村だった一帯は活性化。多くの人が移り住み、大正15年には町制が施行されて王寺村から王寺町となった。

その後、高度経済成長期の昭和30年代以降は大阪からの交通の便の良さをいかして西大和ニュータウンの開発が始まるなどベッドタウンとしても台頭した。りーべる王寺東館商店会の岡嶋康男会長(86)は49年に、近鉄田原本線新王寺駅(同町)すぐそばにパン屋「ブール進々堂」を出店。開業当時、焼きたてのパンを提供する店は県下でも少なく、「通勤客や通学客に飛ぶように売れた」と懐かしむ。

ただ、その発展は決して平坦な道のりだったわけではない。7年には、大阪との府県境で発生した亀の瀬地すべりの影響で大和川の川床が隆起し、トンネルが崩壊したり浸水被害が起きたりした。復旧工事は町民も含めて35万人あまりの人々によって行われた。

さらに57年には台風10号の影響で大和川大水害が起こり、駅周辺など市街地のほとんどが浸水した。被災した岡嶋さんは「店は床上浸水で、プロパンガスも流され、機械もすべてだめになった」と振り返る。当時、53年に橋上に建て替えられたばかりの王寺駅舎に避難する人が多かった。そうした中、他府県の同業者らが助けてくれたという。岡嶋さんは「トラックでパンを運んできてくれて、被災した周辺の人たちに配ったりしてくれた」と話す。

大きく様変わり

それから時はたち、平成を経て令和となった。大型商業施設も整備され、町は大きく様変わりした。同町で50年以上時計店を営んでいる中川政明さん(76)は、「昭和のころの雑多な感じがなくなったが、活気も減った気がする」とつぶやく。

それでも、「鉄道のまち」としての人々の矜持は今も変わらない。町内には明治時代の鉄道遺構が貴重な観光資源として残され、毎年秋に行われる町観光協会主催のイベント「鉄道イベント」には全国の鉄道ファンが詰めかける。

令和8年には町制施行100年を迎え、町はさらに「鉄道のまち」を町内外に発信していく構えだ。町の文化財学芸員の岡島永昌さんは「普段何げなく通っているところにも、鉄道のまちの歴史があることを誇りに思ってほしい」と話している。(木村郁子)

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