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王者交代を告げた桑田・清原コンビ 衝撃デビュー 池田「やまびこ打線」からPL黄金時代へ 甲子園球場100年

産経ニュース / 2024年6月21日 10時30分

1980年代の高校野球は、まさに「PLの時代」だった。春夏合わせて10大会、甲子園にコマを進め、負けたのは4試合だけ。つまり6度の全国制覇(春夏3度ずつ)を成し遂げたのだ。挙げた勝利は44勝。27勝で2位の池田(徳島)を大きく引き離している。その結果、ベストナインは全員がPL学園。プロ入り後の成績を見ると、3人が2千安打以上を放っており、豪華な布陣となった。

80年代のPL学園を「KKコンビ」抜きで語ることはできない。投手の桑田真澄、一塁手の清原和博。同学年の2人は1年生の夏から3年生の夏まで5季連続で聖地に足を踏み入れ、2度の日本一を経験した。

桑田の名前が全国区となったきっかけの試合は1年生だった83年夏の準決勝、エース水野雄仁(元巨人)を擁する池田戦といえるだろう。史上初の「夏春夏」の3連覇を狙った「やまびこ打線」は各チームの投手にとって恐怖だった。試合前、中村順司監督はナインに「たとえ負けたとしても『水野君はすごかった』と言うな」と指示していた。

しかし、15歳の右腕は頭脳的な投球で強打線を抑えただけでなく、二回に剛腕、水野から本塁打を放った。7-0での完封勝利は高校野球の主役がPL学園に移ったことを示していた。

清原は3年生の85年夏、準々決勝から3試合連続、1大会5本塁打の伝説を打ち立てた。決勝の宇部商(山口)戦は、四、六回に2打席連続の同点弾を放ち、朝日放送で実況を担当していた植草貞夫アナが「甲子園は清原のためにあるのか」と叫んだ試合だ。桑田は甲子園通算20勝、清原は通算13本塁打。ともに歴代最多だが、複数投手制が進み、飛ばないバットが導入された今、不滅の記録といえるだろう。

春夏連覇

「KKコンビ」も成し遂げられなかった「春夏連覇」をやってのけたのが遊撃手、そして主将として立浪和義が率いた87年のチーム。投手陣は野村弘(のちに弘樹)、橋本清(元巨人など)、岩崎充宏の3人体制で盤石を誇り、打線も立浪のほか、片岡篤史(元阪神など)、夏に2試合連続弾を放った4番、深瀬猛らが強打を見せた。

PL学園はほかにも81年春優勝時の主将、吉村禎章(元巨人)、エースの西川佳明(元南海など)、82年春で優勝投手となった榎田健一郎(元阪急)ら好選手が存在感を見せた。

もちろん、PL学園以外にも好選手は大勢いた。89年春に準優勝だった上宮の元木大介は大型遊撃手として1年浪人の後、巨人へ進んだ。東邦(愛知)との決勝は延長十回に1点勝ち越し、その裏も2死としたが、ヒットと挟殺プレーのミスなどでまさかのサヨナラ負け。送球したボールが外野を転々とし、ナインがグラウンドに突っ伏す姿は、甲子園でも屈指の「残酷なドラマ」だ。

元木と同級生で三塁手だった種田仁は中日、横浜などで活躍。1学年下でエースだった宮田正直はダイエーに進んだ。

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