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「平成の怪物」横浜・松坂大輔を追い詰めた PLの俊足好打1番と関大一の頭脳派エース 甲子園球場100年

産経ニュース / 2024年6月24日 10時30分

1990年代の大阪勢は、春は90年の近大付、93年の上宮、夏は91年の大阪桐蔭が全国制覇を成し遂げているが、それらと並んで記憶に残っているのが、98年に「平成の怪物」といわれたエース松坂大輔(元西武など)を擁する横浜(神奈川)と名勝負を繰り広げたPL学園、関大一だ。

延長17回の死闘

98年夏の準々決勝は球史に残る死闘「PL学園-横浜の延長17回」だ。5-5で延長戦へ入り、後攻のPL学園は十一、十六回に勝ち越されるが、しぶとく追いついた。十七回に決勝の2点本塁打を打たれるが、松坂が最も嫌がったのが「1番・左翼」で出場した2年生の田中一徳だった。

田中一は十六回無死からヒットで出塁。犠打と暴投で三塁に進み、続く遊ゴロで遊撃手が一塁に送球した瞬間、猛然と本塁突入。一塁手からの送球はそれてセーフ。50メートル5秒9の俊足が生きた。田中一がこの試合左打席から放った4安打はすべてがセンターから逆方向。抜群のセンスを見せつけた。

PL学園2番手で決勝2ランを打たれた上重聡は立教大に進んで完全試合を達成。田中一と同級生、田中雅彦は正捕手の負傷で途中出場を果たしている。

横浜と選抜大会決勝で対戦したのが関大一。エースの久保康友は松坂と投げ合い、敗れはしたが、クレバーな投球で3失点完投と健闘した。関大一は走者三塁から、ボークを狙ってホームスチールを仕掛けるなど揺さぶったが、いま一歩及ばなかった。久保は松下電器を経てプロ入り。抜群の制球力と並外れた速さのクイックモーションを武器に活躍。現在も欧州のリーグで「現役」を続けている。

横浜は春夏連覇を成し遂げるが、大阪の2チームが「平成の怪物」を追い詰めたことは確かだ。

公立の星・中村紀

91年に夏初出場で優勝した大阪桐蔭の4番を打ったのが萩原誠。阪神にドラフト1位で入団し、ミスタータイガースの掛布雅之がつけた背番号31をもらったが、思うような活躍はできなかった。沢村通は3回戦でサイクルヒットを達成した。

PL学園は松坂と戦った世代以外でも好選手を輩出。下級生のころから4番を打った福留孝介は95年夏の1回戦、北海道工戦で満塁弾を含む2打席連続本塁打をマーク。同年のドラフト会議では7球団が1位指名で競合して近鉄が交渉権を獲得。プロ入りせず、日本生命へ進んだ。96年夏のエースは前川克彦(のちに勝彦、元近鉄など)、92年春の松井和夫(のちに稼頭央、元西武など)が背番号1を背負った。

94年春夏、北陽(現関大北陽)で投打の軸だった嘉勢敏弘は高校通算52本塁打の打棒を買われてオリックスには外野手で入団。その後、投手に転向した。90年夏の大阪代表は公立の渋谷。2年生ながら4番、三塁手でリリーフ投手も務めたのが中村紀洋(元近鉄など)。プロでは近鉄の「いてまえ打線」の中心を担うなど、2101安打、404本塁打をマークした。大阪では渋谷以降、公立で夏の代表になったチームはない。

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