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PL黄金時代終焉、「常勝軍団」大阪桐蔭の幕開け 象徴となった怪物1年・中田翔の二刀流 甲子園球場100年

産経ニュース / 2024年6月25日 10時30分

駒大苫小牧(南北海道)が2004、05年の夏を連覇。そのほか、智弁和歌山、明徳義塾(高知)、横浜(神奈川)、広陵(広島)、常総学院(茨城)といった各地区の強豪、名門も全国の頂点に立つ一方、大阪勢は「盟主交代」の時期を迎えていた。

1980年代は甲子園でダントツの44勝、90年代も20勝を挙げていたPL学園だが、00年代は7勝のみ。勝ち星でPL学園を抜き、大阪勢トップに立ったのは14勝の大阪桐蔭だった。

05年夏に衝撃の甲子園デビューを果たした1年生がいた。背番号17の中田翔だ。1回戦の春日部共栄(埼玉)戦に「5番・一塁」で先発出場し、打っては本塁打を含む4安打3打点、投げては五回途中から登板し、1失点で最後まで投げ切って勝ち投手。「投打の怪物」は常勝チームに駆け上がる大阪桐蔭の象徴ともいえる存在だった。

このチームには中田の2学年上の左腕エース、辻内崇伸(元巨人)、4番を打った平田良介がいた。3人ともドラフト1位でプロ入りを果たす。また、この試合は現在、監督として甲子園通算69勝で歴代トップに立っている西谷浩一監督の初勝利でもあった。

2度目の全国制覇

大阪桐蔭は08年に17年ぶり2度目の全国制覇。そのチームの遊撃手で現在もプロで活躍しているのが浅村栄斗。4番を打った萩原圭悟は15打点で個人最多記録(当時)をマークした。

PL学園が最後の複数勝利を挙げた06年春のエースは前田健太。1回戦で毎回の16奪三振の快投を見せると、準々決勝の秋田商戦ではホームスチールを成功させるなど、センスの塊のような選手だった。

00年夏のPL学園の遊撃手は現在、楽天で監督を務める今江敏晃(元ロッテなど)。01年春、関西創価の4強進出に貢献した野間口貴彦は大学、社会人を経て巨人に入団した。

番外編 甲子園出場はならなかったレジェンドたち

甲子園に出場した選手からベストナインを選んできたが、ここでは聖地の土を踏めなかったり、プロ入り後にポジションが変わったりした選手、1970~2000年代以外のレジェンドらを集めてみたい。

甲子園に出場していない投手では江夏豊、野茂英雄(元近鉄など=成城工)、黒田博樹(元広島など=上宮)と200勝(日米通算含む)投手が3人もいる。ほかにもレッドソックスで世界一を経験した上原浩治(元巨人など=東海大仰星)、「怪童」こと尾崎行雄(元東映など=浪商)と大エースばかりだ。

野手は2千安打以上が8人中5人。プロ野球記録の3085安打を放った張本勲は甲子園に出ていない。同じくプロ野球記録の1065盗塁をマークした福本豊は65年夏に出場した。

遊撃手の松井和夫(のちに稼頭央)は高校時代は投手だった。現役最多の本塁打数を誇る中村剛也は高校時代に甲子園を経験できなかった。捕手の矢野輝弘(のちに燿大)は公立の桜宮出身。外野手として中日などで活躍した田尾安志も公立の泉尾出身だ。

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