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絶望から再び世界へ ウェイクボード元プロ・四海吏登さん、パラ卓球で4年後に「金」を 

産経ニュース / 2024年8月5日 7時30分

日本勢のメダルラッシュに沸くパリ五輪が佳境を迎える中、4年後のロサンゼルスパラリンピックで金メダル獲得を目指して練習に励む選手がいる。四海吏登(しかい・りいと)さん(19)。ウェイクボードの元プロ選手で世界を舞台に活躍していたが、3年前、練習中の大けがで車いす生活に。リハビリで出合った卓球にはまり、昨年11月には本格的に競技を始めてわずか5カ月で国内大会の頂点に立った。「絶望しかなかった3年前の自分に『夢を見つけて頑張っているよ』と声をかけたい」。期待の新星は再び世界を目指す。

自宅がある兵庫県姫路市から、所属するパラ卓球チーム「Fantasista(ファンタジスタ)」の練習場がある大阪市港区へ電車で通う。片道約2時間かかるが、「自分がしたいことのためなので苦じゃない。電車から海や景色を見るのも好きだから」と言う。

海-。8歳のとき、両親の影響でウェイクボードを始めた。ボードに乗った状態でモーターボートに引かれて水面を滑り、ジャンプや回転などの技の完成度を競うマリンスポーツ。潮風を感じながら技を決めたときの爽快感に魅せられた。

「世界で活躍したい」。負けず嫌いの少年は最年少タイの12歳でプロになり、2019年には14歳以下の選手が出場する国際大会で2位になるなど、若くして世界トップレベルに駆け上がった。「ウェイクボードは自分の生活にあって当たり前の大切なもの」だった。

だが、それが突然奪われた。21年6月22日、トランポリンで回転技のイメージトレーニング中に首から落下し、頸椎(けいつい)を損傷。医師から「もう歩けない。ウェイクボードもできない」と告げられた。

「いや、いや、いや、そんなわけないやろ」。受け入れられない。受け入れたくない。だが、厳しい現実にぶつかる。「どれだけリハビリをしても足が動かない。手の指が動かない。ほんまに」。何度も絶望し、死を考えた。

22年5月、リハビリの一環で卓球と出合った。「球技は苦手だったのに、やってみるとすごく楽しい。ビビっときて、『これや!』と思った」と笑う。

パラ卓球で世界の頂点に立つ-。負けず嫌いの青年は新たな目標ができると、支え続けてくれた両親や親友に電話をかけ、「パラリンピックで金メダルを目指すわ」と宣言。東京パラリンピックの動画を見ては、車いすに乗った選手たちが繰り出す高度な技に目を奪われた。より一層、パラリンピックへの思いが強まった。

退院後、偶然の出会いが重なり、「Fantasista」代表の松尾充浩さん(47)から勧誘を受けた。昨年6月から練習に通い、現在は週に4~5日、午前10時から午後4時頃までチームのメンバーと一緒に汗を流す。家でも一流選手の動画を見て技術や戦術を熱心に研究するなど、卓球漬けの日々だ。

「大好きなウェイクボードが急にできなくなる体験をして、もっと本気でやっていればもっとできたのでは、と悔いがあった。もうそんな思いはしたくない」

握力がない四海さんは、ラケットをバンドで左手に固定してプレーする。ウェイクボードで磨いた空間認識能力は強力な武器だ。「球の回転量を読み、正しい角度で、狙った場所に落とす。めちゃくちゃ頭を使うスポーツですごく難しいけれど、いいプレーができたときは本当に気持ちいい」

チームのメンバーも四海さんを全面的にサポートした。世界で戦えるその才能、努力を高く評価する松尾さんは「皆が惜しみなく自分の技を教えた。協力したくなるのは彼の人柄。あの人懐っこい笑顔にだまされる」と豪快に笑い、四海さんは「皆さんが自分の練習より優先して僕に教えてくれ、ずっと練習につき合ってくれた」と感謝する。

それが結実したのが昨年11月の全日本パラ卓球選手権大会だ。車いすで障害が最も重いクラス1でいきなり優勝。鮮烈デビューで注目を集めたが、四海さんは「スタートラインに立てたと思った。目標はパラリンピックなので、あくまで通過点」と冷静だ。

今年6月には、チェコで行われた国際大会に出場。シングルスは予選敗退だったが、ダブルスで3位に入った。すべてが一変したあの日から3年となる6月22日だった。

「3年前は病室の天井を見ているだけだった。ずっとネガティブで、車いすの自分が嫌で、自分のことが嫌いだった。でも、3年後の自分はチェコにいて、また世界で活躍したいと頑張っている」

もがき苦しみながら、絶望の淵から這い上がった。

「けがをしない方が絶対いい。ふつうに歩けるのが一番いい。でも、卓球と出合い、いろんな人と出会い、こんな貴重な経験をしている。こういう人生でよかったとは言えないけれど、けがをしても絶望することばかりじゃない」

吏登。筋道を立てて登っていく、と両親から名前に込められた意味を聞いた。

チェコで世界のレベルの高さを目の当たりにし、自分に足りないところを知って練習方法を変えた。4年後のパラリンピックで、表彰台の真ん中で金色に輝くメダルを手にするために、着実に登ってゆく。

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