カーター元米大統領が死去、100歳 ノーベル平和賞受賞、中東和平に尽力
産経ニュース / 2024年12月30日 6時54分
【ワシントン=塩原永久】第39代米大統領として中東和平に尽力し、退任後も人権外交に取り組みノーベル平和賞を受賞したジミー・カーター氏が29日、出身地の南部ジョージア州で死去した。100歳だった。存命の大統領経験者で最高齢。カーター氏設立の非政府組織(NGO)カーター・センターが発表した。昨年2月から自宅で終末期医療を進めていた。
1924年、同州プレーンズ生まれ。海軍兵学校を卒業し、潜水艦の関連業務に従事。退役後に家業のピーナツ農園を営んだ。ジョージア州上院議員を務めた後、71年に同州知事に就任。76年の大統領選で、民主党候補として共和党現職のフォード大統領を破った。
77年に大統領に就き、78年、イスラエルのベギン首相とエジプトのサダト大統領を米大統領別荘キャンプデービッドに招き、和解を演出。エジプト・イスラエル平和条約につなげた。
中国との関係では、ニクソン元大統領が道筋をつけた関係改善路線を継承し、最終的に79年に国交正常化を実現した。当時のソ連とも、核軍縮に向けた第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)を進めた。
一方、景気低迷と物価高に苦しめられた。79年11月には、イランの親米政権を打倒した革命勢力の学生らがテヘランの米大使館を占拠し館員らを人質にとる事件が発生。80年4月に決行された米軍の人質救出作戦が失敗し、再選を目指すカーター氏には致命的な打撃となった。同年の大統領選で、共和党のレーガン氏に大敗し、1期4年で退いた。
退任後は「元大統領」の立場で民間外交に力を入れた。94年6月、米大統領経験者として初めて北朝鮮を訪れ、金日成(キムイルソン)主席と会談し、核開発問題を巡る同年10月の「米朝枠組み合意」の地ならしになった。
ボスニア・ヘルツェゴビナやハイチといった紛争地の緊張緩和にも積極的に関与し、2002年にノーベル平和賞を受賞した。自身が設立したカーター・センターで、感染症対策や貧困地での医療向上に取り組んだ。
15年にがんが見つかったと公表。近年は入退院を繰り返し、23年2月からジョージア州の自宅で在宅ホスピスに移っていた。
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