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ウクライナで戦死した台湾人義勇兵の思い㊦ 親友だった日台兵士がともに犠牲に 「来世があるならば、また友人になりたい」

産経ニュース / 2024年12月23日 8時0分

戦死した台湾人義勇兵、曽聖光氏の写真を手に訓練時の思い出を語る沖縄県の男性=11月13日、台湾高雄市(西見由章撮影)

ロシアによるウクライナ侵略開始後、台湾から15人前後が義勇兵としてウクライナ側に参戦し、2人が死亡した。上編に続き、戦地に身を投じた「思い」をたどる。

訓練を経て日台の義勇兵が親密に

台湾人義勇兵のもう一人の戦死者、曽聖光さん=享年(25)=はロシアの侵略開始から8カ月余り後の2022年11月2日、ウクライナ東部ルガンスク州で戦闘中に、ロシア軍戦車の砲弾を受け死亡した。

「(台湾に)帰るべきだろうか」。陸軍出身の曽さんは西部リウネで訓練を受けていた同年8月、ペロシ米下院議長(当時)の台湾訪問に反発した中国軍の活発な動きを伝える記事を交流サイト(SNS)でシェアし、台湾防衛への思いをにじませた。

曽さんの戦死から1週間後。福岡県南部出身の日本人義勇兵の男性=享年(28)=も戦場で命を落とした。男性は曽さんとともに訓練を受け、親友となっていた。曽さんの死を受け、SNSに「私たちに来世というものがあるならば、また彼と友人になりたいです」と書きこんでいた。

戦死した日台の義勇兵2人と同じ訓練施設で寝食を共にしたのが、沖縄県在住の男性(53)だ。陸上自衛隊で勤務経験があった男性は22年7月にウクライナに渡り、軍と契約して正規入隊。リウネで2人と共に約2週間の訓練を受けた。

男性によると、曽さんは日本が好きで日本語も勉強していた。曽さんと戦死した日本人義勇兵は、終戦後には互いの故郷を訪れる約束をしていたという。

「2人とも努力家で、周りからの信頼も厚かった。この人のために動いてあげようと思える人たちだった」。男性は、ウクライナでの2人の様子をそれぞれの遺族に伝えた。曽さんの遺族はその後訪日し、日本人義勇兵の遺族と面会したという。

男性は今後も曽さんと日本人義勇兵への慰霊を続けていく考えだ。曽さんの3回忌にあたる今年11月には台湾に渡航し、故郷の東部・花蓮にある納骨堂を訪ねた。

「一緒にいた時間は短かったが、ウクライナのために、という同じ志と義で動いていた。自分にできることは続けたい」。来年には2人がウクライナのために戦ったことを後世に伝えるため、現地で桜を植樹する計画だという。

「損耗不明」な2万人の義勇兵

台湾の外交部(外務省に相当)によると、ウクライナへの渡航警戒レベルは4段階のうち最も厳しい「赤色」で、「早急な出国」を求めている。

日本政府もウクライナ全土に退避勧告を出し、外国人部隊への参加に自制を促す。日本人延べ数十人が外国人部隊で活動したとみられているが、義勇兵参加は刑法の「私戦予備・陰謀罪」に問われる可能性も指摘される。

ウクライナ側で参戦する外国人兵士にとって、リスクは交戦時の死傷だけではない。ロシア側はウクライナ軍に参加する外国人兵士を「傭兵」とみなし、戦闘員が捕虜となった際の国際法上の権利を与えていないとされる。ロシア側の「みせしめ」裁判で死刑判決を受ける可能性もあるのだ。

ウクライナでの戦闘に参加した台湾人義勇兵の1人、潘文揚さん(25)も「捕まれば、そのまま銃殺されたり死刑判決を受けたりする恐れがある。そうした状況になることは極力避けようとした」と話す。

ウクライナのゼレンスキー大統領は12月上旬、ロシアによる侵略開始後にウクライナ側の兵士4万3千人が戦死したことを明らかにした。一方、ウクライナを支援するため50カ国以上から約2万人が参加したとされる「外国人義勇兵」を巡り、損耗の全容は不明だ。

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