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甲子園や南海球団で活躍の岡村俊昭氏、出身地の台湾で脚光 出自の謎解明した伝記出版

産経ニュース / 2024年8月3日 8時10分

台湾出身の元プロ野球選手、岡村俊昭氏の伝記の出版にあたり講演する鄭仲嵐さん=7月、台北市(西見由章撮影)

【台北=西見由章】日本統治時代に台湾から日本本土に渡り甲子園やプロ野球南海で活躍した岡村俊昭氏(1912~96年)の伝記を、台湾のジャーナリストが現地で出版した。謎に包まれていた岡村氏の出自の新事実を発掘した。執筆に協力した日本の研究者は「野球の文化史や日台交流史として意義のある書物だ」と評価している。

伝記は現在、東京在住の鄭仲嵐さん(39)が8年かけて執筆した「岡村俊昭を追って」。岡村氏は39(昭和14)年にプロ野球の南海に入団し、44(同19)年に首位打者となった。49(同24)年に引退後はコーチや2軍監督、スカウトを務めた。

台湾東部、花蓮出身の岡村氏が本土に渡ったきっかけは25(大正14)年、花蓮の先住民の少年で結成した野球チーム「能高団(のうこうだん)」が本州を転戦し、その活躍が野球ファンを沸かせたことだった。京都の平安中(現龍谷大平安高)は能高団の3人を留学生として招き、28(昭和3)年頃には16歳だった岡村氏を呼び寄せた。

だが、台湾では日本統治時代の資料の多くが失われており、岡村氏の台湾時代は謎が多い。鄭さんは京都市に住む岡村氏の家族や南海時代の同僚らを訪ねたが、岡村氏は平安中卒業後、故郷に一度も戻らず、家族にも語っていなかった。手掛かりは1枚の写真だけ。晩年の岡村氏が花蓮の関係者と一緒に写っていた。

父親が花蓮出身の鄭さんは「足を使って調べよう」と決意。現地を訪れて苦労の末、岡村氏の親族を探し当てた。父が中国広東省にルーツを持つ客家、母が先住民のアミ族で「オラム・ファラハム」という民族名があった新事実も判明した。

鄭さんは「謎が解けたときは、野球の神様がいるのかと思った。約100年前に台湾から日本本土に留学し、苦労を乗り越えて野球界で活躍した岡村氏の姿を知ってほしい」と話す。台湾の野球評論家からも「野球界の謎が一つ解けた」などと反響があるという。

執筆に協力した関西大の永井良和教授(大衆文化史)は「当時は外地出身者への差別もあったが、野球は実力の世界で、グラウンドでは差別を超える世界があった。そのことを日本の人たちにも知ってほしい」と話している。

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