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台湾の浜辺に眠る数千の戦没者 「祖国へ帰還」目指し発掘調査へ 慰霊祭に90人

産経ニュース / 2024年11月17日 16時31分

台湾南端の屏東県恒春に漂着した戦没者の遺骨の埋葬場所を調査している舘量子さん=13日、高雄市(西見由章撮影)

【台北=西見由章】先の大戦中に台湾南方のバシー海峡周辺で戦没した日本人将兵を悼む慰霊祭が17日、台湾南端の屏東県恒春にある潮音寺で行われ、遺族ら約90人が参加した。恒春の浜辺に漂着した数千人に上るとみられる戦没者は、現地住民により浜辺に埋葬されたままだ。来年の戦後80年には「祖国へ帰還」させようと、日本の民間人と台湾側が協力して発掘調査に乗り出そうとしている。

慰霊祭は戦後70年の2015(平成27)年、作家の門田隆将さんの呼びかけで日本人有志が実行委員会を組織して初開催。10回目の今年も例年通り、海峡に沈んだ駆逐艦「呉竹(くれたけ)」の艦長を父親に持つ佐賀・禅林寺住職の吉田宗利さん(82)が導師を務めた。

バシー海峡周辺では米潜水艦などに日本艦艇や輸送船が相次いで撃沈され、10万人以上が犠牲になったとされる。ただ台湾に漂着した戦没者の遺骨収集は戦後79年を経ても進まない。遺骨収集は国の責務だが、外交関係がない台湾での日本政府の動きは低調だ。

そうした中、台湾南部・高雄在住の舘量子(たちかずこ)さん(42)は5年前から、遺骨の埋葬場所を地元住民と協力しながら自費で調査している。「当時、1カ月半にわたって砂浜で遺体を焼き続けた」といった古老の証言を得て、複数の埋葬場所を特定した。深さ5メートル前後の溝が掘られていたといい、数百以上の遺体が埋められた可能性がある。

証言によると、当時は60人ほどの生存者もいた。瀕死(ひんし)の状態だった部下の頬(ほほ)をたたいて「ばかやろう、ここまで来たじゃないか。まだ命があるだろう」と励ます日本人将兵の姿も目撃されていた。寒さで震える漂着者たちを住民らが家に連れていき、風呂に入らせ、お粥(かゆ)を食べさせたという。

舘さんは、戦後80年の来年には発掘調査に踏み切りたい考えだ。台湾当局は発掘を許可した。ただ費用は数千万円かかる可能性があり、クラウドファンディングを検討する。遺骨収集事業を所管する厚生労働省にも情報を伝えているが、反応は芳しくない。

日本政府が台湾で国主催の慰霊祭を開かず遺骨収集にも消極的なのは、台湾を「中国領土の一部」と主張し公的交流を認めない中国への配慮も見え隠れする。

慰霊祭の立ち上げ時に実行委副委員長として参画した舘さん。戦没者慰霊に関心を持ったきっかけは、大学時代の台湾研修で元日本兵の高齢者たちに話を聞いたことだった。

「日本人は悪いことをしていない。僕たちはあの戦争を一緒に戦ったからはっきり言える。胸を張りなさい」。日本は戦争で悪いことをしたアジアの嫌われ者というイメージを抱き、日本人として自信が持てなかった舘さんにとっては衝撃的で、「うれしくて涙が止まらなかった」という。

元日本兵の台湾人からもっと話を聞きたいと考えた舘さんは「生半可な気持ちでは失礼だ」と考え、自分を鍛えなおそうと大学卒業後に陸上自衛隊で2年間勤務。その後、日本語教師として台湾に渡った。

「戦没者の慰霊を大切にされている台湾のおじいさんたちの思いをつなげたい。ご遺骨の帰還に向けて、最後は国も動いてくれると信じています」と舘さんは話す。

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