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「光見えない」日本に避難したウクライナのデザイナー 長期化する戦闘に増す不安と悲しみ

産経ニュース / 2024年11月19日 21時32分

ウクライナからの避難民で、デザインした付け襟を手にするファッションデザイナーのナタリア・ゴロドさん(右)と長女のビクトリヤさん=大阪府箕面市(鳥越瑞絵撮影)

ロシアが2022年2月にウクライナへ軍事侵攻を開始してから19日で1000日となった。「光が見えなくてつらい」。目に涙をためてそう語るのは、ウクライナから長女とともに日本へ避難してきたファッションデザイナー、ナタリア・ゴロドさん(47)だ。大阪でデザイナーの仕事を意欲的に続けながらも、長期化する戦闘に不安と悲しみは増す。

ナタリアさんは2013年に首都キーウで衣服制作のアトリエを設立、2016年には自身のファッションブランド「N.Gorod」を立ち上げた。手がけた服はフランスや英国などでも販売されるようになった。

特徴はウクライナの伝統を取り入れた優雅なデザイン。インスピレーションを受けているのは、幼い頃に見たウクライナの景色や自然だ。

その情景は2022年2月24日に一変した。キーウもロシア軍による爆撃を受け、時には極寒の地下シェルターでの生活も余儀なくされた。誰とも分からぬ人物から銃を突き付けられたこともある。「常に死の1秒前の世界」。戦場と化した母国をそう表現する。

長女のビクトリヤさん(16)を連れ、ポーランドやフランスへ避難した。「あのときは娘のことがただただ心配だった。本当に生き延びられてよかった」と振り返る目に、安堵と悲しみが入り交じった涙が浮かぶ。

どんなときも娘の未来を考えた。「戦争下では子供はすぐに大人になって夢を持てなくなってしまう。そうはしたくなかった」。侵攻から4カ月後の6月、その手を引いて文化への関心からビクトリヤさんが言葉を勉強していた日本へ逃れ、現在は大阪府内で暮らしている。

ビクトリヤさんは日本の大学で医学を学ぶことを目標に、大阪市内の高校に通っている。ナタリアさんは「故郷に戻って家族に会いたい気持ちもあるけど、今は娘の将来の夢をサポートしてあげたい」と語る。

ナタリアさんは日本でもデザイナーの仕事を続けている。デザインのデータはキーウの工場へ送り、完成した衣服を日本へ輸入する。「現地の工場で働く人たちの雇用を守りたい」からだ。

地元企業とコラボレーションした商品企画に携わったり、ファッションショーの開催を計画したりするなど意欲的に仕事に取り組むが、母国の情景は日常を取り戻せていない。

 しかし、ウクライナは「美しさと力強さ、不屈の精神に満ちた国」とナタリアさん。「強い精神力と同盟国の支援があれば、困難を乗り越えることができると信じている」と話した。(藤木祥平)

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