【書評】イメージ打ち砕く様が壮観 『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』小川剛生著

産経ニュース / 2018年1月14日 13時32分

 中学、高校の教科書を通して、あるいは受験のために『徒然草』にふれ、その作者、兼好についてなんとなくイメージを持っている人は多いだろう。

 この書を読めば、そのイメージは大きく更新され、よりシャープなものとなるにちがいない。私も、そうなった一人である。ここ60年来の兼好についての知の枠組みが、見事に打ち砕かれていく様(さま)は、壮観といってよい。

 兼好は生きていた当時の14世紀前半頃、『徒然草』の作者というより歌人として有名であった。『勅撰集』では常に「兼好法師」と呼ばれている。一方、今までの兼好伝の基本「卜部(うらべ)氏系図」では、「六位蔵人(ろくい・くろうど)、左兵衛佐(さひょうえのすけ)」とキャリアが書かれており、これが真実なら『勅撰集』では実名で表記されるはずである。そうなっていないのはなぜか…という疑問が著者の出発点であった。

 周到な考察の果てに著者は「卜部氏系図」の兼好の項は、15世紀後半に吉田神道を確立したやり手の神職、吉田兼倶(かねとも)によって、先祖に有名人を組み込むために捏造(ねつぞう)されたものだと明かす。

 そして、この系図を捨てるかわりに伝記の根本史料となるのが、神奈川県の称名寺に伝来した『金沢(かねさわ)文庫古文書』である。いままで何人もが挑戦してきた兼好情報を伝える文書が、著者の深く広い学知によって、初めて的確に分析されていく。

 この分析から、鎌倉幕府の執権を後に務める金沢貞顕(かねさわさだあき)の使者として行動する兼好や、鎌倉・金沢にルーツを持つ無位無官の若い兼好が見えてくる。こうして兼好イメージの反転が起こっていくのである。

 使者として登場する若者、兼好は「遁世(とんせい)」によってさらに自由の身となり、抜群の記憶力と博識を生かし、文学的才能と実務能力の両方を生かし、京都を舞台として、階層間や多元的権力間をつないで動乱の世を生き抜いた。

 のちの室町将軍は、こうした遁世者を多く抱え込んで交渉事にあたらせつつ文化の先頭を切らせたのだが、先駆にあの兼好がいたのである。(中公新書・820円+税)

 評・松岡心平(東京大教授)

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