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【熱海土石流】“あの日”から3年…「every.しずおか」津川アンカーが中継で伝える被災者の思い(静岡)

Daiichi-TV(静岡第一テレビ) / 2024年7月3日 18時50分

Daiichi-TV(静岡第一テレビ)

2021年7月、静岡・熱海市で起きた土石流は、盛り土が崩落したことで被害が拡大し、28人が亡くなりました。あの日から3年。2024年7月3日、被災地では多くの人が犠牲者を悼みました。

田中公一さん74歳…。

(妻を亡くした 田中 公一さん・74歳)

「ここが我が家でここが入口。階段から上がってきて玄関がここにあった」「上の状況を見に行っている間に自分の所がやられてしまった」

発生直後、近所の人たちを探そうと家を出たという田中さん。その間に自宅が土石流に流され…、自宅の近くからは妻・路子さんの遺体が見つかりました。

(妻を亡くした 田中 公一さん)

「助けてやれなくてごめんねと、本当はもっと楽しいこれからの人生があった。あいつに全部背負わせてしまってごめんねという気持ち」「(3年経って)ある程度生活拠点ができた。ここの被災地をどういうふうに自分なりに先祖からいただいたものを守っていくか」「怒りはあるけど、前面に出して4年目に入っていくことはしたくない」

田中さんは現在、伊豆山の別の土地に新しい家を建て、1人で暮らしています。妻の路子さんは、孫たちと会うことが一番の楽しみだったといいます。

(田中さんの孫)

「おめでとう、ばあちゃん。」

(妻 路子さん・当時70歳)

「ははははは、ばあちゃんとってもうれしいです」「エプロン着けて頑張ってお料理作るね」

リビングの壁には、土石流の発生後に孫たちが描いた田中さんと路子さんの絵が飾られていました。

(妻を亡くした 田中 公一さん)

「この場所は、路子が見ている正面にあたるところ」「ばあばはいつも見ているよと。そういうつもりでこのスペースは空けてある」「けさ仏壇に手を合わせたときは、ありがとなと感謝した。多分、全部をあたたかく見守ってくれているような気がするんだよね」

〈スタジオ〉

(徳増 ないる キャスター)

土石流から3年が経った熱海市伊豆山から再び中継で伝えてもらいます津川さん!

(熱海市伊豆山・中継)

(津川 祥吾 アンカー)

こちらには、VTRでも紹介した被災者であり、妻・路子さんを亡くされた田中公一さんに来ていただきました。

(津川 祥吾 アンカー)

田中さんよろしくお願いいたします。

(妻を亡くした 田中 公一さん)

よろしくお願いいたします。

(津川 祥吾 アンカー)

いま、来ていただきましたと申し上げましたが、ここは私たちがおじゃましているところです。田中さんのもともとご自宅があったところですね。

(田中 公一さん)

我が家があっ たところです。

(津川 祥吾 アンカー)

今これどういった形なんですかね?

(田中 公一さん)

ここに住んでいて、それで女房が花が好きだったもので、向こうの方からモッコウバラがあったり、それからショウブがあったり、水に絡む草花、それから、ほかのハーブだとか、この中には結構いろんな花が咲いておりました。

(津川 祥吾 アンカー)

奥様が全部お世話されたですか?

(田中 公一さん)

そうです。私は植木は切るけど、花は切りませんでした。

(津川 祥吾 アンカー)

これからこの土地はどうされる予定ですか?

(田中 公一さん)

ここをですね、できれば、ちょっと花を植えながら、あと残りを駐車場か何かに再利用していこうかなと思って…。

(津川 祥吾 アンカー)

奥様が好きだった花を植えて…という形でしょうかね。

(田中 公一さん)

はい、そんなことを考えております。

(津川 祥吾 アンカー)

きょうで、あの日から3年ということですが、この3年間でお気持ちの変化というのはいかがでしょうか?

(田中 公一さん)

あるんですが、やっぱりまずは、助けてやれなくてすまないなって、 その気持ちが強いですよね。それで、あとはですね、報告みたいな形ですね。もう、子ども、孫は、頑張っている…私が頑張っている時には任しておけと…そういう報告がでうんできればいいかなと思ってます。

(津川 祥吾 アンカー)

いま、この復興の状況を奥様に報告されたら、奥様はなんておっしゃいますかね?

(田中 公一さん)

なんか遅いんじゃない。

(津川 祥吾 アンカー)

お叱りをいただくところでしょうかね。

(田中 公一さん)

まあ私はね、どうにか新しい家に入れましたから、それから色々とこの辺も変えて いこうかなと思っております。

(津川 祥吾 アンカー)

ここは河川と道路を新しくして、こちらの一部は売却されたということですよね。

(田中 公一さん)

ここ全部で300平米ぐらいあったんですが、そのうちの約100平米を県と市に、河川と道路用地で売却しております。

(津川 祥吾 アンカー)

その工事が、売却されてもなかなか進まないという現状ですが、田中さんにとって、 こちらの地域の「復興のゴール」というものがあるとしたら、どういうものだと思いますか?

(田中 公一さん)

やはりね、早く、河川と道路ができて、それで繋がる。そして、ここに、いまでも空いてるスペースが多々出てくると思うんですね。たから、そういうところに、市外から来て「伊豆山に住むよ」と言ってくれて、1軒でも2軒でも建ってきた時がゴールじゃないかなって私は感じております。

(津川 祥吾 アンカー)

わかりました。復興の事業、非常に大変なところがありますが、被災者の皆さんの心をしっかりと大切にしながら、復興が進むことを心から祈りたいと思います。田中 さん、きょうはどうもありがとうございました。

(田中 公一さん)

こちらこそありがとうございました。

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