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マニフェスト大賞がもたらした功と罪~過去の10年を振り返り、新たな10年を見据えるために~

政治山 / 2016年7月20日 17時30分

 地方政治に光をあてる「マニフェスト大賞」が創設されて早10年が経過した。この間、議員・議会や首長に加えて市民の応募が可能になり、3.11以降に震災復興賞が増設されるなどして裾野を広げたこの取り組みの知名度は、応募総数(第1回221件→第10回2467件)から見ても確実に上がったと思われる。

 くしくも私の議員生活とほぼ同期間を共にしてきたこのマニフェスト大賞節目の年に、自戒を含めつつ運営側の視点からこの10年間を厳しく考察してみたい。

意義と価値

 北川正恭早稲田大学名誉教授が提唱した「マニフェスト」という概念は、それまでの曖昧模糊としていた政治家の“公約”というものに期限・財源・手法・数値などを盛り込み、事後に検証を可能にした意義が大きい。無論、有権者の政治不信からの脱却と民意の確実な反映をもくろむことも大前提に据えられている。

 地方議会ではいわゆる“正論”よりも“数の力”が左右することもしばしばあり、価値前提とした議論が行われにくい現状を変えるには外部からの評価の視点が必要不可欠である。議員が最低限必要とする知識を知る目安として今では『議員力検定』という検定まであるくらいだが、“ムラ社会”と揶揄(やゆ)されることの多い地方議会が、このマニフェスト大賞を通じて全国から集めた政策や取り組みの中で比較され、外側から評価を与えられることの意義は大きい。

第7回マニフェスト大賞受賞式「優秀コミュニケーション賞」

目を背けてはいけない課題

 一方、10年も関わっているとおのずとその抱える課題も浮き彫りになる。今回はその中でも特に大きな2点を挙げたい。それは、1つに応募総数と質であり、もう1つには二極化の問題である。

 マニフェスト大賞の応募総数だけ見れば、確かにこの10年、減ることなく右肩上がりで増え続けている。これ自体は世間の関心が高まってきたことの証拠であり、喜ばしいと言えよう。しかし、内情を見ると諸手を挙げて喜んでばかりもいられない。現実には応募は一部の熱心な議員(議会・首長・市民団体等含む)が複数の応募をしているケースも多々あるし、協賛しているマニフェスト研究所や運営委員の紹介による応募も多いのだ(やはり、優れた政策を追い求める人は探求心豊かで、他人の優れた政策にも敏感だともいえる)。そして例年、応募締め切りの8月末には競うように応募が殺到している。

 しかしその一方で、応募“初心者”からは戸惑いの声も漏れ聞こえてくる――「議会改革といえば○○議会が有名だから、どうせウチは応募するだけムダでしょ?」――といった声である。授賞者がさらに発奮して取り組みを練磨させ、翌年再び授賞するケースも珍しくない今、応募のハードルが上がったと感じる初心者も出てくるのは当初から当然の懸念事項であった。運営委員は公正中立を保つために審査に関わっていないので何とも言えないが、応募すること自体の意義がまだ充分に理解されているとは言い難い。

 かくいう私自身、先進事例を目の当たりにするたびに自分の議会の現状と比較してしまい、羨望を通り越して途方に暮れることが毎年のようにある。しかし、その感覚を覚える行為自体にも様々な意義があり、同時に新たな創造意欲の一助ともなる。進んだ世の中を知らない井の中の蛙でいるよりは、あらゆる可能性のスタート地点に立つことができるだけ、よっぽどいい。

 これらの課題は、この大賞が10年の歴史をかけて作り上げた功績と罪のいわば表裏一体の産物と考える。ここから我々は決して目を背けてはならず、心して次の10年に臨まねばならない。

これからの役割

 とはいえ、マニフェスト大賞が持つ役割は非常に大きく、未来に向けてその大きさをより増していくだろう。

 特に意義深いと感じているのは、数年前から始まった「プレゼン研修会」である。授賞式前日に行われるこの研修会では、授賞者から先進事例の内容がお披露目されるのだ。授賞者は3分という短い時間で取り組みを発表せねばならない。私が授賞した年はこの研修会の取り組みが始まったばかりで、何もかもが手探りであったのを覚えている。内容をまとめるのに非常に苦労したが、今ではそれも含めて授賞者も参加者も同時に研鑽(さん)できる貴重な場として確立されている。

 特別審査委員の箭内道彦氏が「(授賞式は)1年の中であの1日が象徴的な日だけど、他の364日の中でいろんな交流が行われていると思う」(月刊ガバナンス・2015年9月号)と語っている通りで、授賞するまでの方が遥かに長い準備研究の期間を要し、また、授賞後のさらなる展開への期間こそが重要で、そこまで含めてどれだけしゃぶり尽くせるかがこの賞の恩恵であり、本質であると考えている。

 それは同時に、不断の努力を必要とする民主主義社会の成熟とも不可分である。つまり、重要なのは一過性で終わらせないことだ。最初は政治や地方自治に対する興味本位からでもいい。応募するのがまず第一歩である。中には自分が授賞しただけでは飽き足らず、さらにその先の展開(より広いマニフェスト運動の普及や、さらに進んだ政策を全国から募集する活動等)を求めて実行委員になる者が増えたのも自然な流れと言える。

 マニフェスト大賞を「知る」→「応募する」→(「授賞する」)→「実行委員になる」というサイクルが確立されたのは、このマニフェスト運動が一部の“熱心な”人たちだけのものでなく、時には市民や政治家といった枠すらも越えて我々が手を携え、日本全国によりよい取り組みを展開することと密接に繋がっている。

 これらを含めて、次の10年間でここから更にマニフェスト大賞がどれほど深化するのかが問われているのだ。

終わりに~まだ見ぬ未来に会いに行く~

 冒頭の北川名誉教授によると『管理あって経営なし』の中央集権時代はもはや終焉(えん)を迎えたという。これからの住民自治には、市民も政治家もやらされ感ではなくボランタリー精神(自発性)を持って社会へ意見を届けることが重要になる。その表明方法の最も分かりやすいものが選挙(投票)なのは間違いない。折しも選挙権が18歳に引き下げられた初の参議院選挙も終わったが、投票ほど格式張っていない分、平素から自分の関心に従って、楽しみながら応募できる「マニフェスト大賞」は、気軽な政治参加のツールの一つともいえる。しかしこれが時には社会の大きなムーブメントにまで広がる可能性も秘めている点は非常にエキサイティングだ。社会にモノ申す選択肢が増えるという意味ではこのマニフェスト大賞もまた“新しい参政権”といったら言いすぎであろうか。

 次はどんな新しい取り組みが出てくるのだろうか――期待を隠せない第11回マニフェスト大賞は、8月31日まであなたの応募を待っている。

        ◇

政策立案を行う「政策型議員」を目指す地方議員らで構成される「ローカル・マニフェスト推進地方議員連盟」(略称:LM推進地議連)の連載・コラムです。

<松戸市議会議員 山中啓之/マニフェスト大賞副実行委員長>

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