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1999年都知事選との不思議な因縁

政治山 / 2016年7月21日 11時50分

 今回の都知事選は戦後20回目となりますが、候補者数21人は過去最多です。これまでの最多は1999年4月に行われた第14回都知事選で19人でした。

 この時の選挙も保守分裂の選挙となり、今回と関係のある人物が多く登場するなど不思議な相関性があります。

(グラフ)都知事選の候補者数推移

自民、党本部と都連の一部が分裂

 1995年の都知事選でほとんど組織の力を借りずに当選した青島幸男知事が不出馬を表明し、民主党を離党した鳩山邦夫氏(今年6月21日死去)を後継指名しました。

 一方、自民党本部は森喜朗幹事長が指揮を執って、明石康・元国連事務次長を擁立します。この年の10月に成立する自自公連立政権に配慮し、公明党との選挙協力を円滑にするために同調しやすい人物を選んだ結果でした。

 ところが、柿澤弘治・自民党東京都連幹事長がこの決定に反発し、衆院議員を辞して立候補します。柿澤氏は党に反旗を翻したとして自民党を除名されました。現在、民進党所属の柿沢未途・衆院議員(沢は略字体)は、この時の父の出馬を機にNHK記者を辞職し、政界に入るきっかけとなりました。

 保守分裂はこれに留まりませんでした。今回辞職した舛添要一氏も、自民党都連の一部に推されて無党派で立候補します。

保守陣営5分裂の大乱戦

 さらに告示直前のタイミングで、1995年4月に国会議員を辞職していた石原慎太郎氏が、1975年以来の都知事選出馬を表明しました。結局、保守陣営から石原、鳩山、舛添、明石、柿澤の5氏が乱立する大混戦となります。

 選挙戦のさなかに石原氏は自民党都連から怪文書を撒かれ、ファクス送信した人物を告訴し、自民党や都連が謝罪に追い込まれました。

 現在の都連会長は石原氏の長男である石原伸晃・経済再生担当相。今回、都連が推薦していない候補者を議員本人や親族が応援した場合に「除名等の処分の対象」とする文書を石原都連会長、幹事長の内田茂都議らの連名で所属議員らに配布し物議を醸しています。父・慎太郎氏は自民党と対決する立場でしたが、長男・伸晃氏は都連会長として指揮する立場です。

当時も都知事選に伴い補欠選挙

 また当時、立候補した鳩山邦夫、柿澤弘治の両衆院議員の辞職に伴い、東京2区・15区の補欠選挙が同時に行われましたが、今回の都知事選でも小池百合子議員の自動失職に伴う東京10区の補欠選挙が10月23日に行われる見通しです。当時の候補者だった鳩山邦夫議員の死去に伴う福岡6区の補欠選挙も同様です。

 鳩山邦夫氏と舛添氏には不思議な共通点があります。同じ1948年生まれで、同じ1971年に東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業しました。舛添氏が6月21日付で知事を辞職したその日、奇しくも鳩山氏の訃報が飛び込みました。1999年の都知事選では、鳩山氏が85万1130票を獲得して次点に終わり、3位に終わった舛添氏は83万6104票で、1万5026票差の僅差でした。

上位4人を保守系候補が独占

 一方、自民党本部と公明党が推薦した明石康氏は69万308票の4位に終わり、当選した石原氏とは100万票近い大差で敗れました。上位4人を保守系の候補が占め、保守分裂の影響を感じさせない結果となりました。

 当時、自民党幹事長で翌年に首相となった森喜朗氏は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長として、現在も都政に深く関与しています。

<株式会社パイプドビッツ 政治山カンパニー 編集・ライター 上村吉弘>

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