「デジタル・ゲリマンダー」SNSによる選挙介入の実態
政治山 / 2016年12月2日 11時50分
最近、アメリカで「デジタル・ゲリマンダー」という問題が提起されるようになってきた。
ゲリマンダーというのは、もともとは選挙区の境界線を、ある党派が他の党派よりも有利になるように恣意的に画定することである。
ゲリマンダーの語源は、1811年、マサチューセッツ州知事エルブリッジ・ゲーリー(Elbridge Gerry)が、州議会の選挙に際し、エセックス・カウンティ(Essex County)の選挙区を自派の民主党に有利になるように恣意的に画定したことにある。その選挙区の概観がサラマンダー(salamander. 火とかげ。伝説上の怪獣で火の中に住むという)に似ていたので、画家が翼と爪を加えてイラストを描き、それが新聞に風刺漫画として掲載されたので、一躍有名となったという。
一票の格差是正から生じる歪な選挙区
アメリカでは、ゲリマンダーは依然として深刻な問題である。
というのは、アメリカの連邦下院議員選挙は、選挙区間人口の平等が極端に厳しく要求されるので、地理的な区画や行政区画を無視して選挙区割りを行わざるを得ないからである。日本では、最高裁判所をはじめとする裁判所の判断を受け、衆議院議員選挙については一票の格差を1対3以内にすることを目指して区割りが行われてきたが、アメリカの連邦下院議員選挙では、1対2どころか、選挙区間人口の差が数パーセント以内となるように区割りを行わなければならない。このため、選挙区間人口を平等にすることを口実として、意図的な選挙区割りを行うことも、ある意味では容易である。
さらに、1980年代以降、マイノリティの政治的権利を保障するために、マイノリティの代表が選出されやすいように、意図的なゲリマンダーが行われてきた。これをマイノリティ=マジョリティ選挙区割りというが、その可否も大きな問題となっている。
世論操作を通じた投票行動への影響力行使
ところで、デジタル・ゲリマンダーは、このような選挙区割りにおけるゲリマンダーとは様相を少々、異にする。デジタル・ゲリマンダーを問題にしているのは、ハーバードロースクールのジョナサン・ジットレイン教授である。ジットレイン教授は、SNSによる世論操作を通じた投票行動への影響力行使を、「デジタル・ゲリマンダー(digital gerrymandering)」と呼んで批判している。
最近のインターネット選挙運動は、Facebook、Twitter等のSNSによって展開されることが多い。今回のアメリカ大統領選挙においても、各陣営はSNSを駆使して選挙戦を展開した。
これに伴って、さまざまな問題が浮上しているが、その一つに、これらのSNSを運営する事業者は、意図的な情報操作や投票行動への影響力行使が可能という点が挙げられる。
その一例として、日本でも利用者が多いFacebookは、「感情伝染実験」の一環として、有権者に対して特別なメッセージを表示することで投票行動に影響を与えることができるかどうかを試していた。Facebookは、2010年の米中間選挙の投票日である11月2日、18歳以上のユーザー約6100万人を選び出し、ユーザーのニュースフィードの一番上に、「今日は投票日です」というメッセージを表示させた。その結果、このメッセージを表示させることによって、投票者が実際に増えたという。実験の結果は、論文にまとめられて、『ネイチャー』誌に投稿され、紙上で公開されている。
その後も、Facebookは投票率を上昇させるためのさまざまな実験を行っていることが報じられている。今回の大統領選挙において実験を行ったどうかは明らかにはなっていないが、全体の投票率を上昇させるのではなく、特定のユーザーだけを選び出してその投票率を上げるのであれば、それは明らかに選挙結果に影響を与えうる。これは、投票率向上のための啓発というよりも、世論操作を通じた投票行動への影響力行使と批判されても仕方がないであろう。
公選法では問えないSNSの中立・公正性
ところで、このような実験が日本で行われた場合は、どうなるであろうか。
おそらく、これらのSNS事業者による世論操作や投票行動への影響力行使を、公職選挙法をはじめとする日本の法律で規制することは困難である。人気投票の禁止など、公職選挙法で禁じられている行為にはあたらないと考えられるからである。
またSNSを運営する事業者は、マスメディアとしての扱いを受けていない。このため、電気通信事業法にいう電気通信事業者や、プロバイダ責任制限法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)にいうプロバイダ(特定電気通信役務提供者)にとどまり、マスメディアのように政治的中立や内容の公正性に関する法的規制や義務の対象とはなっていない。マスメディアは「第4の権力」といわれることもあり、社会的・倫理的要請に基づく一定の自律性が維持されてきた。しかし、これらのSNS事業者はメディアとしての公的な性質と責務を必ずしも自覚していないか、それに否定的なのではないだろうか。
そもそも、Facebookは外国の企業であって、国内法である公職選挙法で規制したとしても、実効性を欠く。選挙の公正を維持するために、日本国内の事業者に対して公職選挙法その他の法令でさまざまな規制を加えたとしても、海外の事業者には規制は及ばないのが実情である。
この点については、実は2013年にインターネット選挙運動を解禁する際にも問題となっていた。インターネット選挙運動等に関する各党協議会「改正公職選挙法(インターネット選挙運動解禁)ガイドライン」は、このような海外事業者の問題について、「海外のウェブサイトによる情報発信等、取締りに限界があることは事実であるが、これは現行の公職選挙法でも同様である」としている。しかし、従来は選挙に海外の事業者が介入するということが非現実的であった。海外から介入するための手段が限られていたからである。したがって「これは現行の公職選挙法でも同様である」といって済ますこともできた。しかし、Facebookが実験を行ったように、現実にアメリカではSNSによる世論操作が行われている。それは、日本の選挙を対象として行われる場合もありうるだろう。
放送や通信等の領域においては、海外からの介入の危険性を理由として、外資規制が行われている。それに比べると、現実に、海外のSNS事業者によって選挙に介入される危険性があるのに、それを看過してよいのか。もう一度考えてみる必要がありそうである。
<情報セキュリティ大学院大学教授 湯淺墾道>
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