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「対話」を通した学び合いにより主体的な市民が育つ~首長部局がリードする「地方創生に向けた学び合いの場」の可能性2

政治山 / 2017年7月6日 12時10分

「ナナメの関係」と「越境学習」

 今回のコラムでは前回に引き続き、「対話」「地方創生」「シチズンシップ教育(主権者教育)」を柱に筆者の考えを整理していく。

 「ナナメの関係」という言葉がある。タテの関係は、子どもたちにとって親や先生。上下がはっきりしていて、依存または反発の関係になってしまいがちだ。逆にヨコの関係は、友達や同世代。同一性が高く、交わされる話も雑談が多くなる。「ナナメの関係」とは、親や先生、友達や同世代でもない、利害関係の無い第三者の大人と子どもとの新しい関係のことを指す。

 文部科学省も、「学校は地域の人材を活用してナナメの関係をつくろう」と、学校内外で子どもが多くの大人と接する機会を増やすことを訴えている。「ナナメの関係」により、子どもは幅広い価値観と生き方を知ることができる。自分の親からは怒られてばかりかもしれないが、親ではない大人から褒められることで、自己肯定感が生まれる場合もある。

 「経営学習論」の概念で、「越境学習」という考え方がある。「越境学習」とは、個人の所属する組織の境界を行き来しながら学習し、気付きを得るというものだ。自治体職員が、民間企業の社員と一緒に研修を行うことなどがこれに当たる。「ナナメの関係」は、まさに「越境学習」である。

 人は自分の枠組を通して、自分、他者、世界を見ている。その枠組は、自らの経験から蓄積され形作られていく。そのため、大人と比べ子どもの枠組は相対的に小さい。第三者の大人との対話の経験を通して、子どもは、自分が当たり前だと思っていたことが「へん」だったのではと「ゆらぎ」、自分の思考の枠組に「気付く」。結果として、視野が拡大され、新しいモノの見方、考え方を身につけていく。

 もちろん、気付きが起きるには前提が必要になる。その対話の場が、本音を言える安全な場であること。安全な場であることで、子どもたちも変化を受け入れる心の準備ができる。また、対話の場での大人の適切なフィードバック、投げ掛けの言葉も重要になる。大人の価値観の一方的な押し付けでは、「ゆらぎ」は起きない。子どもたちが自己開示できる場の雰囲気と、適切なフィードバックにより、子どもたちのモノの見方、自分自身のあり方を自ら変えることになる。子どもたちの視点から言うと、「越境学習」は三段跳びの「ホップ」のようなものだと思う。最終の着地点はまだ分からないが、まずは一歩踏み出してみる。踏み出すこと、越境することで、見える世界が変わってくる。

東京の人に牧之原の魅力を感じてもらう対話の場@六本木
東京の人に牧之原の魅力を感じてもらう対話の場@六本木

「教育」から「学習」、「学び合い」へ

 「古典的な学習」の考え方では、学習とは「命題的な知識の習得」ということであり、教える側と教えられる側が知識を受け渡すプロセスが「教育」ということになる。この場合、教える側の役割が圧倒的に大きくなり、教えられる側はどうしても受動的になってしまう。日本の学校現場でこれまで実践されてきたのが、この「教育」である。

 それに対して、教育理論家のウェンガーと文化人類学者のレイヴは、著書『状況に埋め込まれた学習』において、「状況的な学習」の概念を提示している。ここでは「学習」を、「日常の中で複合的、継続的に進行する、組織、個人の行動や考え方が変わるプロセス」と位置付けている。主体は学習者であり、自らの好奇心により能動的に知識を得ることが「学習」である。昨今、日本の学校現場でも導入され始めてきた「アクティブ・ラーニング」も、この考えの流れである。

 また両者は、新人が共同体の中で学び一人前になっていくような参加の仕方を「正統的周辺参加」と呼んでいる。「学習」を共同体への「参加」と捉えているところが従来の「教育」と大きく異なり、そうした共同体、学習が行われるコミュニティーを「実践共同体」としている。以前このコラム(第58回「首長部局と県立高校が連携して地域のリーダーを育成する」、第60回「首長部局と県立高校が連携して地域のリーダーを育成する2」)で紹介した、静岡県牧之原市の首長部局が市内の県立高校と連携して行う「地域リーダー育成プロジェクト」は、地域の高校生の「正統的周辺参加」の一つの形態でもあり、対話の場の運営を担った高校生と地域の大人による「学び合いの場デザイン会議」は「実践共同体」ともいえる。

 正解が一つに決まっているのであれば、知識やスキルの伝達を中心とした「教育」の場だけでよかったかもしれない。しかし、我々は今、誰も正解が分からない時代を生きている。能動的に知識を得る「学習」の場、双方向にお互いに聴き合い、交流しながら、多様性を認め合い、納得解を導き出す「学び合い」の場が、地域には必要だ。

牧之原市:地域リーダー育成プロジェクト
牧之原市:地域リーダー育成プロジェクト

「民主主義を学習する」

 「民主主義」とは何か。1948年から53年までの間、中学、高校教科書として使われた文部省著作教科書『民主主義』には、「民主主義は、政治のやり方ではなく、一人一人の心のあり方だ。全ての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心が、民主主義の根本精神である」と書かれている。個人の価値を認め合い、話し合いにより、納得を積み重ねていく営みこそが「民主主義」なのだろう。

 2016年の参院選から18歳選挙権がスタートした。若者の低投票率もあり、「シチズンシップ教育」というキーワードを耳にする機会も増えてきた。また、学校現場では、従来の「進路指導」の言葉が「キャリア教育」に置き換わってきている。筆者はこの2つの言葉の使われ方に少し違和感を持っている。

 まず「シチズンシップ教育」について、政治参加の手法、参政権を学ぶ視点のみが強調されているのではないかということ。模擬選挙、模擬議会も必要な取り組みではあるが、「シチズンシップ教育」はそれだけではないと思う。民主主義が互いの尊厳を認め合うことであるならばなおさら、市民参加の手法、市民社会での振る舞い方を学ぶ機会も必要ではないのか。

 「キャリア教育」についても、望ましい進路や就職先を選択することといった、これまでの「進路指導」の枠から抜けきれていないのではないかということ。「生きる力」といわれたりもするが、社会的、職業的自立のために必要な能力の育成こそが、「キャリア教育」の本来の目的だと思う。どちらにも欠けているのが社会への参加、社会との関わりの視点である。

 教育哲学者のガート・ビースタは著書、『民主主義を学習する(原題 “Learning Democracy In School And Society”)』の中で、「シチズンシップ教育」を批判的、発展的に検証し、シチズンシップを教授することから、民主主義を学習することに考え方を変えなければならないと訴えている。

 シチズンシップの教授とは、「善き市民」になるための、知識、スキル、性向を教える、身につけてもらうというもの。その責任は学校と教員が担う。ある意味、若者を既存の社会の常識に順応させる社会化とも捉えられる。

 一方、民主主義を学習するとは、そもそも「善き市民」とは何かを、民主主義の現場に参加することで、学習することを意味している。責任は、学校だけでなく地域も担う。この考えでは、若者を政治的に主体化することを標榜している。「状況的な学習」概念に近く、私の抱いていた違和感を解消してくれる。「シチズンシップ教育」を行うのではなく、地域に「シチズンシップ学習」の場を作ることが大事になる。

「地方創生に向けた学び合いの場」

 牧之原市の「地域リーダー育成プロジェクト」は、「シチズンシップ学習」の場として機能している。また、全国の学校現場で展開されている「シチズンシップ教育」「キャリア教育」の新しい形、可能性でもある。「地域リーダー育成プロジェクト」は、多様な世代、主体による「対話」の場だ。その営みは、正解の無い問いに対して、参加者が、精度の高い仮説、納得解を創り上げていくプロセスだ。

 「地方創生に向けた学び合いの場」と表現してもいい。地方創生は、人口減少の克服と成長力の確保を目指しているが、そのためには、地域の話し合いの質を上げること、その結果として、地域のことを本気で考える人を増やすことが必要だ。「地域リーダー育成プロジェクト」だけでなく、牧之原市で実践されている市民の対話の場である「男女協働サロン」(コラム第38回「対話が創る地方創生」)は、正に「地方創生に向けた学び合いの場」だ。地方創生の本質は、「対話」による学び合いを通して、地域の自治を担う主体的な市民、地域のために本気になる市民を育て、増やすことである。

 新しい変革を起こすには、いったん、これまで獲得した知識や技術、足かせとなる成功体験を手放し、放棄するといった領域に足を踏み込む必要がある。「学習論」でいうところの「アンラーン(unlearn 学び直し)」である。大きな変化や行動変容を実現するには、必ず「混沌」のプロセスを通り抜けなければならないということだ。「混沌」の海に漕ぎ出す時には、ゴールが見えていない。しかし、混沌の先には、必ず、新しい創造的な未来がある。それを信じる。

 人類の歴史は、「秩序」→「混沌」→「創造」の繰り返しだ。漕ぎ出すには、勇気と覚悟がいるし、漕ぎきる力である「対話の筋力」が必要だ。そのためには、地域での「対話の筋トレ」が欠かせない。対話は技であり、それを身に着ける努力と鍛錬が必要だ。牧之原市では、「男女協働サロン」という仕組みを使い、地域に対話の場を増やし、住民の対話の力を育てている。「地域リーダー育成プロジェクト」により、その対象を高校生まで広げている。地域の総力戦で、混沌の荒波に「対話」で挑むチャレンジをするかしないか。それが、「地方創生」が成功するか否かの鍵だと思う。

牧之原市:廃校になる小学校の活用を考える「サロン」
牧之原市:廃校になる小学校の活用を考える「サロン」

正解が無い時代こそ「対話」で学び合う

 今、我々は誰も正解が分からない時代を生きている。ICTの進展で、以前に比べ情報量が圧倒的に増え、変化のスピードが加速している。影響関係の複雑性が増し、簡単に因果関係を特定することができなくなっている。また、社会の多様性も高まっている。価値観、考え方の違う人が理解し合い、共に社会を創るにはどうするか。正解が通用する時代には、何よりも答えを出すこと。間違えずに効率的に答えを出せるように教えてもらうことが大事で、個々が自分の役割で結果を出せば良かった。市役所は市役所、学校は学校、地域は地域。縦割りで良かったかもしれない。

 しかし、正解が分からない時代には、試行錯誤し、失敗から学ぶことが意味を持つ。地域の主要なアクターが、強みを持ちより、対話の場を通して相互作用し、そのプロセスから何かを生み出す。精度の高い仮説、納得解を導き出す営みが重要になる。それが、首長部局がリードする「地方創生に向けた学び合いの場」である。

        ◇

早稲田大学マニフェスト研究所によるコラム「マニフェストで実現する『地方政府』のカタチ」の第63回です。地方行政、地方自治のあり方を“マニフェスト”という切り口で見ていきます。

<青森中央学院大学 経営法学部 准教授、早稲田大学マニフェスト研究所 招聘研究員 佐藤 淳>

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