第95回 「バックキャスティング」で組織と地域の「ビジョン」を描く~早大マニフェスト研究所人材マネジメント部会が目指すもの(6)
政治山 / 2020年3月12日 10時0分
早稲田大学マニフェスト研究所によるコラム「マニフェストで実現する『地方政府』のカタチ」の第95回です。地方行政、地方自治のあり方を“マニフェスト”という切り口で見ていきます。
「ビジョン(ありたい姿)」とは早稲田大学マニフェスト研究所人材マネジメント部会のプログラムで、参加者に組織の現状を確認(第94回「自治体組織の現状を緻密に多層的に探求する」)してもらった後に取り組んでもらうことは、組織の「ビジョン(ありたい姿)」を描いてもらうことである。ビジョンとは、自分が心から願う状態を具体的にありありと描いたものである。政治家の示す「マニフェスト」もある意味ビジョンである。
ビジョンは「ありたい姿」であり、「あるべき姿」ではない。「あるべき姿」は、問題を特定、原因を分析して何か足りないものを埋める消極的なイメージである。それに対して、「ありたい姿」とは、強みや価値を発見して理想の方向へ進んでいく積極的なイメージである。
ビジョンに必要な要素として、次の3つが挙げられる。なぜ、何を目指して、個人、組織は存在するのかと言った「有意義な目的」。何を大切にし、何を基準に行動するかの「明確な基準」。そして、はっきりと思い描ける最終結果としての「未来のイメージ」の3つである。
ビジョンは明確であればあるだけ、我々人間の行動を突き動かす大きな力をもっている。アメリカの公民権運動の指導者であるキング牧師の「I Have a Dream」の演説で語られた情景は、正にそれを聞いた人がその状態を頭の中に思い描き、その実現に行動したくなる素晴らしいビジョンである。良いビジョンは希望を与え、変化を創り出し、人を勇気付け、新しい行動を促す。
「バックキャスティング」で組織と地域の「ビジョン」を描くビジョンを描くのは簡単ではない。ビジョンとして捉えがちなものとして、「未来の予測」「現状の裏返し」「手段」の3つが挙げられる。「未来の予測」とは現状に引っ張られたものだ。これではワクワクする気持ちが起きない。「現状の裏返し」は、現状の課題が解決した状態で、現実からの逃避に主眼が置かれている場合が多い。また、ビジョン実現のための「手段」をビジョンに取り違えてしまうこともある。「対話が活発な組織」などはビジョンを手段に取り違えた典型である。
実現したい未来の状態を考えるには2つのやり方がある。一つは「フォアキャスティング」。もう一つは「バックキャスティング」である。「フォアキャスティング」とは、直訳すると「前を見通す」という意味で、現状から出発して、将来どのようになっていそうか、いるべきかを考える方法である。部会ではこのことを「事実前提」と言う。未来を考える上で、過去の事実からだけでは判断できないことは多い。
それに対して、「バックキャスティング」とは、将来どうなっていたいかといったありたい姿を先に考え、そこから今に遡って考えて、何をするべきかを考える方法だ。部会ではこのことを「価値前提」と言う。現状に引っ張られて、その延長線上を考えるのでなく、現状をいったん脇に置いて、自分の想いや価値観に基づいて、純粋にこうありたいというイメージを膨らましていくのが「バックキャスティング」である。「私たちの組織は何を実現したいのか」「地域はどうありたいのか」。組織と地域の成り行きの未来ではなく、「バックキャスティング」で、望ましい、実現したい未来のビジョンを描きたい。
2015年に国連で採択された「SDGs(持続可能な開発目標)」においても、アプローチ方法としては、「バックキャスティング」が推奨されている。今の地域の状況を一旦横に置いて、SDGsのゴールである2030年の地域の未来の絵を描いた上で、その実現のために各自で、皆でできること、やるべきことを考え、実行する。長期の視点を持つと、今やるべきことがはっきりして、困難な目標を達成できる可能性が広がる。
「クリエイティブ・テンション(創造的緊張)」を個人、組織変容の推進力にマサチューセッツ工科大学経営大学院上級講師のピーター・M・ゼンゲは、「学習する組織」の理論を提唱している。「学習する組織」とは、「目的に向けて効果的に行動するために、集団としての意識と能力を継続的に高め、延ばし続ける組織」のことを言う。ゼンゲは、「学習する組織」になるための中核的な学習能力の三本柱として「志を育成する力」「共創的に対話する力」「複雑性を理解する力」をあげている。
その中の「志を育成する力」とは、「個人、チーム、組織が、自分たちが本当に望むことを思い描き、それに向かって自ら望んで変化していくための意識と能力」のことを言う。つまり、ビジョン、ありたい姿を描くことである。「志を育成する力」は、「自己マスタリー」と「共有ビジョン」の2つの能力に分けられる。「自己マスタリー」とは、「継続的に個人のビジョン、本当に大切なことを明確にし、それを深めること」である。「共有ビジョン」とは、「組織が創り出そうとする未来の共通像」であり、「組織全体で深く共有されるようにする目標や価値観、使命」である。
部会の参加者にまず考えてもらいたいのは、自分は自治体職員としての仕事を通して、「何を創り出したいのか」「どうありたいのか」という「個人ビジョン」を明確にすることである。それにより、今できることと、やりたいことがはっきりする。やりたいことが分かると、不足している知識やスキルを学習しようとする原動力になる。
ゼンゲにも影響を与えた経営コンサルタントのロバート・フリッツは、ビジョン、ありたい姿と現状のギャップのことを「クリエイティブ・テンション(創造的緊張)」と名付けている。ビジョンを明確にすれば、エネルギーが生まれる。同様に現実をより明確に見つめることでもエネルギーが生まれる。個人や組織のビジョンを明確にしてそれの実現にコミットすること。個人や組織が現実に何がどうなっているのかを明確にすること。それが個人の行動変容、組織変容の大きな推進力になる。
「対話」で「共有ビジョン」を創るビジョンには2つの作り方のアプローチがある。一つは「ビジョン共有」である。これは一部の人のありたい姿をメンバーにおろしていくアプローチである。ある意味、トップである首長や経営層のビジョンを組織に押し付けようとするものだ。そのようなビジョンでは、せいぜい職員に従うことを強要するくらいであり、自分事として取り組むことは覚束ない。政治家のマニフェストも同じだ。俺流のマニフェストではいけない。
もう一つは「共有ビジョン」である。こちらは一人ひとりの職員のありたい姿を皆が共有し合うアプローチである。組織の中の全ての人々が共通して抱いている心のイメージ、ありたい姿を対話により創り出す。時間と手間は掛かるが、共有ビジョンができ上がると、「私のビジョン」であると同時に、「私たちのビジョン」になる。マニフェストも、政治家個人のマニフェストから、自治体組織のマニフェスト、地域のマニフェストに昇華させていかなければならない。
ゼンゲは、組織の共有ビジョンに対する行動意欲を7段階に分けて紹介している。
- 無関心…ビジョンに賛成も反対もなく、興味すらない。
- 反抗…ビジョンのメリットを理解せず、開き直り期待されることも行わない。
- 嫌々ながらの追従…ビジョンのメリットを理解せず、嫌々義務的に期待されていることはこなす。
- 形だけの追従…概してビジョンのメリットは理解し、期待されることは行うがそれ以上のことはしない。
- 心からの追従…ビジョンのメリットを理解し受け入れ行動するが、自分のビジョンにはなっていないので本物の熱意はない。
- 参画…ビジョンの実現を心から望む。与えられた役割、範囲内で一生懸命実行する。
- コミットメント…何がなんでもビジョンを実現しようと心から望む。既存の役割や枠組み、規律を超えて踏み出し、実現させる。
組織の共有ビジョンに対する行動意欲を高める鍵は、「対話」である。共有ビジョンは、個人ビジョンを「対話」により重ね合わせることから築かれる。各自が個人のビジョンを明確にし、個人ビジョンを互いに真摯に聴き合う。そのプロセスを通して、ビジョンにコミットメントが生まれる。トップダウンによるビジョン共有の場合であっても、「対話」による丁寧なビジョン浸透が必要になる。
(次回に続く)
青森中央学院大学 経営法学部 准教授
早稲田大学マニフェスト研究所 招聘研究員
佐藤 淳
1968年青森県十和田市生まれ。早稲田大学商学部卒業。三井住友銀行での12年間の銀行員生活後、早稲田大学大学院公共経営研究科修了。現在、青森中央学院大学 経営法学部 准教授(政治学・行政学・社会福祉論)。早稲田大学マニフェスト研究所招聘研究員として、マニフェスト型の選挙、政治、行政経営の定着のため活動中。
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