日本人の桜好みは江戸の歌舞伎が育てた!? 「桜」を扱う歌舞伎の名演目3つ

サライ.jp / 2017年4月4日 11時30分

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文/鈴木隆祐

今年もいよいよ花見シーズンに突入しようとしている。満開の桜は否応なしに私たち日本人の心を浮き立たせるが、“観桜”ということになると、嵯峨天皇が812年3月に神泉苑(京都)にて「花宴の節(せち)」を催したのが始まり。それまで花見といえば“観梅”のことだった。

鎌倉〜室町を経て、武士階級にも観桜の風習は浸透したが、庶民に広まったのは江戸期に入ってから。その張本人は8代将軍・徳川吉宗と言われる。

5代将軍・綱吉による「生類憐れみの令」の発布以降、途絶えていた鷹狩りを復興させた吉宗だが、そのために田畑が荒らされると農民らの不評を買った。そこで鷹狩りの場に桜を植え、農民が花見の客の対応で潤うよう仕向けたのだ。

さらに、今では桜といえばソメイヨシノだが、これは江戸末期に今の駒込(染井村)で生まれた品種。それまでは桜といえばヤマザクラであり、もっと長い期間咲いて人々の目を楽しませた。

パッと咲いて散るソメイヨシノの普及に伴い、桜に対する庶民の美意識を育てたのが歌舞伎である。桜を扱うのはことに舞踊演目に多く、とりわけ歌舞伎舞踊の極美とされる。

そんな「桜」を扱う歌舞伎演目を3つ、ご紹介しよう。

■1:『京鹿子娘道成寺』

※Wikimedia Commonsより引用

桜を扱う歌舞伎の演目といえば、まずは能に基づく『京鹿子娘道成寺(むすめかのこどうじょうじ)』が挙げられるだろう。紀州道成寺に伝わる安珍・清姫伝説の後日譚だ。

清姫の化身の大蛇ごと焼かれたため、鐘がなかった道成寺に再び鐘が奉納され、その供養が行われる。そこへ舞いを捧げたいとやってきた白拍子(踊り子)の花子の美しさにほだされた修行僧は、長らく女人禁制だった寺への入山を許してしまう。だが舞いながら鐘に近づく花子は、実は清姫の生まれ変わりだった。

この舞いは一時間に及ぶが、全編満開の桜を背景に展開される。しかし初演は1753年なので、ソメイヨシノの誕生にはまだ早い。

■2:『祇園祭礼信仰記』

※JAODBより引用

さらに桜がもたらすケレン味が全開になるのが、1757年初演の『祇園祭礼信仰記』(ぎおんさいれいしんこうき)。その四段目「金閣寺」の桜吹雪の表現は圧巻だ。

謀反人の松永弾正は、金閣寺の楼上に暗殺した将軍・足利義輝の母を閉じ込め、一方、絵師・狩野雪村の娘・雪姫に横恋慕し、従わなければ夫の直信の命はないと脅す。雪姫はある日、自分の父を殺したのが弾正と知って斬りつけ、逆に桜の木に縛りつけられてしまう。雪姫は涙で鼠を描いたという祖父・雪舟の故事に倣い、爪先で桜の花びらを集めて鼠を描くと、それが命を得て縄を食いちぎって姫を助ける。

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