【私のクルマ遍歴】『ハコスカ』と共に目指したが、叶わなかったレースドライバーの夢(前編)

サライ.jp / 2018年12月16日 9時0分

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【私のクルマ遍歴】『ハコスカ』と共に目指したが、叶わなかったレースドライバーの夢(前編)の画像

取材・文/糸井賢一(いといけんいち)

ただの乗り物なのに、不思議と人の心を魅了する自動車とオートバイ。ここでは自動車やオートバイを溺愛することでオーナーさんの歩んだ、彩りある軌跡をご紹介します。

とある映画の影響を受け、念願叶って購入した愛車。その物語は【後編】で語ります。

とある映画の影響を受け、念願叶って購入した愛車。その物語は【後編】で語ります。

今回、お話を伺ったのは、東京都内で運送会社の代表を務める佐々木守さん(66歳)です。奥様とは26歳で結婚。勤めていた建設会社を50歳で退職し、運送会社を立ち上げます。現在、業務用の軽トラに趣味のクラシックカーと、ステアリングを握り続ける毎日を送っています。
子供の頃、よくしてくれた親友のお兄さんのおかげで車が大好きに
1964年、2ドアのスポーティーモデルとして登場した、いすゞの『ベレットGT』。丸みを帯びた流麗なスタイルとレースで上位を席巻した性能により、60年代を代表する人気車種となり、“ベレG”の愛称で親しまれました。

「私が中学生だった頃、親友のお兄さんがベレGに乗っていました。そのお兄さんにはよくしてもらい、何度も乗せてもらいました。その時、『いつか自分も格好いい自動車に乗り、格好よく乗り回すぞ』って、心に誓いました」

高校に進学後、16歳で軽自動車の免許(※1)を、18歳で普通自動車免許を取得。アルバイトで稼いだお金と不足分を親御さんに援助してもらい、日産の3代目『スカイライン』、通称“ハコスカ”を新車で購入します。

「レースで活躍する姿を見て、『絶対に自分はスカイラインを買うんだ』って決めていました。乗ってみると、やはりスピーディで、とてもワクワクするクルマでしたね。納車後、すぐに富士スピードウェイのライセンスを取得して、走行会に草レースにと、とにかく無我夢中で走り回りました。買ったのは2000GTでしたが、あとでGT-Rのエンジンに載せ替えました。この頃は本気でレースドライバーになることを夢見ていましたね」

プロのレースドライバーを目指し、時間の許す限りサーキットに通った守さん。守さんの大学生時代は常にスカイラインと共にありました。

幾度ものレース中のクラッシュを乗り越え、スカイラインは走り続けた。

幾度ものレース中のクラッシュを乗り越え、スカイラインは走り続けた。

しかし大学四年生となり、将来という現実を目の当たりにした守さんは、苦渋の決断を下します。

「残念ながら、卒業までにレースドライバーになる目星を付けることができませんでした。このまま活動を続けることもできますが、社会人になると時間がなくなる上、あまりにお金がかかります。また少し前にレース仲間を事故で失っていて……。ここが引き際とレースドライバーになることを断念しました」
失ったハコスカの面影を求めてM5を購入
大学卒業後に建設会社に就職した守さん。ハワイへと旅行した際、奥様と出会います。奥様と結婚するにあたって実家から独立し、実用性を重視してトヨタのワゴン、『タウンエース』を購入します。駐車場の都合によりスカイラインは実家に置いたままでした。

仕事は多忙を極め、加えてお子さんを授かるという家庭環境の変化もあり、スカイラインに乗れない日が長く続きます。そしてある日、守さんが実家に顔を出すと、あるべき場所にスカイラインがありません。親御さんに問うと、「あまりに長いこと乗らなかったため処分した」との答えが返ってきました。

「10年以上、所有した愛車が突然、処分されていたのですから、それはショックでしたよ。けれどそう勘違いされるほど、乗ってあげられなかった負い目ですね。『仕方ないな』という思いもありました。『新しいオーナーの元で、また元気に走って欲しい』。そう願うことしかできませんでした」

青春時代を共に過ごしたスカイラインを失った守さんは、心のすき間を埋めるよう仕事に専念します。タウンエースを2台乗り継ぐ頃には、激務の新人時代を越えて時間と気持ち、そして経済的にも余裕が生まれます。

「またセダンに乗りたい」と思っていた矢先、偶然、中古の自動車ショップで見かけたBMWの『M5』に一目惚れし、購入に踏み切ります。

BMWのMシリーズは、サーキット走行を前提とした特別モデル。

BMWのMシリーズは、サーキット走行を前提とした特別モデル。

「新しい(4代目と5代目)スカイラインも魅力的ではあったのですが、それまで乗っていたスカイラインとデザインが違っていて、『これじゃない』って思いがありました。けれどM5からは(これまで乗っていたスカイラインの)面影を感じました。乗ってみたらパワーがあってスピードも出る、4ドアで車内にも余裕があり、乗り心地までいい。いいクルマとはどういうクルマなのか、お手本のような一台でした」

M5の奥深さと運転の楽しさは、守さんをサーキットへと呼び戻します。しかし再びプロドライバーへの情熱が戻ってしまうことをおそれ、レースへの参加は自粛します。

守さんとM5の蜜月は4年ほど続きましたが、燃料系のトラブルが発生。全体的に消耗した部品を交換しなければならない時期にも差しかかっていました。そこに輸入車を扱うショップから「M5の下取り金額と少々の支払いで、オペル『ベクトラ』の新車を売ってもいい」という提案があり、車両を入れ替えます。

日本ではあまり馴染みのないベクトラ。守さん曰く「魅力はM5にも負けない」とのこと。

日本ではあまり馴染みのないベクトラ。守さん曰く「魅力はM5にも負けない」とのこと。

「M5から輸入車の味わいが気に入っていたので、日本車ではなくオペルを選びました。このベクトラは『イルムシャー』がチューニングした40台だけの限定モデルで、とても切れ味がよく、M5とはまた違う味付けを持ったクルマです」

乗り心地のいいベクトラは守さんのお気に入りとなります。奥さんやお子さんたちも一緒に乗ってドライブにキャンプにと大活躍するのですが、お子さんたちが大きくなるにしたがってキャンプ道具が積めなくなり、お子さんのヒザの上に荷物を乗せるといったことも、しばしば起こるようになります。家族が快適に移動できるよう、守さんは10年間、連れ添ったベクトラを処分し、シボレーの2代目『アストロ』を購入します。

このアストロで、守さんはアメリカ車の良さと魅力に気づきます。

このアストロで、守さんはアメリカ車の良さと魅力に気づきます。

「このアストロは『スタークラフト』のコンバージョンモデルで、キャンピングカーのような内装が施されています。車内は広く、荷物は山ほど乗りました。けれど購入から10年もすると、もう子供たちはキャンプに行ってくれなくなってしまって……。夫婦2人だけで乗るにはあまりに大きすぎますからね、お役御免で売却しました」

変化は家庭環境だけでなく、仕事環境にも訪れます。長く建設会社に勤めた守さんですが、「今の仕事は、本当に自分がしたい仕事だろうか?」と、自問するようになりました……。

【後編】へ続く

※1:『軽自動車免許』は当時の軽自動車(排気量360ccまで)に乗ることができる限定付き免許。1968年に廃止。

取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ゲーム雑誌の編集者からライターに転向し、自動車やゴルフ、自然科学等、多岐に渡るジャンルで活動する。またティーン向けノベルや児童書の執筆も手がける。

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