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キーコーヒー上場30周年 柴田社長が語る上場への思いと株主との理想の関係とは?

食品新聞 / 2024年8月24日 10時1分

コーヒー黎明期に創業

 キーコーヒーは株主数5万人を突破し、今年東証上場30周年を迎えた。

 特筆すべきは、株主の約9割がキーコーヒーのファンである個人株主で占められている点。
 取材に応じた柴田裕社長は「イベントなどの機会に“いつも飲んでいるよ”と株主様からお声がけいただくことがよくある」と語る。
 上場30周年の節目を機に、創業から上場への想いや株主との理想の関係についてインタビューした。

 キーコーヒーが創業したのは104年前の1920年8月24日。柴田社長の祖父にあたる柴田文次氏が、神奈川県横浜市にコーヒー商「木村商店」を創立した。

 創業当時はコーヒー黎明期であった。

 「創業時、横浜にはハイカラな西欧文化が集まり、コーヒーもそのひとつだった。だが、日本全国に展開するほどには浸透しておらず、多くの方にとって、コーヒーは馴染みがないものであった」という。

 キーコーヒーの約100年の歩みは、事業活動とともに、多くの生活者にコーヒーを親しんでもらい、誰でも簡単においしいコーヒーが楽しめる環境づくりにあったと言える。

 創業翌年の1921年には、家庭で手軽にコーヒーが楽しめる商品として「コーヒーシロップ」を発売。家庭にコーヒーを浸透させるきっかけとなる最初のヒット商品となった。

 1955年には、コーヒーの正しい知識や抽出技術などを広めるべくコーヒー教室をスタート。1960年には、民放テレビでも「コーヒー教室」の放映が始まった。

在学中にトラジャ訪問 入社へ柴田社長の背中を押す

1977年に設立したキーコーヒー直営農園の精選加工工場

 1980年代、コーヒーが市民権を得つつある中、当時大学生だった柴田社長は卒業後の進路を考えていた。

 「当時、企画・開発・国際という3つの言葉が流行っており、国際的な仕事に関心があった。海外展開している企業への就職も考え、自分の仕事が海外の事業につながるようなことをしたいと考えていた」と振り返る。

 そうした中、キーコーヒー入社の背中を押したのが「トアルコ トラジャ」の生産地で、キーコーヒー直営農園があるインドネシア・スラウェシ島のトラジャ地域の山岳地帯への訪問だった。父で二代目社長の柴田博一氏が訪問を勧めたという。

 1976年、キーコーヒーはこの地に現地法人トアルコ・ジャヤ社を設立し東京ドーム約113個分の530haという広大な面積を持つパダマラン農園を直営しているほか、周辺の協力生産農家や仲買人からコーヒー豆を買い付けている。

 柴田社長の最初の訪問時は、インフラ・農園ともに発展途上だった。

 「昔は電話がなかなか通じず、道路も未整備だったと聞いていた。実際に訪れ、農園設営によって雇用を生み出しインフラ整備のお手伝いもできていると身をもって知った。海外の支援にもつながる仕事をしたいと考えていたため、キーコーヒーならそれができると確信した」と述べる。

 約1週間の滞在を通じ、生産現場の実情も目の当たりにする。
 「コーヒーを作ることは、こんなにも手間がかかり大変なことであると痛感した」という。

 トラジャでの経験で意志を固め、1987年の大学卒業後、キーコーヒー(当時・木村コーヒー店)に入社する。

上場に込めた父の思いとは?

創業74年目となる1994年の1月21日に店頭公開を実現した。

 入社後は購買・営業部門などを経て、経営企画部の上場チームを経験。この中で柴田社長の一番の思い出としては、ホレカ(ホテル・レストラン・カフェ)向けの営業を挙げる。

 「外資系のホテルが増え始めてきた1990年代に、大阪や東京を飛び回って売り込んだ。お取引先には外国の方もおられ語学力や当時日本には馴染みのなかったエスプレッソへの知識を求められることも多かった。ホレカ市場を担当したことで、生産国だけでなく、焙煎機のメーカー様やお取引先様などさまざまな国とのつながりを実感した」とかえりみる。

 キーコーヒーは1989年、現社名へ変更するとともに、コーポレート・アイデンティティを導入。創業74年目となる1994年の1月21日に、店頭公開を実現した。上場には、父・柴田博一氏の思いが反映された。

 「父は、全国展開を視野に、上場によって個人商店的な体制から脱却して社会の一員として信頼度を上げていくことに強くこだわっていた。キーコーヒーの認知度が低い地域でも継続的に取引ができる企業として見てもらいたいという営業的な思いもあった」と説明する。

 1996年に東証市場第二部に、翌97年には市場第一部に上場する。
 柴田社長は2002年から現職。社長就任時、38歳だった。

 就任時の心境について「いつか引き継ぐとは思っていたが、内示を受けたときは“こんなに早く”と驚いた。しかしながら、他社様で社長に就かれた同世代が多かったこともあり“自分も頑張らねば”と鼓舞される気持ちもあった」と吐露する。

 社長就任時に定めた目標は、企業力の向上。

 「コーヒーが定着し市民権を得た今、企業としての存在感をさらに向上させたいと思った。一般の方や株主様に、農園事業も含めトータルでどんなことをやっている会社なのかをもっと訴求したいと考えた」という。

 2022年には、東証の市場区分が再編。その中でキーコーヒーは、株式の流動性などの指標のほか、サステナビリティなどの企業の姿勢が認められ、市場第一部から再編後の最上位となるプライム市場へと移行した。

個人株主との共創の機運

2024年、WCRのボードメンバーに就任。右はWCRのジェニファー・バーン・ロングCEO

 キーコーヒーは近年、持続可能なコーヒー生産の取り組みに注力している。

 2022年1月には、コーヒー生産のサステナブル活動を推進する専門部署「コーヒーの未来部」を設立。ここでは柴田社長自らが部門長となり、コーヒーに関する国際的な研究機関ワールド・コーヒー・リサーチ(WCR)や独立行政法人国際協力機構(JICA)と連携しながら、品種開発につながる栽培試験などに向けて取り組んでいる。

 WCRとは2016年4月から協力、24年5月には柴田社長がボードメンバーに就任。WCRが2012年に創立して以来、アジアおよび日本人として初の就任となった。

 就任発表会では「WCRとの調査研究の中で進めてきたことに一歩踏み込み、小規模生産者の力になりたい」と抱負を述べた。

 キーコーヒーではかねてからコーヒー生産者との対話や絆づくりにも重きを置き、2013年からは「KEY COFFEE AWARD」をインドネシアで毎年開催。これは、その年に収穫されたコーヒーを総合的に選考し、各部門で表彰するセレモニーで、柴田社長も現地に赴き生産者にインドネシア語で感謝の意を表している。

 「直営農園のスタッフやその周りに点在する個人の生産者様とのコミュニケーションの場でもあり、我々と一緒においしい『トアルコ トラジャ』を作っていこうという絆を深めている」と述べる。

「第10回クレドール」。上場30周年にあたり “珈琲とKISSAのサステナブルカンパニー”のさらなる進化へ意欲をのぞかせる。

 会社の発展や個人株主数の増加に伴い、共創の機運もみられる。

 個人株主が多い点に対して、「個人の株主様からヘビーユーザーとしてのご質問やご意見をいただけるのがありがたい。株価の安定というよりも、ファンとしてキーコーヒーや、キーコーヒーの商品に関心を持っていただけている効果が大きい」とみている。

 株主総会では、経営以外の質問も多いという。

 「新商品の味や配荷状況のほか、コーヒーの2050年問題や地球温暖化に関するご質問もいただく。総会に行った感想をブログやSNSに上げてくださる方もいらっしゃる。いただいたご意見や情報を経営に活かし相乗効果を生み出していきたい」と意欲をのぞかせる。

 キーコーヒーでは、株主に対して広報誌「Coffee Fan」を定期的に発刊して郵送。「デジタル時代に、あえて出版物をお届けして新商品やコーヒーにまつわる情報を伝えている。今後は、コーヒーを取り巻く情報発信をさらに強化していく」と力を込める。

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