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〈和歌山紀の川・小5殺害事件から8年〉「犯人が出てきたときに『今、どんな思いや』って問いたいんや」父親が顔出しで激白。「風化させたらあかん。知ってもらいたいんです」

集英社オンライン / 2023年2月4日 18時39分

2015年和歌山県紀の川市で当時小学校5年生だった森田都史君が、近所に住む中村桜州受刑者(30)に殺害されてから、2月5日で8年となる。刑事裁判では、2019年7月に殺人罪で懲役16年の2審大阪高裁判決が決定。民事裁判では、2018年に約4,400万の支払いが確定したが「いまだ賠償を支払う意向は示されていない」と遺族は肩を落としている。

「親やから、子どものために、当たり前のことをやってるだけです」

例年、2月5日になると、事件現場には多くの報道陣や、都史君を悼む人々が訪れる。事件から8年も経過したが、これほどまでに人が集まる理由は、都史君の父親の強い気持ちによるところが大きい。

「当時は、刑事さんから、あと2~3年もしたらみんな忘れますとか言われてね。でも、風化させたらあかん。遺族たちがどういった思いで賢明に生きているか、知ってもらいたいんです」



そう話す森田さん(都史君の父親)は、今年から顔を出して取材対応することを決めたという。

「親やから、子どものために当たり前のことをやってるだけです」

都史君の祭壇には、お菓子やおもちゃなど子どもが大好きなものが並び、それは言葉にしなくても、森田さんの都史君に対する親の愛情が伝わってくる。

「都史君がこっちへ引っ越して、3ヶ月後に事件におうたんですわ。元妻と色々あって、離婚することになってね。ようやく、お兄ちゃんも入れて3人で新しい生活していこうってとこやったのに。あいつがね…」

シングルファーザーで、都史君と2歳上の兄を育てていた森田さん。
父親がいう“あいつ”とは、現在、懲役16年の刑に服している、中村桜州受刑者(30)のことである。
中学の頃から引きこもりがちであった中村受刑者。

“竹刀を振り回していた”、“追っかけられた”、“大声で怒鳴られた”と、地域でも、その奇行は有名だったという。

「事件の一ヶ月前やったかな。お兄ちゃんも追いかけられたことがあってね。事件後に聞いた話やと、昔から挙動不審な行動をとり、近所の子どもからもおかしい人やと言われてたみたいですわ」

証拠品のポロシャツが血で固まっていた

父親は私立大の教授、母親は民生委員を務め、姉2人は成績優秀だったという、中村受刑者は高校受験で失敗し、引きこもりがちになったという。

「本当に見かけたことがなかったんです。私自身、朝早くに出て行って帰るのも遅いですから、中村がいたことさえ知らなかった」

森田さんは、都史君と、2月5日、事件当日朝に話したのが最後の会話となった。

「今日は、夕方に帰ってくるからねって言って、それが最後になりました。昼15時ぐらいに、和歌山の仕事先に戻って明日の準備をしていたら、17時ぐらいかな。学校の先生から『都史君が事件に巻き込まれた』と電話があって。『事件ってどうしたんですか』って聞いたら『心配停止でね、今、心臓マッサージしてるから』って言われて。
『ドクターヘリで医大に搬送するか、どうするか』とも言われて、私は医大に向かったんです。でも全然来ない。そしたら、17時半ぐらいに救急隊の隊長から電話かかってきて『非常に厳しい状態で、私たちに子どもさんを任せて、お父さん、気しっかり持って来てください』って、それで地元の病院に着いたんが18時半ぐらいで。身体ズタボロやから、頭しか見せてもらえへんかった。でも、握った手が温かかったんですよ。賢明に、待っててくれたんかなって」

都史君が殺害された当時の事件現場

19時05分 森田都史君 死亡 享年11歳

事件の翌々日、自宅に潜伏していた中村が逮捕された。

「中村は、都史君を殺したあと家に帰って、全部服脱いで凶器も洗って、そして、長髪やった頭を丸めて、証拠隠滅をはかっとったんですわ。親も凶器買うてたん知ってたんやろと。裁判が終わってから、証拠品の都史君の着ていたポロシャツが返ってきたんですが、血で固まってしもててね。元々白やのに、何度洗っても、漂白しても、赤土が練り込まれたように茶色なっててね。今でも、匂うんですわ。あれから8年も経っても」


そして、絞り出すように森田さんはつぶやいた。

「これだけの執念でしせなかんかったことなんやろか。触ってみなわからん、匂ってみなわからん。
刑事さんにあとから聞いた話やと、身体メッタ刺しにされて、瀕死の状態で、都史君が『もう許して』って命乞いしたのに、中村は、『最後までやるんや』(殺害するんだ)言うてね……。第一発見者の方が心臓マッサージしてくれたけど、肩からお腹のほうまでざっくり切られているから、血が波のようにあふれ出してたそうですわ。医者が『お父さん、これほどまでにむごいことはない』って言われてね」

都史君の祭壇と遺影

身体を凶器で傷だらけにされながらも、最後の力を振り絞り、都史君は中村受刑者に向かって、手を胸元で合わせ、命乞いをしたという。しかし、中村受刑者は、凶器を振りかざし、頭を二度切りつけた――。

「中村は引きこもってたでしょ。都史君や近所の子どもが騒いでいたのが、耳障りやったんでしょう」

一審で「責任能力なし」二審で「責任能力あり」だが…

事件発生直後に逮捕された中村受刑者は、2017年、精神鑑定の結果「責任能力なし」とされたが、一審で懲役16年が言い渡された。

「一審が終わって和歌山地検は、結果が変わらないから控訴はしないと言ってきたんです。でも、弁護士さんがどうにか、控訴できるように持っていってくれて、再度、高等検察庁で、鑑定をやり直すことになったんですわ」

再度、鑑定が行われ、一審の鑑定に反し、「責任能力あり」とされた。しかし

「これで懲役20年、25年はいけるやろと期待を抱いたんですが、結果は懲役16年で変わらなかったんです。子どものことを思って、何度も何度も手書きで陳述書を書いて、検事、検察官に提出したんですよ」

2019年、結果は変わらず懲役16年が言い渡された。森田さんは声を震わせて記者に訴えた

「責任能力ありとされたのに、従来の裁判結果と照らし合わせて、って。根拠を示してください言ってるのに、それしか言わへん。地裁の判決を破棄してくれると期待、希望持ってたのにやな、前例やって言うたかて、それぞれケース違うやないか」

2015年移送される際の中村受刑者(MBSより)

遺族を悩ませるのが犯罪被害者等給付金の問題だ。森田さんのケースでは民事裁判で2018年に加害者側に約4,400万の支払いが確定しているが「いまだ(加害者側から)賠償を支払う意向は示されていない」と森田さん嘆く。

「葬儀や弁護士費用印紙代の請求などで、数百万は負担しています。それに、裁判の対応などで仕事も休まざるを得ない状況が続いて、経済的には本当に大変でした」

70歳を超えた今でも、森田さんはアルバイトに出かけているという。

国から補償される犯罪被害者等給付金があるが、給付額は320万~2960万円と幅広く、2021年度の平均は665万円だった。

しかし、森田さんが手にしたのは、たった160万だった。

「そもそもも少額やのに、片親やからということで最低の320万の半分の160万しか入ってこなかったんです」

お友達が送った寄せ書きと、都史君が履いていた靴

受け取る意志があれば、もう1人の親(元妻)にも振り込まれたというが、離婚した妻は受け取る意志を示さなかったという。
都史君を育てていたのは、紛れもない森田さんだ。その補償金を受け取るためにも、もう1人の親(元妻)の協力が必要であり、かつ、煩雑な手続きが必要とされる。

日本では、刑務所など加害者に支払われる費用は約2600億円、一方、被害者には犯罪被害者等給付金など約10億円に過ぎず、被害者が守られていない実態が浮き彫りになっている。

この犯罪被害者等給付金を巡っては、昨今、改善を求める声が大きくなっており、2022年に、上川陽子元法務大臣が会長を務める「犯罪被害者等施策の検証・推進議員連盟」が発足された。

「出てきてどんな気分や」って聞くまでここを離れない

都史君は、生きていれば19歳の青年だ。最後に森田さんに、都史君との思い出を聞いた。

「母親に引き取られて上手くいかなくて、本人たちも私と暮らしたい言うてね。結婚してたときも、ほぼ私が面倒みてましたから、弁当つくって、おしめかえて、私がお兄ちゃんも都史君も面倒見てたんでね…
『お父さん、毎日仕事で疲れてるやろ』って、目玉焼きとご飯作ってくれてね…。
『何かしてほしいことある?』って聞いてくれたときに、『せやな、都史君の好きなようやってくれてええよ』っていうたら『お父さんにパワーあげる』いうて、ぎゅーってしてくれたんですよね」

森田さんは言葉に詰まりながらも、大切に大切に心の中にしまった思い出を、言葉を絞り出しながら答えてくれた。

事件後、どこかに引っ越した中村受刑者の親だったが、近頃、自宅に戻ってきているという。

「一度だけ、一審判決後に中村の親2人がいきなり家に来たんですわ。それも電話もせんと手ぶらできて、『中村っていうもんやけど」って言うて。『筋道通してきてください」ってお断りしましたけど。事件後はどっか行ってたけど、近頃、よう帰ってきてるみたいです。でも明らかに、向こうは避けてますね。逃げるように家に入っていく。

私がこの辛い事件現場から引っ越さないのは、中村が出てきたときに、問いたいんですよ。都史君に変わって『出てきてどんな気分や』って。そのために私はここに居続けるんです」

森田さんは今も事故現場近くの自宅で、都史君の2歳年上のお兄ちゃんと一緒に暮らしている。遺族たちにとって、事件を直視することほど辛いものはない。それでも、森田さんが、事件、受刑者と向き合うのは、都史君への深い愛情に他ならない。
毎日、森田さんは、まるでそこに都史君がいるかのように、優しく、都史君の祭壇に話しかける。

「いつも(遺影の)都史君の顔つきが変わるんですよね。お父さんのこと見守ってくれてるんかなって、思って、これからもそれなりに頑張っていきますよ」

都史君が通っていた小学校が、事件後都史君に送った「卒業の証」

中村受刑者はいずれ出所をする。加害者たちは塀の外に出れば新しい人生が再スタートする。一方、森田さん、犯罪被害者、遺族たちの戦いは終わることはないのだ――。


取材・文 松庭直
集英社オンライン編集部ニュース班

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