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創立101年・共産党が党首公選制提言の党員を「除名処分」…党内からは「次の100年はない」。変節し、動揺する「たしかな野党」のいま

集英社オンライン / 2023年2月10日 7時1分

昨年、創立100周年を迎えた共産党が揺れている。同党は6日、著書で党首公選制を訴えた党員の松竹伸幸氏を除名処分とすることを発表し、共産党支持者を含め、国民から批判が殺到している。松竹氏ひとりが突如として党に異を唱えたかにも見えるが、近年、党の方針のブレや選挙結果の不振に、党員の不満はマグマのようにたまっている。

23年間、委員長の座にすわる志位委員長

日本共産党の志位和夫委員長

共産党は1922年に設立された、最も長い歴史を誇る国政政党だ。現在の志位和夫委員長は、2000年からの23年間という、他の政党では類をみない長期にわたり、党首を務めている。

委員長を選ぶプロセスは、他党と大きく異なる。共産党のホームページには、委員長について「2~3年ごとに開かれる党大会で選ばれます。全国の支部から代議員が集まり、方針を話し合うとともに、選挙で党指導部を選びます」とあるが、自民党総裁選のような複数の候補者による選挙は行われず、信任を得るだけになっているのが実態だ。



選挙で負けても、党内から責任を問う声は上がらない。2021年の衆院選では、選挙前の12議席から10議席へと後退したが、会見で自身の責任について問われた志位氏は「党の対応としても、共闘という点でも、政策の問題としても、全体として正確な方針のもとに戦った。そういう点では、私の責任ということはない」と断言した。
全国紙政治部記者はこう解説する。

「昨年の参院選後の中央委員会総会では、志位氏が『責任を深く痛感している』と述べたものの、辞任するわけでもなく、人事を決める党大会は1年も先送りになりました。自民党や立憲民主党なら政局になっていたでしょう」

除名処分で統一地方選を控える党にダメージ

共産党から除名処分を受けた松竹伸幸氏

そんな中で、委員長の公選実施を訴えたのは、共産党の政策委員会で安保外交部長を務めた経験も持つ、ジャーナリストの松竹伸幸氏だ。先月、現役の共産党員として『シン・日本共産党宣言 ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』(文春新書)を出版し、話題を集めている。

共産党が除名処分を発表した6日、日本記者クラブで会見した松竹氏は「出版が分派活動として処分されるなら、憲法の言論・表現の自由は死ぬし、こんなことを進める共産党だって滅びかねない」と、党の決定に真っ向から異を唱えた。

一方、同日に国会内で会見した小池晃書記局長は、「異論を述べたから処分した、というわけではまったくない」と強調。「異論があるからではなく、その異論を、ある意味では、突然、外から攻撃するという形でやってきた」と松竹氏を批判した。

松竹氏の行為が「党内に派閥・分派はつくらない」「党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない」「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」という規約に反するものだったという。

「共産党は、松竹氏が党内で公選制実施などの意見を述べていなかったと指摘しています。たしかに、松竹氏のやり方には、疑問を感じるところもありますが、除名によって共産党には『独裁』『異論を認めない』といったイメージが強くつきました。統一地方選でも逆風が吹くでしょう」(全国紙政治部記者)

他党との候補者調整、天皇制廃止「しません」…「たしかな野党」の変節

異例とも言える、党員からの異論に動揺が広がる党内。ただ、ここ数年の共産党は、主張の方針転換や党勢低迷で、足元がぐらつき、党員に不満がたまっていたのも事実だ。

民主党が飛躍した2000年代に「たしかな野党」を標榜し、他の野党とも一線を画す戦略をとっていた共産党の立場は、ここ数年で大きく転換した。きっかけは2015年、安倍政権が成立させた安全保障法制をきっかけに生まれた「野党共闘」だ。

翌年の参院選で共産党は、32ある一人区のほとんどで候補者を取り下げ、民進党の候補者の当選を最優先するようになった。

全国紙政治部記者が解説する。

「民進党にとっては、共産が候補者を取り下げてくれれば、与野党の1対1の構図に持ち込むことができ、戦いやすくなります」

一方の共産党はというと、
「党勢が右肩下がりになる中、あらゆる選挙区への擁立は、資金面でも厳しくなっていたところ。候補者を取り下げる口実になった『野党共闘』は、共産党にとっても渡りに船でした。
安倍政権がタカ派的政策をとってきたから、共闘が実現したとも言え、志位氏が当時の安倍総理にたまたま出くわしたとき、『安倍さんのおかげで共産党はやっていけます。ありがとう』とお礼を言ったこともあるそうです」

こうして野党間の思惑が一致して実現した候補者調整の結果、2016年の参院選では32選挙区中11選挙区で野党系候補が議席を獲得。2013年の参院選では31選挙区中29選挙区で自公候補の勝利を許していたことを考えれば、大健闘だった。その後の衆院選、参院選でも、野党間の候補者調整は恒例となっていった。

「たしかな野党」から共闘路線に舵を切った共産党。その路線は、発信する政策も、野党第一党の立憲にすり寄ったものへと変えていった。

「安保条約や自衛隊など、他の野党と意見の違う問題を政権には持ち込みません」「与党になったら天皇制は廃止? そんなことは絶対にしません」――そんなリーフレットまで作成し、立憲などとの「野党連合政権」の樹立を目指すようになった。

立憲からは疎まれ、党内からも「次の100年はない」

だが、一方の立憲は、共産党との距離のとり方に腐心する。

立憲は2021年、政権交代をした場合は、共産党が「限定的な閣外からの協力」をするという政権の枠組みの合意をした。共産党のめざす「野党連合政権」は受け入れられない、でも候補者をおろしてくれる共産党を無下にはできない、そのはざまでのギリギリの線だった。この直後の衆院選を、立憲関係者はこう振り返る。

「共産党の支持者に表立って応援されると、私たちも共産党と同じだと思われて、逃げる票もあった。黙って候補者を取り下げて、静かにしてくれればよかったのに」

選挙終盤には、選挙協力について自民党が「立憲共産党」と揶揄。候補者調整は裏目に出て、立憲、共産両党ともに議席を減らす結果に終わった。その後、代表に就いた立憲の泉健太氏は、連携を「白紙」に戻すとし、次の衆院選に向けた候補者調整は進んでいない。

立憲幹部は共産党の置かれた状況をこう指摘する。

「ここ数年、共産党は、選挙戦略や政策の立ち位置で無理を続けてきたのに、結果が出なかった。党内にも不満はたまっている。立憲と違い、異論を言えない組織だから、それが表に出てこないだけだったんだろう」

その異論がついに表に出てきた今の共産党の様子を、全国紙政治部記者は語る。

「党幹部は、この問題をあまり取り上げられないよう、必死です。志位氏も「処分は妥当だった」などとこれまでの党の見解を繰り返すばかり。普段、政権を追及するときの姿勢とはあまりに違いすぎます」

ただ、いくら党幹部が問題を矮小化しようとしても、党内からも疑問の声は出始めている。味村耕太郎・藤沢市議は6日、Twitterにこう書き込んだ。

「私は松竹さんの党首公選や政策論に力点はありませんが、より開かれた党にならなければいけないという問題意識は共有します。そういう問題意識すら受け取れないようなら次の100年はありませんよ」


取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 写真/AFLO

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