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「BiSHはずっと続くと思っていた」今年6月の解散を前にアイナ・ジ・エンドが振り返るこれまで。「ハグ・ミィが脱退して気持ちがグシャグシャになった」

集英社オンライン / 2023年2月11日 14時1分

不思議な「解散への道」の途中を走っている、女性6人組の“楽器を持たないパンクバンド”BiSH。グループのほぼすべての曲の振付を担当し、ソロのボーカリストとして業界人気も高いメンバー、アイナ・ジ・エンドに、解散へのカウントダウンとなっているいま、心中を聞いた。

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解散まで5か月を切り、いま、アイナは何を思う

「正直なことを言えば、わたしはおばあちゃんになってもBiSHをやっていると思ってました。カッコよく『腹くくりました!』とはまだ言えないけれど、くくらなきゃいけないんだろうなって」

2015年春に結成、同年5月にインディーズデビュー。翌年にはメジャーデビューを果たし、いまや横浜アリーナや幕張メッセでもワンマンライブをおこなうBiSHだが、2021年の年末に「2023年をもって解散」を発表。昨年末に、今年6月29日の東京ドームライブをもって解散することが発表された。



解散まで5か月を切るなか、アイナ・ジ・エンドはいま何を思うのか。独占ロングインタビューをおこなった。

落ちまくってもアイドルのオーディションは受けなかった

――解散が決まったのはいつのことですか?

「2019年です。いつかは解散するということは決めてて、でもそれがいつになるのかはその時はまだわからないままでした。
モモコグミカンパニーやアユニ・Dはインタビューで『ずっと続くグループではないと思っていた。いつかは終わりがくると思っていた』って答えていたのでメンバーそれぞれだったんでしょうけれど、私はどこかでずっと続くような気がしていました」

――みんなを説得してもう少し続けたいという想いも?

「それは一切ないですね。2019年に、渡辺さん(※渡辺淳之介氏・BiSHの仕掛け人、プロデューサーであり所属事務所の社長)に解散を提案されて、一人ひとり考えたうえで解散するのかしないのかを決めたんです。

その2、3日のあいだにはライブもあったし、これ以上ないってくらい泣いたけれど、ひとりで咀嚼する時間の中で『自分はなんの澱みもないように終わろう!』と思って。そういえばこのときが腹をくくれた瞬間だったのかもしれません。

でも、実際に“終わる”ことがハッキリした今、寂しいなとは思います。
“最後”の場面が増えてきた。『振付するのも最後の曲か……』とか、『BiSHとして迎える最後の誕生日だ』とか、その都度寂しさは感じます」

――BiSHデビュー前のアイナさんについて教えてください。大阪で育った小さい頃からアーティストに憧れていましたか?

「バックダンサーユニットを組んで歌って踊れるグループやってみたり、男の子とふたりでR&Bユニットをやってみたり、ひとりでアコースティックでやってみたこともあるし、ほんとに色々やっていました。
カタチはなんでもよくて、ただ居場所が欲しかった。

上京して、ボーカリストオーディションを何度も受けては落ちまくってた。109のショップ店員や派遣のバイトもクビになって、何にも夢が叶わないからずっとベッドの上で寝ていた時期だってありました。

それでも、アイドルのオーデションを受けたことはなかったですね。学校だって、絶対的にかわいい子がアイドルとかマドンナって言われるじゃないですか。でも自分は、前の席の子にプリントを配られながら『お前今日もめっちゃおもろい顔してんなぁ』って言われるタイプのほう。唇が厚いからってあだ名は、“唇Ne-Yo”だったし、とてもじゃないけどアイドルにはなれるわけないって思ってた」

ダンスの仲間や先生に“人間”にしてもらった

――でもダンスと歌が、強い武器になりました。

「お父さんはカメラマンで、お母さんはアイドルを目指して上京して、ふたりともバンドマンだったという環境はあるかもしれない。4歳の頃、幼稚園の入園式で、ジッとしていられずに園庭を走り回った私に、ダンスを習わせてくれたんです。
でもダンスを続けさせてくれたことは、お父さんとお母さんからのプレゼントだと思ってます。お母さんは、『学校は休んでもダンスは行け』というようなちょっと変わったタイプだったし、お父さんはダンスの月謝がいくら高くても払ってくれました。

小さいときは、お父さんのことをあんまり好きと思えなかったし、お母さんのことを“母親”ってあまり思ったことがなくて、どちらにも心置きなく喋れる感覚がなかった。家族のことをあんまり信頼出来てなかったんだと思います。甘えたい、でも甘えられない……って。

でもダンスの仲間や先生に、“人間”にしてもらいました。
それまでずっとうまく喋れなかったんです。口先だけで喋って薄っぺらかった。そんな自分をしっかり叩き直してもらいました」

――大人になってからの、家族との関係は?

「上京するとき、お父さんが新幹線のグリーン車に乗せてくれたんです。一緒に家を決めて、新宿でコーヒーを飲んだりした思い出があります。
一昨年、紅白歌合戦に出られるってなったときに、お父さんが大阪から観に来てくれたんです。終わったら一緒に帰ろうかって言ってたけど、その後テレビの生放送があったので、結局お父さんだけ新幹線に乗って帰っていった。
そのときのことを、『行きの新幹線はすごく心細かったけど、もし帰りにグリーン車でアイナと一緒だったら、紅白に出た歌手を連れて帰ることになったんやな……こんな夢のある話はない』って泣きながら話してくれて。
それはすごく嬉しかったです。紅白出場を喜んでくれて」

ハグ・ミィの脱退で気持ちがグシャグシャになった

――紅白出場にいたるまでには、BiSHの活動はなかなか大変そうでした。

「結成当初は『新生クソアイドル』でしたから。一番最初のミュージックビデオでは、ホンモノの馬糞投げられてましたからね……。

でも、私はハイエースで移動するとかコンビニのご飯がもらえるとか、渡辺さんと当時のマネージャーとメンバーで夜行バスに乗って移動するのが楽しかった。マイク機材も物販商品も渡辺さんが持って、ヒーヒー言いながら移動してたんですけれど、『絶対売れてやるぜ!』っていう“魂の叫び”がみんなから出ていて、私ももちろん出してて。ぜんぜんツラくはなかった」

――メンバー内の確執はありましたか?

「ほかのグループと違って自分たちで振付しなきゃならない。みんなで作り上げるとなるとそれぞれが意見を言い出すから絶対に揉めちゃうんです。全員が『BiSHを良くしたい』と思ってるし、なにせ若いから。

楽屋でずっと誰も喋らないなんてしょっちゅうあったし、ハシヤスメ・アツコに胸ぐら掴まれたこともあった。暴力まではないですよ(笑)。
私やセントチヒロ・チッチは、最初の頃よく泣いてましたね。当時はハグ・ミィ(2016年脱退)がお姉ちゃん的存在で、『じゃあチッチはどう思うの? アイナちゃんはどう思う?』って話を聞いてくれた。当時の私はいまよりもっと言葉が汚かったし、おんなじ話を8周くらいして、でもハグ・ミィだけはずっと聞いてくれた。だからハグ・ミィがやめるってなったときは気持ちがグシャグシャになっていました。
でも、本気で憎んだり嫌いになったりはなかったですね。そこまでの出来事はなかった」

――乗り越えていったんですね。

「日々、少しずつ。一瞬ギスギスして喋らなくなっても、次の日には美味しい差し入れをもらったらみんなでめっちゃ盛り上がった。で、また次の日ケンカしてでも翌日にはケロっと元気になって、を繰り返してました。
もしかするとそう感じてるのは私だけで、誰かの心のなかでは『アイナうざい』って思われていたのかもしれないけれど、私にはねちっこい日々がずっと続いてきたイメージはないです」

まもなく丸8年を迎えるBiSHの軌跡を語るアイナ・ジ・エンド。
中編では、「BiSH解散後」について話を聞こう。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/村上庄吾

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