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【暴力団2世】「家に覚せい剤があるのが普通」「暴力の連鎖」「家出しても不幸」9割が生活困窮を余儀なくされているヤクザ・チルドレンたちの実態

集英社オンライン / 2023年2月17日 16時1分

「旧統一教会」や「エホバの証人」など宗教2世による被害の問題が注目されている。宗教2世同様に、「暴力団2世」の問題にも根深い問題がある。

9割の暴力団は生活困窮者

警察庁の統計によれば、全国の暴力団勢力は約2万4100人とされている。

山口組の分裂劇をはじめ、メディアによって脚光を浴びるのは、組長などのごく一握りのトップの姿だけだ。たしかに、最高幹部たちは高級スーツに身を包み、外車を乗り回し、多数の配下を侍らしている。彼らの生き方は、末端の組員から吸い上げた金を惜しげもなく使い、自らの力を必要以上に誇示すること。それに惑わされ、ひきつけられる若者もいる。

しかし、実態は違う。9割以上の暴力団構成員の生活は、最高幹部のそれとは大きくかけ離れたものなのだ。彼らは、暴力団対策法や暴力団排除条例によってがんじがらめにされ、しのぎを奪われ、生活困窮を余儀なくされている。



このこと自体は自業自得といって差し障りはないだろう。だが、問題は、苦境に陥った暴力団構成員のもとで生まれ育つ子供たちだ。彼らは親の暴力と困窮と差別という三重苦を生まれながらにして背負うことになる。

私はルポ『ヤクザ・チルドレン』で、多数の暴力団構成員の子供たちの人生に光を当てた。その驚くべき実態の一部を紹介したい。

女子中学生が覚せい剤

かつて暴力団のしのぎといえば、みかじめ料の徴収、金融業、賭博、地上げといったものだった。まだ社会の法制度が整っていなかったため、彼らはそれをうまく利用し、様々な金脈を作っていたのだ。そういう意味では、1980年代くらいまでは、暴力団は「儲かる仕事」だった。

肩から太ももまで刺青の入った組員

潮目が変わったのは、1990年代に入っての暴力団対策法。それにつづく暴力団排除条例の施行だった。新しい法制度によって暴力団の構成員と見なされれば、正業をするどころか、銀行口座を持つことや、ホテルに宿泊することすらできなくなった。こうして彼らは収入源の大半を失っていく。

追いつめられた構成員たちがこぞって手を出したのが、覚せい剤を主とした違法薬物の密売だった。グレーの仕事ができなくなったことで、ブラックかつ即金の仕事といえば、これくらいしかなかったのだ。

神奈川県で指定暴力団Y組の二次団体の組員だった河野竜司(仮名、以下同)も追い詰められたひとりだった。所属していた組の幹部が覚せい剤の密輸を手掛けており、竜司はそれを売ることで生計を立てていた。とはいえ、同地域には売人が大勢おり、競争も激しかった。

暴力団構成員とその妻

そこで彼は大人だけでなく、地元の中学生や自分の妻にまで覚せい剤を売りつけた。

そんな竜司の子として育ったのが、晴子(仮名、以下同)だった。晴子の記憶では、両親は一日中覚せい剤で幻覚を見ているような状態で、家はゴミ屋敷同然だった。薬物のせいで、親が急に襲いかかってきたり、泡を吹いて倒れたりすることも日常だったという。

晴子はそんな家が嫌で、妹と共に公園などで過ごしていた。だが、毎日外をフラフラしていたせいで変質者に目をつけられてしまう。彼女は見知らぬ大人の男から、複数回にわたって性犯罪に巻き込まれたのである。

「家がむちゃくちゃだったから家出したのに、そこでもレイプされれば、生きていることとかどうでもよくなるよね。ヤケになって、つらいことを忘れたいと思った時、手を出したのがクスリ(覚せい剤)だった。親がやっているのを見ていたから、私もやったら同じように楽になれると思ったの」(晴子)

ドーベルマン放し飼いの家で育った暴力団2世

こうして彼女は中学生に上がってから覚せい剤を筆頭として、いろんな違法薬物に手を出すことになった。

写真はイメージ

晴子のように、思春期になって親の真似をして覚せい剤に手を出すヤクザ・チルドレンたちは少なくない。密売人の子供として育った時点で、彼らは他人には計り知れないトラウマを抱えている。だからこそ、思春期になって現実から目をそらすために、親に倣って覚せい剤をはじめてしまうのだ。

これを負の連鎖といわずして何といおう。

男性の場合は、また別の負の連鎖に陥ることがある。暴力の連鎖である。福岡県にT会という指定暴力団がある。ここの大幹部の息子として生まれ育った渡辺篤史(仮名、以下同)の例を紹介したい。

父親は、篤史が小学6年生の時まで長い懲役に行っていた。篤史は母親から「お父さんは病院で入院している」と説明され、何も知らないままスポーツに明け暮れる日々を送っていたそうだ。

そんなある日、突然父親が刑務所から出所してきた。盛大な放免祝いが行われた後、一家は新築の巨大な屋敷に住むことになった。広い庭にはドーベルマンが放し飼いにされており、すぐ目の前には組事務所が建てられた。家の中には部屋住みと呼ばれる身の回りの手伝いをする子分たちが24時間張り付いた。

構成員たちにとって、篤史は親分の大切な子息だった。彼らは一様に篤史の機嫌を取ろうとして近づいてきたし、中には本物の拳銃を撃たせてくれる者もいた。篤史をかわいがれば、親分が喜ぶと思っていたのだろう。

中学に上がると、篤史は大幹部の息子という自分の立場に気がついた。先輩の不良たちが親しげに近づいてきて、あれこれと世話を焼いてくれる。彼らもまた、大幹部である父親を恐れていたのだ。

組長の息子がその道に進む「暴力の連鎖」

篤史は不良の道に進み、その特権を利用するようになる。自ら不良グループを結成して、暴走族の集会に出入りした。「どこでも特別待遇を受けることができた」と彼はいう。

「あの頃の俺は、怖いもの知らずで相当調子にのっていたな。未成年の頃の先輩って怖い存在だろ。でも、その先輩たちが暴走族を卒業すると、親父の組に入って部屋住み生活をスタートさせる。
部屋住みって奴隷同然で、俺の家の便所掃除から使い走りまで何でもやる。俺のようなガキにも絶対服従だった。恐ろしい先輩が、たった1日で家の雑用係になっちゃうわけだから、怖いものなんて何もなくなるよな」

地域の人はみな彼が大幹部の息子だと知っており、そういう目で見てくる。ならば、それに抗ってまっとうに生きるより、同じように道を外れた方が得策だと考えたのだ。

暴力団2世の男の場合、親の威光を利用して不良の道に進む者も少なくない。父親に命じられて構成員たちが働く会社の管理職になったり、右翼の道に進んだりすることもある。中には、二代目として父親の組を継ぐ者もいる。これなどは、暴力の連鎖と呼べるだろう。

大幹部の息子として生まれ育った子供

では、子供たちは、暴力団の呪縛から逃れることはできるのだろうか。それは決して簡単なことではない。

神奈川県で指定暴力団I会の構成員を父親に持つ上村ひかり(仮名、以下同)は、母親が覚せい剤中毒だった。そのため、母親は離婚した後も次から次に密売人と付き合ったせいで、暴力団との関係を断ち切ることができなかった。ひかりは、身体は女でも心は男というトランスジェンダーだった。なのに、母親の愛人から性的に襲われることも度々あったという。

「覚せい剤が転がっているヤクザの家しか知らなかったから…」

中学2年の時、その母親は覚せい剤のやりすぎで突然死した。

ひかりはこれ幸いとばかりに故郷を逃げ出し、インターネットで知り合った知人女性の実家に転がり込む。この家の両親は、ひかりが居候することを受け入れてくれた。娘が精神的な問題を抱えており、友だちであるひかりが一緒に住んで心が安定するならば、やむ得ないと考えたようだ。

ひかりは20歳と嘘をついていたが、知人の両親は信じるふりをしてくれていた。その家で数年間を過こしたことで、ひかりは暴力団との関係を断ち切ることができた。この家での体験を次のように語っていた。

「これまでヤクザの大人とヤクザの家しか知らなかった。そこは覚せい剤が転がっているだけの殺伐とした空間だったけど、この家に来たことで『家族』ってものを初めて知ったと思う。ドラマとか映画の中にしかないと思っていたけど、食卓を囲んで笑ってご飯を食べるようなことが現実にあるってことが逆にショックだった」

今、ひかりは性転換手術を受け、恋人と同棲している。

彼女の例は幸運な出会いによって人生が変わったケースだが、現実的には大人になっても暴力団とのしがらみから離れられない者も少なくない。自らの意思ではないという点において、それは悲劇でしかないだろう。

暴力団構成員の親に罪はあっても、その子供として生まれた人たちはそうではない。社会に暴力と犯罪の再生産を起こさないためにも、こうした子供たちへの対策を考えていく必要がある。

取材・文/石井光太

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