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一戸建ての家賃は東京の数分の1だが、電気代は3倍。それでも山陰の集落へ移住した2組の家族が石見を「第二のふるさと」として愛するワケとは

集英社オンライン / 2023年2月21日 18時1分

2007年、世界遺産登録された石見銀山。その石見銀山のある、島根県大田市大森町にこの数年、若者が次々と移住している。東京から移住し、働き、子育てをするふた組の夫婦の話を聞きに、山陰を訪れてみた。

石見銀山。江戸時代には20万の人口と1万3000軒の屋敷を抱え、全世界の3分の1の銀産出量を誇ったと言われる日本の中でも、トップクラスの銀山だ。そんな鉱山の町も1943年に銀山閉山後、急速に過疎化が進む。
しかし70年代、転機が訪れる。限界集落のはしりといった様相を呈するも、その頃から相次いで、集落出身の二人の青年が町に戻り、企業を立ち上げたのだ。

どこか懐かしい、石見銀山のある島根県大田市大森町の風景


一社は義肢装具メーカーの中村ブレイス。もう一社が今回紹介する2組の人たちが働く、衣料品などを手掛ける石見銀山生活文化研究所(石見銀山群言堂〔ぐんげんどう〕グループ、以下群言堂)だ。

二つの企業は事業の成長と共に雇用を生み出し、地域再生にも積極的に取り組んできた。結果、魅力を取り戻した町に集まったのは観光客だけでなく、若者がIターン、Uターンで移住するようにまでなった。

大田市役所市民課によると、2013年1月から2022年12月まで、この10年間の大森町への転入者数は172人、出生者数47人。一時期は園児が2名にまで減り、存続が危ぶまれた町唯一の保育園、大森さくら保育園は23年春、園児が27名に増える。若い家族が働きながら子育てできる環境が整ってきたことも、転入、出生数が増えている要因だろう。

今回話を聞いた移住者は、群言堂で働く小野寺さん夫妻と、同じく群言堂社員の渡邉千絵さん、夫でフリーカメラマンの英守さん夫妻だ。

小野寺さん夫妻は現在、絆菜(はんな)ちゃん(11)、寅赳(のぶたけ)くん(7)、杏珠(あんじ)ちゃん(5)、咲太(わらた)くん(3)の4人の子育ての真っ最中だ。

小野寺さん夫妻

夫・拓郎さん(42)は高校卒業後7年間、故郷の静岡県で工場に勤務する。25歳の時に「ミュージシャンになりたい」と一念発起し、上京。音楽をやりながら焼き鳥屋で働く生活を続けていた時に、お客だった現在の妻、久美子さん(40)と出会う。

2011年の結婚・長女の絆菜ちゃん出産を機に、拓郎さんはミュージシャンではなく、和食の料理人になると決める。同年、群言堂グループが当時、西荻窪に展開していた飲食店に就職。

2年が経ち、仕事にも慣れた頃だった。同社現会長の松場大吉さんとの面談で、「僕も(島根県)大森町の研修に呼んでください」と拓郎さんが申し出ると、早速招集がかかった。

拓郎さんとしては、2週間程度の研修のつもりが「まずは2年間、大森で働いてみないか」と会長に言われて驚くも、本社のある大森町へ移ることを決意。以来、群言堂グループが同町で経営する宿、他郷阿部家(たきょうあべけ)の料理人として働いている。

古民家宿他郷阿部家の料理人として働く小野寺拓郎さん

当初戸惑ったのは久美子さんだ。

東京出身で准看護師として病院に勤務していた久美子さんにとって、山陰の集落への転居はあまりに唐突で、一緒に行くか東京に残るか、迷ったという。しかし、東京にいる実母の「夫婦は離れちゃ駄目」という言葉に、「私が行くしかないんだな」と観念。2014年、拓郎さんの1か月後に大森町に引っ越して来た。

東京から、信号もコンビニもない小さな町への移住だったが、意外にも拓郎さんは、自分のイメージ通りの暮らしが始められたという。

「ここには、移住してきた大人や子どもに、遊び方を教えてくれるおじさんが沢山いるんです。魚釣りや野山での山菜採り、栗拾いといった遊びを、自分の親世代のおじさん達が、少年みたいに楽しんでる。その姿を子ども達が見ながら育つのがいいなぁと思いますし、僕自身も一緒になって、楽しく暮らせたのがすごくよかった」(拓郎さん)

一方で久美子さんには、余裕がなかった。
「移住して最初のころは、土日に夫が休みでないので、慣れない環境の中、娘と二人でずっと家にいるのがストレスで、悩んでいました。でも数カ月が過ぎ、町のイベントに参加したり、子どもが増えていく中で、休日にお父さんがいなくても、周りの大人達の誰かしらが子ども達と遊んでくれたりして、だんだん余裕ができてきました。休みの日は家族だけで過ごさなきゃ、という既成概念に縛られなくなったというか」(久美子さん)

群言堂本社ものづくり事業部に勤務する小野寺久美子さん

そんな久美子さんに、東京での暮らしが恋しくなることはないか、聞いてみた。
「コロナ禍で実家に容易に帰れなかった時は、両親のことが心配になりましたが、それ以外はないですね。東京とは比較にならない豊かな暮らしがここにあるので、逆に今、年に一度静岡と東京に帰省すると、人の多さに疲れます(笑)。

移住してもうすぐ10年ですが、濃厚すぎる10年で、今では出身地よりも地元みたいに感じます。子ども達にとってここを『地元』『第二のふるさと』にしてあげられたのはすごくよかった。大森町には保育園と小学校が一つずつあるだけなので、将来は別の地域に進学することもあると思います。でも、居心地のいいこの場所をふるさととして位置付けられたのはよかったです」

外で遊ぶ小野寺拓郎さんと3人のお子さん達

大森町の地域再生、町ぐるみの子育ての取り組みはNHKの番組で紹介されていることもあり、それを見た高校時代の同級生複数から、拓郎さんは「おまえいい所に住んでるなぁ」と言われ、自分も移住したいという希望を聞かされたそうだ。

拓郎さんから最後に、移住へのアドバイスをもらった。
「1回は事前に現地に足を運んで、町の雰囲気を見て、空気を吸ってみるのがいいです。僕は会長に異動を言われた時点で、ここでの暮らしがイメージできましたが、そうでない人ももちろんいるでしょう。実際、当社でも就職したものの、辞めていった人もいますから」

もうひと組、同じく東京からの移住組で、妻で群言堂のオンライン事業部で働く渡邉千絵さん(37)と、夫でフリーカメラマンの英守さん(41)の例を紹介しよう。

千絵さん、英守さんは共に関東育ちだが、「子育てが終わっても大森町の暮らしを楽しみたい」

千絵さんは愛知県生まれの神奈川県育ち、大学からは東京暮らしだった。英守さんは兵庫県生まれ、埼玉県育ち。二人は東京の広告制作会社の同僚として知り合い、2018年に結婚、都心に住んでいた。現在、ひかりちゃん(4)と守くん(1)を育てながら共働き中だ。

移住のきっかけは、コロナ禍だった。転職して群言堂の都内店舗で働いていた千絵さんだったが、長女ひかりちゃんが1歳半になるタイミングでコロナ禍に。保育園は登園を制限され、都心のマンション近くの子育て支援センターや公園もクローズ。行く場所がなくなってしまった。

イベント撮影が中心だったカメラマンの英守さんの仕事も厳しくなり、また群言堂もオンラインストアにより力を入れる方針になったことで、千絵さんは大森町の本社への異動の打診を受ける。
東京での仕事、子育てに不安を感じていた二人は、家族で大森町への移住を決めた。

東京の暮らしから一転、仕事も子育ても環境が大きく変わったが、千絵さんは「だんだん、東京に戻ることが想像つかなくなってきた」という。

「ここでは、東京に比べて暮らしで関わる人の数が段違いに多く、関わりが増えるほど『ホーム』になってきたと感じます。今、暮らしに不足も不便もなく、逆に東京だけでしか得られないものがなくなってきたというか。

大学時代、ヨーロッパの古い町並みに憧れてフランス文学を学びましたが、この大森も古いものを生かした町並みが素敵で、何か根底でつながっているように思います。あの頃抱いたのと似た憧れ、ときめきを、この町にも感じるんです」

千絵さんは、コロナ禍以降群言堂が力を入れるオンライン事業部に勤務

現在借りている一戸建ての家賃は、都心のマンションの数分の1で済んでいるものの、断熱も施していない古い家は冬寒く、電気代は東京時代の3倍に。また、下水道普及率は町全体で50%以下、ガソリン代も東京より高い。

伝統の石州瓦屋根の建物が、山あいの生活道路沿いに並ぶ

それでも英守さんも、こちらの暮らしに満足していると話す。

「今は田舎でも物流も発達し、リモートで国内外どこにでもつながれる。都市から地方への移住が昔みたいなリスクの大きい冒険ではなくなってきました。新天地での生活を切り拓きたいという希望、ニーズに、時代がついてきたというか。

ここでは、お金をかけなくても豊かに暮らせます。それに対して大都市は、お金で物事を解決するようにできている。

大森町では東京に比べて、人と関わる時間が圧倒的に多い。ネットではなくリアルに一緒に過ごす時間が、他人同士の間にも愛情、愛着を育んでくれる。自分を含め、潜在意識でつながりを求め、それを楽しむ人が集まってきていると感じます。リアルなつながりを楽しめる人がこれからも来てくれたらいいなぁと思います」

千絵さんと二人のお子さん、愛猫との休日風景。夫の英守さん撮影

昔から多くのよそ者も受け入れ、発展してきた石見銀山。今、都市部からの移住者が多いせいか、若い人たちが新しい価値観で集まり、現代のコミュニティをつくっている。古いイメージの田舎の閉鎖性はなく、人と人とがちょうどよい距離で風通しよくつながる印象を受けた。

「東京」と「地方」というステレオタイプな二極の構図は最早存在しないのかもしれない。どの地域であれ、住民と町が魅力的かどうかが、人が集まり、存続できる大きな要因になるのではないか。新たなつながりを紡ぐ集落で、多くを教わった気がした。

撮影/渡邉英守 取材・文/中島早苗

#2「「田舎で暮らしたい」「なぜ? やめなさい」…それぞれのパートナーからは意見も。ヨーロッパ生活を経て石見に移住した二人の青年の幸福とは」はこちらから

#3「限界集落の危機に瀕した町を蘇らせ、ベビーラッシュへ。石見銀山の町を救った2つの企業に問う、移住者とともに歩む未来」はこちらから(2月23日10時公開予定)

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