引退する武藤敬司が何よりも大切にしてきたものとは…。トップレスラーとしての誇りを支えた「練習」が武藤のプロレス人生に終止符を打った。「俺らはお客様に何を見せるか。まず重要なのは…」
集英社オンライン / 2023年2月20日 11時1分
2023年2月21日武藤敬司引退。38年4か月のレスラー人生で武藤が何よりも大切にしてきたこととは…。不世出のレスラーの軌跡を描いた『完全版 さよならムーンサルトプレス 武藤敬司 「引退」までの全記録』 (徳間文庫) の著者、福留崇広氏が綴る。
昭和、平成、令和を駆け抜けた伝説のプロレスラー
プロレス界のスーパースター、武藤敬司が2月21日に東京ドームでの内藤哲也戦を最後に引退する。1984年10月5日の蝶野正洋戦でのデビューから38年4か月に及んだプロレス人生は、新日本プロレス、全日本プロレス、WRESTLE―1、プロレスリング・ノアと所属団体を移り、昭和、平成、令和と時代を越えファンの心を掴み続けた。
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写真:平工幸雄/アフロ
化身の「グレート・ムタ」で全米でトップを極めたカリスマは「股関節の負傷」で引退を決断した。リングを去るほどに追い込まれる重傷を負った真相を探ると、力道山からアントニオ猪木を経て武藤につながる日本のトップレスラーが受け継いできた「伝統」が浮かび上がって来た。
武藤が引退を表明したのは昨年6月12日、さいたまスーパーアリーナのリング上だった。マイクを持った武藤は「かつてプロレスとはゴールのないマラソンと言った自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までに引退します」と宣言した。バックステージで取材に応じた武藤は引退の理由を「股関節の負傷」と明言。
「このまま続けてもいずれ股関節は人工関節にしなきゃいけない。そうなるとプロレスは続けられない」と重大決断に至った背景を説明した。
以来、武藤の引退理由は「股関節の負傷」と報じられ続けているが、なぜ、辞めるほどまでに至ったかについて、本人はほとんど明かしていない。私は武藤のプロレス人生を描いたノンフィクション『さよならムーンサルトプレス 武藤敬司35年の全記録』(イーストプレス刊)を2019年5月に上梓した。さらに引退表明を受け、取材を重ね、今年1月12日に徳間書店から本書を文庫化した「完全版 さよならムーンサルトプレス 武藤敬司「引退」までの全記録」を出版した。
その中で武藤が「股関節」に重傷を負った真相を探り、辿り着いた答えはトップレスラーとしての誇りにあった。
トップレスラーとしての誇り
武藤は24歳の時に膝を負傷して以来、日常生活で歩くことが困難になるほど膝のケガに悩まされ続けた。それほどのハンデを負いながらリング上では他のどのレスラーよりも光り輝き、数々の名勝負をマットに刻んできた。
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©PRO WRESTLING NOAH
しかし、57歳になった2018年3月に両膝の人工関節設置手術を決断。人工関節における世界的権威の東京・足立区の苑田会人工関節センターの杉本和隆病院長による手術は成功し、19年6月の復帰からは両膝に人工関節を入れた体で戦い続けた。
同時にこの手術が成功したことで30年あまり戦ってきた両膝の痛みから解放され、手術前には、ほとんどできなかった下半身の筋力トレーニングに没頭した。そして、この激しい「練習」が武藤を追い込んだ。
「膝の痛みがないから、ずっとやれなかったスクワットを熱心にやったんだ。細くなっちまった脚を太くしたかったからね。ただ、それがよくなかったんだ。重りを乗せてスクワットやったから、今度は股関節に負担が来ちまったんだよ。
それで関節が変形してさ。痛くて痛くてどうしようもなくなったんだ。膝なら何とか歩けたけど、股関節は体の中心だから、ここをケガするとどうにもならねぇんだ。動かなくなるんだよ。結局、自分で自分を追い込んじまったんだよ」
武藤が自らに課したスクワットは「ハックスクワット」という器具を使うスクワットだった。この練習で武藤は最大200kgの重さを乗せて下半身をいじめ抜いた。結果、股関節は悲鳴を上げ「引退」にまで追い込まれる重傷を負った。「練習」が武藤のプロレス人生に終止符を打ったのだ。
武藤は、生活の中心を「練習」に置いている。起床は毎朝5時。朝食を食べて午前8時25分には自宅近くのトレーニングジムへ行く。5時に起きる理由は、ジムのオープンが午前9時で一般的に摂取した食事が消化するのは3時間かかると言われているため、練習時間から逆算した早朝に起きるのだ。
「俺らはお客様に何を見せるか。まず重要なのは…」
オープンの30分ほど前にジムへ行くのも駐車場が数台しか停められないため、駐車位置を確保するためだ。30分前に駐車すると、オープンまでの時間は車内でテレビを見たり、スマホをチェックするなどで時間をつぶす。
そして、練習は午後1時まで徹底的に追い込む。これを「3勤1休」のペースで繰り返し、試合に備えているのだ。「練習」を生活の基盤に置くことはレスラーにとって「当たり前のこと」と武藤は言う。
「俺らはお客様に何を見せるかなんだよ。まず重要なのは体だよ。筋肉だよ。ただ、今のこの体を作るまでには、まるで薄皮一枚一枚を重ねるように繊細なことなんだよ。これって決して疎かにできないんだ。俺のモットーは『昨日の武藤敬司に今日は勝つ』。練習はきついし逃げたくなるんだけど、そう思って毎日戦ってますよ」
タイツ一枚でリングに上がるプロレスラー。四方から観客の視線を浴びることは同時に肉体ひとつで大衆を惹き付けることが不可欠になる。ましてや、興行の看板を背負うトップに君臨するレスラーとなれば、その責任と自覚は、他のレスラーの比ではないだろう。このトップレスラーだけが感じる「誇り」が武藤を練習に追い込んだ原点なのだ。
肉体を徹底的に追い込む武藤の「練習」に思いを巡らせると、日本のプロレス界で受け継がれてきた伝統を感じる。
武藤魂が続けば日本のプロレス界の未来は明るい
昭和29(1954)年2月19日、蔵前国技館で力道山が木村政彦と組んでシャープ兄弟と戦った試合が現在につながるプロレス興行の始まりと言われる。関脇まで昇進した大相撲を引退しプロレスラーに転向した力道山は「日本プロレス協会」を発足し、大相撲の部屋制度を参考にした後進を育成するための「道場」と合宿所を作った。
若手選手には過酷な練習を「道場」で課し、観客に説得力を持たせる常人離れした肉体を作ることを力道山は目指した。
そして、昭和35(1960)年4月に力道山の弟子となったアントニオ猪木は、日本プロレスを追放され、同47(1972)年1月に新日本プロレスを設立した時に自宅を改装し庭を潰して真っ先に道場を建設した。力道山の「闘魂」を継承した猪木は、道場で妥協のない練習を同じように後進に課した。
さらに団体の社長業、実業家として多忙を極めたが深夜に一人で道場へ足を運び、新日本の看板を背負うトップとして人知れず練習を重ねていた。その猪木の姿を見た藤波辰爾、長州力、藤原喜明、佐山聡らが道場で技を磨き、肉体をいじめ抜き日本のプロレス界を隆盛に導いた。
猪木の弟子で薫陶を受けた武藤は、こうした力道山から猪木へ流れる日本プロレスの伝統を受け継ぎトップレスラーとしての責任感から肉体を追い込み、その結果が引退となった。時代を作った武藤がリングから去ることは寂しい出来事だが、今度は、武藤が受け継いだ伝統を後進のレスラーが続けていければ、日本のプロレス界の未来は明るいだろう。
武藤の引退試合は2月21日に行われる。
力道山が初めてシャープ兄弟と戦ったのは2月19日。そして2月20日は昨年10月1日に79歳で亡くなった猪木の80回目の誕生日だ。そして21日に武藤が引退する。
2月19、20、21日。この3日間は、日本のプロレス史を象徴する時間でもある。
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引退試合3日前から「武藤敬司引退記念特別号」(スポーツ報知)も発売される
取材・文/福留崇広(スポーツ報知記者)
『完全版 さよならムーンサルトプレス 武藤敬司 「引退」までの全記録』 (徳間文庫)
福留崇広
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2022年1月12日
1100円
544ページ
978-4198948221
平成のプロレス界を牽引し常にファンを魅了し続けた武藤敬司。新日本プロレスでの衝撃デビューから闘魂三銃士結成、グレート・ムタの覚醒、nWoで日米マットを席巻、全日本プロレス社長就任、ノア移籍、そして電撃引退発表まで。武藤敬司に徹底密着した著者が描く不世出のプロレスの天才の軌跡。坂口征二、前田日明、佐山サトル、蝶野正洋、獣神サンダーライガー、船木誠勝、和田京平、桜田一男、若松市政、エリック・ビショフら、武藤を知る要人およそ30名を総力取材。
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