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【震災12年】「若い家族は戻ってこない。そんな村に未来があると思いますか?」いまも山菜は高濃度…放射能汚染と闘う農家が起こした「奇跡」と、取り戻せない風景

集英社オンライン / 2023年3月8日 10時1分

有機農業なんてもう無理ではないのか。東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故後、畑は放射能に汚染され、誰もがそう思った。だが、福島県二本松市の地元農家たちは諦めなかった。「やってみないとわからない」と作物の種をまいてから12年の年月が経つ――。

「食べられなければ賠償請求しよう」

福島県二本松市街からなだらかな阿武隈山地に分け入った旧東和町(2005年の合併で二本松市に)は有機農業のまちづくりで知られていた。

「堆肥センター」では、農家からの籾殻(もみがら)と、牧場の牛糞、カット野菜やおからといった食品残さで有機肥料をつくり、田畑に還元してきた。

有機肥料で育てた野菜や、養蚕の歴史を活かした桑茶や桑パウダーを道の駅「ふくしま東和」で販売する。事業を担うNPO「ゆうきの里東和」の売り上げは震災前には年間約2億円に達していた。



2011年3月の福島第一原発事故は「安心・安全」の有機農業を根底からくつがえした。

存亡の危機を前に東和の農家は生産者会議を開いた。彼らは諦めなかった。

「やってみないとわからん。耕して種をまこう」

「出荷制限されて食べられなければ損害賠償を請求しよう」

営農を継続し、野菜に含まれる放射能を自主的に測定する体制をつくりあげた。

道の駅「ふくしま東和」(写真は2021〜2022年に撮影、以下同)

「孫に食べさせられる」ばあちゃんは喜んだ

福島第一原発から40~50キロの東和地区では、空間放射線量は1~1.5ミクロンシーベルトで、通常(0.05ミクロンシーベルト前後)の20倍超だった。

畑の土からは1キログラムあたり4000ベクレルの放射性セシウムが検出された。土壌のセシウムが野菜に移行する割合はチェルノブイリの経験から、約0.1と考えられていた。

4000ベクレルの土に植えたジャガイモからは400ベクレルが検出されてもおかしくない。食品衛生法のセシウムの暫定規制値は野菜類・穀類・肉などで1キログラムあたり500ベクレルだった(2012年4月からの基準値は100ベクレル)。

若い家族は福島の野菜や米は怖くて口にしない。炊飯器を2台そろえ、ひとつは高齢者向けに地元の米を炊き、もうひとつは子ども向けに福島県外の米を炊く家もあった。それがじいちゃん、ばあちゃんにはつらかった。

標高300メートルの布沢集落で有機農業と農家民宿を営む菅野正寿さん(1958年生まれ)は、セシウムは土の表面に集中しているからと、耕して土を返し、堆肥を投入し、2011年4月にジャガイモを植えた。

菅野正寿さん

阿武隈山地ではどの農家も、冷害に強いジャガイモを昔から栽培してきた。

7月、収穫したジャガイモを計測するとセシウムは10~20ベクレルだった。

「よかったぁ。これなら孫に食べさせられる」

喜ぶばあちゃんたちの顔が菅野さんは忘れられないという。

布沢集落

営農の力が生んだ「福島の奇跡」

水田はどうだったか。菅野さんの田の土壌には1キロあたり3000ベクレルのセシウムが含まれていたから、玄米から300ベクレル検出されてもおかしくない。

実際は、わらと籾殻からは50~100ベクレル検出されたが玄米は不検出だった。2015年にはわらも不検出になった。

東和町の農家に協力してきた研究者はこう分析した。

長年稲わらや堆肥を投入してきた結果、放射性セシウムを固定する腐植含量と、作物への吸収を抑制するカリウムが供給されていた……。

「肥沃な土づくりに励んできた農民たちの力だ。この地に踏みとどまったお年寄りたちの営農の力だ。福島の奇跡だ」

研究者のひとりはそう評価した。

布沢集落では原発事故から2年後の2013年には全員が米づくりを再開した。

田植えをする菅野さん

だが、東和全体では10年たっても半分近くは耕作していない。一度耕すのをやめると雑草が繁茂し、放棄してしまう人が多い。

セイタカアワダチソウの黄色い花が田をおおい、そのうち柳の木が生えて根を張ってしまう。そうなったら水田にもどすのは難しい。

汚染が続く山菜。春の「山歩き」は消えた

東和地区周辺の米や野菜は安全性が確認された。だが、山菜やきのこ、野生生物の肉からはいまだに基準を超える高濃度のセシウムがでる。

山菜のコシアブラは1キログラムあたり1400ベクレル、熊肉では1万ベクレルを超えることもある。

菅野さんが住む布沢集落は春になるとワラビやゼンマイ、コゴミといった山菜がいっせいに芽吹く。新芽の苦味は「命をいただく」ものだった。だが今は誰も採ろうとしない。

「震災前はね、春は山歩きをして山菜を採って直売所に持っていった。それがばあちゃんの生きがいだったんだ。

このままではワラビや竹の子のあく抜きの方法も伝わらなくなってしまう。暮らしが戻っただけでは『復興』とはいえませんよ」

菅野さんは話す。

「塩漬けでセシウムも消える」伝統の知恵で放射能対策

菅野さん一家が営む農家民宿「遊雲の里」の春の食卓は、畑の土手で採れたフキノトウの天ぷらやふき味噌がおいしい。もちろんセシウムがないことは確認ずみだ。

「山菜はダメだ」ではなく、どうすれば扱えるか、菅野さんらは試し続け、畑でつくる「栽培わらび」にも取り組む。

さらに、飯舘村で震災直後から、土壌や作物のセシウムを測定し続けている伊藤延由さん(1943年生まれ)によって、大半の山菜のセシウムを除去できる可能性がみえてきた。

飯舘村のモニタリングポストと伊藤延由さん

伊藤さんは、震災後も山菜を採って食べ続けるおばあさんの話に驚いた。

「塩漬けにすれば(放射能は)抜けるんだぞ。知らねえんか?」

「セシウムは無理だよ」と反論したが、自らワラビを塩漬けや重曹であく抜きをしてみると、みごとにセシウムが消えた。

ワラビだけではない。ハチクもウドも……コシアブラ以外の大半の山菜はセシウムが抜けた。ただ、香りをたのしむマツタケなどは、香りも抜けてしまった。

阿武隈山地のまんなかの飯舘村は一部を除いて福島第一原発から30キロ圏内ではないが、南東の風で流れてきた放射能の雲によって高濃度に汚染され、2017年まで6年間にわたって全村避難となった。

除染されていない山林の土壌は今も1キログラムあたり2~10万ベクレルのセシウムが検出される。

2017年にようやく避難指示が解除され、田畑を耕す人もチラホラ出てきた。

伊藤さんによると、除染したうえで、セシウムの吸収を抑えるカリ肥料を入れているから、野菜は安全だ。

では、「農」のコミュニティは復活するのだろうか?

国勢調査によると、震災前の2010年に6200人だった飯舘村の居住者は2020年には1318人(2022年11月は1511人)で高齢者が58%を占め、15歳未満は34人(2.6%)しかいない。

「隣の家があって、縁側でおしゃべりするのがコミュニティでしょ? 私の家から一番近いお宅は2キロはなれています。

そもそも子どもが住める環境とは思えない。補助金を使って営農が再開しても、若い家族は戻ってこない。そんな村に未来があると思いますか?」

セシウム137の半減期は30年。事故前の数値に戻るには300年かかるのだ。

取材・文・撮影/藤井 満

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