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“忍びじゃない”服部半蔵の登場は「うれしかった」…服部一族の末裔当主が語る『どうする家康』と己の出自を隠した幼少時代

集英社オンライン / 2023年3月5日 11時1分

忍者のイメージの強い服部半蔵。大河ドラマ『どうする家康』では、半蔵を忍者ではなく武将として描くという新たな切り口で大河ファンをうならせているが、服部一族の末裔はそれをどう見るか。現在、和菓子店を営む服部家14代当主に直撃。服部一族と忍者の関係性に迫る。

服部家14代当主は老舗和菓子店の代表

なにかと話題のNHK大河ドラマ『どうする家康』。中でも、山田孝之(39)演じる服部半蔵が率いる忍者軍団、“服部党”の面々が、主役の松本潤(39)演じる家康を“喰う”ほどの人気を呼んでいる。

浜松駅に貼られていた『どうする家康』ポスター

“山田半蔵”が初登場したのは2月5日放送の第5回「瀬名奪還作戦」。本作では、これまで「忍者」としての認識が強かった服部半蔵が出てくるやいなや、「俺は忍者ではない」と言い切るなど、「忍びの頭目」のイメージを刷新する最新の歴史研究を取り入れていることも大河ファンをうならせている。



そんな中、三重県で服部一族の末裔が代々営む和菓子店が存在するという情報をキャッチ。その末裔とは「深川屋 陸奥大掾(ふかわや むつだいじょう)」代表で、服部家の14代当主・服部吉右衛門亜樹さんだ。

「深川屋」は三重県亀山市の旧東海道の関宿で、江戸時代から14代に渡り、菓子「関の戸」を製造販売している老舗の和菓子店だ。
同店のホームページを開いてみると<創業約380年 深川屋は「忍びの隠れ蓑」>と大々的にうたわれており、<東海道53次の宿場町「関宿」で、江戸時代寛永年間より作り続けている「関の戸」は、忍者の末裔 服部伊予保重により考案されたお餅菓子です>と説明している。

銘菓「関の戸」

その代表を務める服部さんの目には、今年の大河はどう映っているのか。話を聞いた。

“忍びじゃない”服部半蔵は「うれしかった」

そもそも服部さんは“忍者の末裔”であり、“服部一族の子孫”ということだが、服部半蔵とはどのような関係にあったのだろうか。

「大まかにいうと、当家の初代当主と服部半蔵は、“親戚筋”だと伝わっています。
半蔵のお父さんが現在の三重県伊賀市にあたる伊賀国出身(後に三河へ赴いている)の忍びで、当家の初代当主はその兄弟の子供だといわれています。なので、初代は半蔵とは少なくともいとこ以上には近い関係では、と考えております。

なぜかといいますと、いわゆる『天正伊賀の乱』(天正6年に伊賀国で起こった織田氏と伊賀衆の争い)の時に、初代たち一族が、(半蔵とそのお父さんがいる)三河に逃げてるんですよね。当時は、戦乱の際には兄弟のところに逃げるのが筋で、全然知らない土地に身を寄せることはない。“三河の服部”に逃げ、匿ってもらったということは、(初代のお父さんと半蔵のお父さんは)兄弟だろうと、我々は考えてきました」(服部吉右衛門亜樹さん。以下同)

今回の大河では服部半蔵は“忍者ではない”ことを強調。さらに2月26日放送の第8回「三河一揆でどうする!」では、家康の呼び出しにも遅参し、身内の謀反にも気づくのが遅かったと、どこかコミカルな雰囲気を漂わせる「悩める若者」として描かれている。
脚本家の古沢良太氏が打ち出すこの「半蔵像」についてはどう見たのか。

服部家14代当主・服部吉右衛門亜樹さん

「NHKの大河ドラマの中で服部半蔵が『俺は忍者じゃない』『忍びじゃない』と言っていて、これは画期的だと思って見ております。全国の90%以上の人たちが『服部半蔵は忍者』と思っているところに一石を投じる、すばらしい脚本だった。
「忍者=服部半蔵」のイメージを作ったのは東宝映画の『影の軍団 服部半蔵』(1980年)や、アニメ『忍者ハットリくん』(1981年放映開始)など、昭和時代の色々な脚色があったから、仕方がないのかなぁと受け止めていました。

甲賀対伊賀の対立という構図も、映画会社やテレビの映像作品で仕掛けられたのが元になっていると認識していて、祖父や父からも実情は違うのではと聞いていた。それまでの『半蔵像』や『忍者の描かれ方』に疑問を感じていたからこそ、今回の半蔵は、うれしかったのです」

服部氏がこう力説するには、深いわけがあった。

あだ名は“ニンニン”…末裔であることを周囲に隠した少年時代

服部さんは1964年、三重県亀山市で生まれた。

「僕が生まれた年はちょうど(漫画)『忍者ハットリくん』の連載が始まった年。小学生の頃からあだ名で“ニンニン”と呼ばれていました。『ニンニンって言ってみぃ』と言われて、それに応えなきゃいけない状況が非常に恥ずかしくって、悔しくって、嫌でした。服部という名前が恥ずかしい……そんな幼少期を過ごしていましたね」

それゆえに、幼いころから、祖父や父から「忍者の末裔だ」と聞いてはいたが、一切、口外することはなかったという。

「祖父や父からは『うちの先祖は伊賀の忍びだよ』『忍者なんだよ』とは、ずっと言われていました。でも、まわりのみんなは『忍者なんて架空の存在だ』と思っていたみたいでしたし、毎日“ニンニン”といじられる状況で、絶対末裔だなんて言えなかった。むしろ、父たちが言うことが本当なのかと疑問を抱いていました」

だが、服部氏が中学生になったとき、改めて、祖父らから「血筋」についての話があったのだという。

関宿にある深川屋

「きっかけは『仮面の忍者 赤影』の実写作。赤影は伊賀の忍者ではないのですが、『うちも伊賀忍者の血なんだぞ』とさらっと話を聞かされた。でも僕は『嘘だ、嘘だ』と思った。
ただ今にして思えば、その頃、『ニンニン』と言われて本当に悩んでいたと明かしたことがあったから、それで『実はな……』と詳しく話してくれたというのが、父たちの本当の気持ちだったのかな……。

その時に『“関の戸”というのは、忍者を隠すためにはじめたお菓子なんだよ』という話を聞いたのです。一族は、“諜報”をメインとして活動していた、いわばスパイです。和菓子屋を隠れ蓑に、道行く人を見つめ『今日はこういう人たちが行きかっていた』『こういう人たちが入ってきている』という観察をして報告したり、京都や大阪にお菓子を持って『行商』にいき、情報を得、また伝えていたのです」

“イロモノ”だった忍者学の風向きが変わった理由

そのため、改めて『どうする家康』での服部半蔵の描かれ方はありがたかったそうだ。

「だから今回の大河で新しい半蔵が描かれたことはとてもうれしい。『忍者ハットリくん』しかり、影の軍団のイメージしかり、これまで忍者といえば“刀を持った殺傷軍団”みたいなイメージで語られてきました。そこは僕としては、非常に心を痛めていた部分なんです。
僕ら一族は“諜報活動屋”なんです。戦国時代はともかく、江戸時代は戦のない太平の世ですから、いわゆる必殺仕事人みたいな人はいないわけですよ。
だから、卍字のマスクをして、カマを持って、パフォーマンスしてるという忍者の姿を僕は見ていられなかったし、その忍者像を“かっこいい”と思われるのも嫌でした。
大河の第6回『続・瀬名奪還作戦』の中で『忍者は金をもらえれば何でもやる』という言葉がありましたが、それが正しいんですよ。服部一族はとても貧乏な一族で、食べるに困っていたので」

「関の戸」各種

今回、新たな「忍者像」が描かれた背景には近年の「忍者研究」の目覚しい発展があるという。歴史研究者の一人がこう話す。

「これまでは、忍者に関する文献がほとんど残されていないことから、その存在自体が疑わしいものだと思われていて、忍者の研究が“イロモノ”のように見られる風潮がありました。
しかし、近年、歴史研究の権威である、三重大学の藤田伸也教授、山田雄二教授らが同大学内に『国際忍者研究センター』を立ち上げ、忍者学を学問として研究した結果、戦国時代には大名の下で活躍していた忍びたちがいるという史料も発見された。
また、まきびし(忍者が逃げる途中にばら撒くことで、追手に怪我を負わせる道具)のようなものも見つかっており、その実情が解明されつつあります」

そんなリアルな「忍者像」が解明されていく一方で、ドラマでは松本まりか(38)演じる女忍者“女大鼠”の活躍も注目を集める。変装の名人である彼女は父・大鼠の死後、いささか頼りない半蔵の右腕となって、時には遊女、またあるときには村娘となり、服部党を引っ張っていく。

そこで気になるのは、女大鼠のような「術」を使う忍びは実際に存在したのか、ということだ。そもそも、忍者といえば、真っ先に思い浮かぶのが「忍法帳」や「秘伝の書」の存在ではないだろうか。服部家に代々伝わる「秘伝の書」はあるのだろうか。

後編では現代に伝わる忍術にスポットを当てる。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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