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〈写真が語る東日本大震災〉唯一の形見だった診察券からへその緒まで…被災者の思い出の品を保管、返還し続けて12年。「今は受け取りたくなかった」かけられた言葉で気づいた震災後の被災者の気持ち

集英社オンライン / 2023年3月9日 7時1分

写真や物品、あわせて数十万点。この途方もない数の拾得物を、12年間、被災者やその関係者に返還する活動をおこなってきたのが一般社団法人三陸アーカイブ減災センター代表理事の秋山真理さん。彼女はこの活動を通して、人と、人の思いと、モノをつなぐ絆の強さを知った。

震災後10年で返還事業に区切りをつける自治体も

使い古したランドセルに擦り切れたグローブ、そして仏像から位牌まで――。

津波で流された思い出の品を持ち主に返す事業があると聞き、岩手県陸前高田市を訪ねたのは今年2月。
拾得物の返還を行っているのは、一般社団法人三陸アーカイブ減災センターだ。仰々しい名称だが、その場所は2階建てのコンテナの1階部分にあった。


岩手県陸前高田市にある一般社団法人三陸アーカイブ減災センター(2023年2月撮影、以下同)

今年の3月11日で震災から12年。同センターで返却した物品は昨年度までで1720点にものぼる。さらに、推定で20~30万枚の流された写真を、持ち主などに返却してきたというのだ。
同センターで代表理事を務める秋山真理さんは、東京で防災コンサルの仕事に従事していた経験もあり、東日本大震災の後から、この返却活動に関わってきた。

「震災の年のゴールデンウィークに、初めて行われた返却会にボランティアとして参加したのが、この事業に関わるきっかけでした」(秋山さん)

同センターへは、震災から10年がたった2021年3月で復興庁からの交付金が終了しており、現在は寄付などを募りながら自主財源で運営している。
そうした厳しい経営環境下でも事業を続ける秋山さんに、この12年を振り返って何が変わったかと聞いてみると、一瞬考え込んだ後、こう話した。

「何も変わっていませんね」

震災後、自衛隊や消防が行方不明者の捜索をする過程で集められた思い出の品は、魚や野菜を入れる籠の中にまとめられ、被災した民家の軒先や、市の災害対策本部に届けられた。
それらを持ち主に返却するために、陸前高田で返却会が開かれるようになったのだ。こうした動きは各自治体でも行われ、被災した各地で返却事業が行われてきた。

たくさんの拾得物を保管するセンター内

だが、震災から10年という節目になると、予算や保管場所の都合上、返却事業に区切りをつける自治体が出始めた。たとえば宮城県の気仙沼市も、震災拾得物返却促進事業を2年前に終了している。
こうした思い出の品は「災害廃棄物」とされており、環境省も、自治体が無期限で拾得物を保管せざるを得なくなる事態を想定し、平時から保管期間を定めておくように促すなど、ガイドラインを定めていることも影響しているのだろう。

拾得物を探しに来る目的やきっかけは人それぞれ

そんな中、いまも返却事業にあたっている1つが、この三陸アーカイブ減災センターだ。
コンテナの中に入ると、壁一面に拾得物がずらりと並ぶ。スポーツ大会名が書かれた記念ボール、元禄元年と記された大きな鈴は寺院のものだろうか。内閣総理大臣だった佐藤栄作から贈られた賞状もあった。アルバムや写真、カメラ、母子手帳、へその緒まで保管されている。
センターでは、それら一つひとつをビニールで梱包し、大切に管理している。

新生児と思われる手形と足形

品物には名前が書かれているものも多い。例えば、通知表や健康手帳もそうだ。センター内に保管されたランドセルは、中身などから持ち主は判明しており、彼らのいずれもすでに小学校を卒業しているそうだ。中には結婚式の寄せ書きもある。
秋山さんがいう。

「もう、この地域に住んでいない方や、震災を機に離婚された方などもいます。たとえば診察券が唯一の形見という方もいました。ここにあるものが、その人にとって、どんな位置づけのものかは、私たちにはわからないのです」

秋山さんらは、こうした様々な拾得物をリスト化し、学校や高齢者施設、企業などに貸し出し、持ち主を探す活動も行っている。また震災から時が経ち、都市部などに引っ越した者もいる。そうした人のために、各地で返却会も開催してきた。

拾得物のデータをリスト化

「あるお婆ちゃんは、お孫さんが大きくなると、周囲から、お父さんの小さい頃にそっくりね、なんて言われるそうです。そこで、おばあちゃんが、ここに来て自分の息子の写真を探しにきたというケースもありました」(秋山さん)

自分や家族の幼い頃の写真を探しに来る人や、津波で亡くなった家族の写真を探しに来る人など、その目的はさまざまだ。
新幹線に乗って、わざわざ陸前高田市に訪れる人もいるそうだ。
一方、思い出の品や写真を探しに行っても、何も見つからなかったらショックだから探しに行けないという人もいるという。
「探すきっかけも、それぞれなんです」と秋山さんは話す。

「返却事業は期限を切るものじゃないんだ」

センターが保管する写真の中には、傷や劣化などが激しい写真もたくさんある。そこで秋山さんは2019年頃から、写真の返還というより、むしろ綺麗な写真を集める運営方針へと舵を切ったという。

「例えば複数人が写る1枚の中に、我が子をみつけて、その写真が欲しいとおっしゃる方がいます。私たちもなるべく傷んだ写真ではなく、綺麗な写真を差し上げたい。ですから、同じ集合写真を持っている方にお声がけさせていただいて、綺麗な写真を提供してもらうなどし、それをプリントして差し上げています」

センターには約7万4000枚の写真が保管されている

ある人は、祭りの光景を撮った1枚の写真の中に、米粒ほどの大きさの人を見ながら、こう言ったという。

「これ、お父さんだ」

同じ祭りを撮った別の写真があれば、そこにお父さんがいるかもしれない。そんな探し方ができれば、利用者にとってもうれしいに違いない。
ある80代の女性は、写真を探しながら昔を懐かしみ、自分の女学校時代の話を滔々として帰ったそうだ。

写真は記憶を呼び起こすトリガーになる。こうした写真が失われると2度と同じものは手に入らない。だが一方で、写真を見ることで悲しみが一気によみがえる人がいるのも事実だろう。

「もちろん忘れることも大事。人によって考え方は千差万別です」

そう話す秋山さんは、ある返却会の場でこんな体験をしたという。

「ある方に思い出の品を返却したとき、『今は受け取りたくなかった』とおっしゃられたことがありました。その時に、返却事業は期限を切るものじゃないんだって思ったんです。品物をお返しするとき、『いつまでに探しに来てください』『ここに受け取りに来てください』と言われるのが過酷な方もいるんだと」

センターに保管されるへその緒

探したいと思う気持ちになれたときに、思い出を見つけだせばいい。確かに、思い出を見つけるタイミングは人それぞれ。被災者の思い出は期限で区切れるようなものではない。
交付金が打ち切られた今も自主財源でセンターを維持している秋山さんが、この12年で「何も変わっていない」と話した意味がわかった気がした。

同センターでは今、写真をオンラインで閲覧できるようにする取り組みをすすめている。
そして現在、写真約7万4000枚、物品2400点が、持ち主を待っているという。

取材・文/甚野博則
集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/Soichiro Koriyama

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