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《中学生で100万円の借金》ゴミ捨て場で漁った服を着ていた極貧の幼少期からボクシング入門、21戦目までファイトマネーはゼロ。ジムとの訴訟…復帰戦で大注目を浴びる悲運のPTA会長ボクサー・斉藤司

集英社オンライン / 2023年3月11日 12時41分

2022年11月30日、国内のタイトルマッチでも100枚をさばくのは容易ではないボクシングの前座試合に、約150人の応援団が駆けつけた。32歳の元日本ランカー・斉藤司の7年ぶりの復帰戦を見守った。

ベンチで酔って寝ている父親のそばを通って登校

「体は硬かったですね。でも昔のカンで出た右がちょうどハマりました」

対戦相手のタイ人は3ラウンドで斉藤の右カウンターを浴び、試合終了のゴングが鳴った。斉藤はコーナーで雄叫びをあげ、トレーナーとそっと抱擁しあった。花道で会場に来ていた自分の子どもたちを抱き寄せた。しかし、かつて第二の父親と思って従い、その後裁判で争った、以前所属していたジム会長の姿は見えなかった。


サンドバッグ打ちも20秒インターバルの独自メニューで追い込む

幼少期の父親は酒浸りで、家庭内暴力も珍しくなかった。貧しく、しばしば電気が停まり、借金取りも家に来る。ゴミ捨て場からまだ着られそうな服を漁って持ち帰ったこともあった。自分だけランドセルを買ってもらうお金がなくて、廉価なショルダーバッグを肩にかけて登校するのが毎日恥ずかしかったという。

「小学校の通学路で公園を歩くのですが、ベンチで酔っ払った父親がよく寝ていました。『あれ司君のお父さんじゃない?』と同級生に聞かれるのがめちゃくちゃ辛かったです」

当時人気のあった元世界王者・畑山隆則選手が、ファイトマネーで1億円を稼ぐのをテレビで見て憧れた。小学6年で地元千葉県のジムに入門。すでに両親は離婚して父親と離れて暮らしていたが、自分が強くなることで、これからも理不尽な暴力に負けずに生きていけると思った。

「ウチは男だけの5人兄弟で自分は4番目。女手ひとつで家計は貧しいままでしたが、1万円くらいするボクシングジムの会費は払い続けてくれました」

ジムには1日も休まず通った。大人のプロ選手に混ざって練習するのが楽しかった。

「初めてそこで大人たちときちんと接したことが大きかった。可愛がってもらえて、どんどん人間不信が解けていった」

中学2年の頃に転機を迎える。当時通っていた別のジム(以下、Aジム)が、寮を新設するというので入寮することになった。母親を交えた面談で、Aジムの会長は「自分が父親代わりとなってコイツを育てます」と言った。「ただ、二十歳までは帰らないと覚悟してください」とも。

これが地獄の始まりだった。

中学生で借金100万円の誓約書

中学生時代は、朝は片道6.5kmをロードワークついでに走って登校した。

「朝から走って疲れていたので、登校するとすぐに着替えてよく保健室で休んでいました。今考えると寮から通っていたこと自体ダメなことなんですけど、勉強よりボクシング漬けの日々でした」

復帰前より練習量は減り、練習時間は1時間少々。

学校から寮に帰ってくると1階のAジムに移動し、会員さんの指導や掃除など、雑務全般を任されるようになった。夜にようやく自分の練習が始まる。その後ジム掃除をして、会長の奥さんと台所で寮生たちの夕食の支度を手伝った。

「食事後にビデオを見ながら練習の振り返りをした後、一番年齢が若い僕が寮生全員分の洗濯もすると、毎日寝るのは24時や25時を回ってました」

日曜も営業するAジムを手伝う。プライベートの時間は一切ない。寮といっても、事務所仕様の室内に絨毯と二段ベッドを並べただけの簡素な環境。壁一枚隔てた隣室は会長夫妻のいる事務所だったので、気が落ち着かない。ホームシックになったが、親とは連絡すら禁止されていた。

「そんなある日、会長が寮費や月謝、食費などで毎月6万円弱かかると伝えられました。でも中学生なので働いて稼げないじゃないですか。なのに会長は『仕事を探してこい』と言うので、新聞配達屋の扉を叩いて相談したけど、やっぱりダメで。じゃあどうするかとなって、中学生卒業までは毎月立て替えるから、約100万円の返済の誓約書を作ったのでここにサインしろと言われました」

菓子パンを食べて1時間以上正座

Aジムは母親には話さず、斉藤にだけ伝えた。

「僕も母親には言えなかったですね。気の弱い母親だったので相談しても解決どころか、余計に心配をかけるだけだろうと思って」

そのほか、内訳のわからない遠征費や、月2000円のストーブ代、必要なのかわからないTシャツの購入費用なども自己負担となった。借金が膨らんでいく。

ある日、中学校で授業を受けていると『電話がかかってきたぞ』と先生から職員室に呼ばれた。電話は会長からで、「ジムのオープン時間に間に合わないから、代わりにお前が支度して開けておいてくれ」と言われた。慌てて走って帰り、掃除等のオープンの準備を済ませたところで菓子パンを食べながら待っていたら、ちょうど帰ってきた会長に激怒された。

「『何をしとんじゃ!』って。昼食も取らずに作業していたのでお腹が空いていただけだったのですが、それが気に入らなかったようで。1時間以上正座をさせられ、反省の態度を示せと言われたので、その場で坊主になりました」

寮生のなかには納得できないと感じたのか、夜逃げする選手も多かったという。

若かったころに比べて練習量は落ちても集中力は格段に上がったという

「でも自分は母親に心配かけたくないので、帰ることはできないと思っていました。寮に入ってから中学卒業まで一度も母親や家族とは会いませんでした」

21戦目までファイトマネーゼロ

そんな状況の中でも、ボクシングの実力はめきめきと伸びていった。キッズ向けのスパーリング大会に出ると、何度かMVPを受賞するほど頭ひとつ抜けていた。17歳にプロデビュー後、全勝のまま18歳のときに全日本新人王に輝き、日本ランカーにもなった。

2012年当時の斉藤選手

ただ、経済的にはむしろ状況が悪化していた。

国内ボクシングは一般的にはチケットがジムから選手に支給され、選手はそれを誰かに販売して現金化したものがファイトマネーとなる。しかしそれも全額懐に入るわけではなく、ファイトマネーのうち、33%を上限としてジムが受け取るという慣習がある。

さらに斉藤の場合は、ファイトマネーはほとんど手元に残らない特殊な契約となっていた。

「まずチケットを選手が現金で全額買い取る、という仕組みでした。とある試合では、40万円分のチケットを30万円で僕が買う。なので請求書をチケットと一緒に渡されるのですが、当然お金なんてない。売れ残ったら最大30万円の赤字となるわけです」

試合をしても1円も手元に残らないどころか、赤字が膨らむ。結果的に、13戦目まででAジムへの借金は200万円以上となった。移籍は認められず飼い殺しとなった。

「日本タイトルに挑戦した試合も含めて、2014年の21戦目までファイトマネーは全額借金の返済に充てました。自分はもう23歳になっていました」

借金返済以外でもAジムのためならと、スポンサー周りの営業も同行した。「お前の生い立ちのことを話せば皆応援してくれるから」と会議室で講演させられることもあった。

斉藤が結婚した奥さんは、生まれつき下半身の障害があった。

そのこともスポンサーの前で自分に相談なく話された。スポンサーから受け取るお金はAジムがすべて受け取り、斉藤には一切渡されなかった。単に、営業に利用されているように感じた。また自分に向かって、家族のことを馬鹿にするようなことを言われることも増えた。

いつからか、第二の父親だと思っていた会長が小さく見えた。

斉藤は2015年12月にリングを上がったのを最後に、Aジムから離れる。そして2016年10月、Aジムの会長を相手取り、移籍届への承認や未払いのファイトマネー300万円などを求めて裁判を起こした。

ボクシング業界を変えた裁判の影響

2018年7月、斉藤の請求は認められず裁判で敗れた。

しかし、ボクシング界ではタブー視されていた選手の移籍は、この裁判によって「所属先の承諾は不要」と判断され、慣習が見直された。その後、公正取引委員会の指導もあり、最長3年の契約期間が過ぎれば自由に移籍が許されるようになった。

斉藤は2018年の裁判後、現在の一力ジムに移籍した。以降、他の選手の移籍も活発になった。

斉藤を昔から知るジムトレーナーは「昔と違って表情が柔らかくなった」と話す

「業界を変えたと言われますが、裁判を起こしたのは自分のためです。また、Aジムの会長のことは恨んでいませんし、感謝の気持ちの方が大きいです。小さい頃は自分の第二の父親だと思っていたので、裁判によって、会長が変わるきっかけになればいいと思っていました。僕は会長の優しいところもたくさん知っていますから」

会長とは裁判中に一度だけ顔を合わせて以来、会っていない。

裁判のことも含めて、これまでのボクシング人生にほとんど後悔はない。それでも、「1つだけやり直せるなら」と今でも思い返すことがある。

「父親は小学校のとき一家がバラバラになったあと、ホームレスになったと母親から聞いていました。自分がボクシングを頑張れば、お父ちゃんが会場に見に来てくれて、もう一度家族がひとつにまとまると信じてやっていたんです。でも、2008年の新人王決勝戦の2日前に心不全で亡くなったと連絡があり、結局一度も会えなかった。心が折れると思って自分は告別式にも出席しなかったのですが、今でもそのことを後悔しています」

昼はジムのトレーナー。夜はコンビニで働く。コンビニがない夜はロードワークに出る。走っているとベンチで寝そべる父親の姿がまぶたに浮かんで、ぽろぽろと涙で前が見えなくなる。

東京・鐘ヶ淵の一力ボクシングジムにて

働ける時間が減り、復帰にあたって収入は減った。それでも近くに住む母親の介護、体にハンデのある奥さんのサポート、子ども3人の育児、とすべて後悔がないように全力で取り組む。超多忙のなか、子どもの通う保育園や小学校のPTA会長も務める。

「妻は色々やり過ぎだと怒っています」

PTA会長として学校行事も多くこなす

2022年11月の復帰戦は試合どころか練習も7年ぶりだった。当日150人の応援団は日本タイトルに挑戦したときより多かった。ただ、前ジム時代のスポンサーはひとりもいない。代わりに子どもの小学校の校長先生、地域ボランティアの人たち。そして昔から応援してくれている友人たち、中学時代にお世話になった保健室の先生の姿もあった。

2022年11月の復帰戦では勝利後、会場が湧いた

「いつまでボクシングをやれるか、わかりません。でも、目の前の試合や目標にひとつずつ一生懸命取り組んでいきたい」

2023年3月24日、斉藤の復帰第2戦が行われる。

《斉藤司・試合情報》
試合日程:2023年3月24日(金)
試合会場:後楽園ホール
対戦相手:ポアンチャイスリトーン(タイ)
チケットはコチラ→斉藤司ホームページ

取材・文/田中雅大 撮影/岩田慶(fort)

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