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「最後は見るに堪えないものだった」虚と真の境界戦を生きた登山家・栗城史多氏の「登山生中継」動画。彼はYouTuberのはしりだったのか

集英社オンライン / 2023年3月17日 11時1分

2018年に亡くなった「異色の登山家」とも称される栗城史多氏を描き、注目を集めた『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』。その文庫化にあたり、著者の河野氏が解説文の執筆を頼んだのが、TBS『報道特集』の特任キャスター・金平茂紀氏だった。依頼の背景には何があったのか。ふたりの対談をお届けする。

「嘘と真」の境界線を生きた不思議な登山家

━━まず河野さんから『デス・ゾーン』の文庫版解説を、金平さんに依頼された理由をうかがっていいでしょうか?

河野 私は、金平さんがモスクワ特派員だった頃から緊張感のあるリポートをされているのを拝見していて、敬意を持っていたというのが一つです。

1991年8月の軍事クーデター(ソビエト連邦時代、ゴルバチョフ大統領に反対する保守派勢力が起こしたが失敗に終わる。結果、ソ連崩壊へといたる)でモスクワに戦車が向かっていた日、私はサハリンにドラマの撮影に行っていたんです。



金平 ああ、そうでしたか。

河野 その後、お話ができたのが放送文化基金のフォーラムで。「わたしはニュースバカだ」と話されていて、面白いひとだなあと。

そういうベースがあったのと、この本は「嘘と真(まこと)」の境界線を生きた不思議な登山家を追った本なので、「ニュースバカ」を自認される金平さんがどう読んでくださるのか。恐怖と期待で、ぶしつけながらお願いしました。

金平 僕はあちこちで「ニュースバカですから」って言っていて。もう46年ずっとニュースしかやってきてないから(笑)。

河野さんのお仕事ぶりについて僕がよく覚えているのは、「ヤンキー先生」として一世を風靡する義家弘介氏(自民党・参議院議員)を取材したドキュメンタリー番組。『ヤンキー母校に帰る』という。

その後、彼は全国的な知名度を得て政治家に転身していくわけですけど、世に出るきっかけをつくったのは河野さんだと僕は思っています。

河野 はい。

金平 北海道のいわゆる「底辺校」「落ちこぼれ校」で立ち直ったワルが、教師となって母校に帰り、生徒を見捨てず奮闘する。僕もテレビ屋なので、そういうストーリーに河野さんが食いついたのは、わかる。

だけども、義家氏が政治家に転身し「教育のプロだ」と前に出るようになったときに、一度、河野さんと長いやり取りをしましたよね。

河野 よく覚えています。

金平 その時に言われたのは、「もう本当に後悔している」と。

河野 はい。義家さんはヤンキー先生時代とはまったく異なる教育論を語るようになった。その一方で、テレビ番組に描かれた過去を都合よく自己宣伝に利用している。

金平 そうそう。怒り口調で言っていましたよね。メディアが取り上げることによって、そのひとの人生が変わってしまうというのは、僕も経験があるからわかります。

この世の中は巨大な「劇場」なのかもしれない

金平 たとえば、ある事件の被害者のところに取材陣が押しかけてくる。自分もその中の一人として付き合いながら、誰も聞き出せていない話をなんとかして聞けたらと思う。

怖いのは、そうやって取材を続けるうちに、取材する側、される側の「共依存」の関係に陥りかけていることがあるんですね。「金平さん、飲みにいきましょう」と誘われたりして。これは関係としてマズいなということが。

だから、義家さんに対する河野さんの話を聞いて、ああ、この人は信用できると思った。それが今回、解説をお引き受けした理由です。

河野 ありがとうございます。

金平 だって正直に言うと僕は、冒険家とか、登山家とか、アスリートとかにまったく興味のない人間だから(笑)。僕はもう非常にだらしない人間で。精神的な達成とか、肉体的な達成、そういうものとは無縁の人間にこそ興味がある。

だけども、河野さんは一回会っただけで栗城さんのことを「あっ、これは面白い」と思ったわけでしょう。面白いと思う気持ちをなくしたら僕らの仕事は成り立たない面があるんだけど。

河野 そうですね。栗城さんは体も小さくて登山家のタフなイメージとかけはなれていたのと、「(低酸素で動ける)マグロになりたい」っていう言葉の意外性に惹かれました。

金平 僕は、栗城史多さんのことを全く知らなかった。だけど、まあ、一気に読んじゃいましたよ。読んでよかった。共振するような場面がいくつもありました。

ジャーナリスト・金平茂紀氏(撮影:野﨑慧嗣)

「エベレスト劇場」と副題が付いていますが、世の中で起きていることって、たしかに「劇場」だなあと。栗城さんのように期待された「役割」を演じようとする。

そこは、すごく残酷な世界でもある。社会のありようとして、健康的じゃない。みんなが皆ステージの上に乗らないといけないのか。ステージばかりが世の中じゃないんだよ、と考えさせられました。

河野さんも本で書いているけど、テレビの人間というのは良いところだけ、その人の一番上り調子のところだけを描きたい。その方が「ショー」として成り立ちますからね。注目も浴びるし。

だけども、ダメになっていくところまで付き合ってくる人ってなかなかいない。そういう意味で言うと、よく本にしたなあと思います。

僕はこれを読みながら、栗城さんがやった「登山する自身」をインターネット中継する、そうやって自分を見せていくことが、果たして幸せだったんだろうかと考えてしまって。河野さん、どう思います?

河野 幸せだったかどうかは彼にしかわからないというか、もしかしたら彼自身、自分の気持ちがわからなくなってしまっていた可能性もあると思います。でも少なくともネット生中継を宣言した当初は、間違いなくワクワクしていたはずです。

ところが、彼が配信していた映像は、はっきり言って「作品」と呼べるほど練れていなかった。ただ映して、流しているだけ。あのやり方はちょっと違うなと思っています。

金平 うん。

河野 栗城さんの提供する動画は、ご本人の体力の問題とか、指を失くした(エベレスト登頂に挑戦する中で凍傷により両手足の指を9本損傷した)とか色んな理由があるんですけど、どんどん劣化していくんです。最後はもう見るに堪えないものになっていく。

その悲しみに、こういう言い方もなんですが、ノンフィクションとして描く側としては心を惹かれてしまったんです。

「お祭り病」に冒された日本社会

河野 「劇場」という話でいうと、日本は「お祭り病」に冒されているんじゃないかって思うことがあります。

札幌にもいま、オリンピック(北海道・札幌2030オリンピック・パラリンピック冬季競技大会招致)をやりたくてたまらない人たちがいて、招致活動のキャッチコピーが「世界が驚く冬にしよう」。この状況でやれば別の意味で世界がびっくりしますよ(笑)。

金平 それはそうだ。

河野 政治も社会も人々も、もう「ケ」と「ハレ」(日常と非日常)があったらハレしか考えていないというのは、非常に危険で。常に何かお祭りをやっていなきゃいけないというのは、ちょっと困ったものだなあと思っています。

金平 札幌冬季五輪があった1972年ぐらいで時間が止まっちゃっている人がいますから。もうメガイベントなんていうのを世界で引き受けようとするのは、この間のサッカーワールドカップのカタールみたいな国ぐらいなもので。

オリンピックとか万博とかも、メガイベントをやることによって、どうだ自分たちは偉いんだ、他よりも凄いんだと。そういう優越感を身内だけで持ちたいわけでしょう。それと、要するに銭儲け。浅ましいんですよね。

河野 はい。

金平 それで、本の話に戻すと、河野さんがこれを書かれたのは、栗城さんが亡くなってからなんですよね。

河野 そうです。

金平 悩まれたことってあるでしょう。一番シンドかったなぁというのは、何だったですか。

河野 これを書くことによって、傷つく人がいる。間違いなく。彼の家族だったり、彼に尽くしてきた事務所の社長さんだったり。彼の「劇場」や「虚像」を必死で守ろうとしているその人たちは、出来上がった本をどういう風に受け止めてくれるのだろうか。想像すると胃が痛くなりました。それが一番ですかね。

書きながら彼のことを思い出すことはありましたけど、それ以上に、私の知っている栗城さんではない、初めて会う人を探しにいく。そんな感覚を覚えました。私の中の「栗城観」はまるっきり変わりました。

『デス・ゾーン』著者・河野啓氏(撮影:定久圭吾)

金平 事務所の社長は、頑なに取材拒否だったっていうことも書かれていますけども。

河野 本人が亡くなった後になって書くのは「不誠実だ」と、最初に頂いたメールに書かれていました。「死者に近づいてきたハイエナ」のように思われているのかなと。実際にそう言われたわけではありませんが。

テレビとはいったい何だったのか

金平 それでいまインターネットやSNSがこれだけ普及し、テレビが無くても「生中継」するし「自撮り」は当たり前だし。そういう世の中になってきた時に「テレビって何だったのか?」という問いが、自分たちに突き付けられているような気がしてきているんだけど。

河野 金平さんは「“テレビジャーナリズム”という言葉が若い頃は嫌いだった」みたいなことをご著書でお書きになっていたと思うんですけど。

金平 そうです。まあ、ジャーナリズムっていう言葉に張り付いている「俺たちは偉いんだ」みたいなのがね。

河野 権威主義的な。

金平 そうそう。権威というのは「裸の王様」みたいなもので。「お前、裸じゃないか」と指摘するのがジャーナリズムの役割だと思ってきた。

でも、それもある種の虚構かもしれないと思う時がたまにあります。これだけジャーナリズムとかマスメディアの信頼性が世の中から浮き上がってしまうとね。

それじゃあ、SNSとかインターネット、twitterとかFacebookが代わる機能を果たしているのかというと、「俺が信じたいものが事実だ」と内向きになってしまってきているようで、それもどうなのか。

河野 ええ。自分が見たいこと、好みに合ったこと、が事実で、それ以外は事実ではないと思い込みたい。

金平 これまでのオールドメディア、新聞、出版、テレビが危機的な状況になってきた時に、大事なのは、原点に戻ることかなと。愚直に伝えるべきことを伝え、言うべきことを言う。そういう基本に立ち返ることこそ大事だと思うようになりましたね。

河野 原点に立ち返れ、と。肝に銘じておきます。私は、現場の万年ヒラ社員でもうすぐ定年なんですけど、いま地方局も生き残りをかけてネット配信に力を入れています。北海道の自然の映像やグルメ情報などを配信して「少しでも稼いでいこう」と。

こういう経営戦略は組織の名称にも反映されて、私は制作畑ですけど、弊社(北海道放送)の報道部は、以前は「報道局」とか「報道制作センター」の中にあったんですが、おととしから「コンテンツ制作センター・報道部」となりました。記者もコンテンツの制作者たれ、プロデューサー感覚も身につけろ、ということなのか、ニュース屋の集団だった時代とは隔世の感があります。

それで私も、それならいっそネットでコンテンツをつくってみようかなと。定年後、一度試してみたいと思っていまして。バズったら一番にお知らせします(笑)。

『デス・ゾーン』著者・河野啓氏

金平 ハッハッハ。僕は、河野さんには、ずっとつくり続けてほしいなあ。どういうものであれ、番組を。

河野 はい。ありがとうございます。私が幼い頃のテレビは、夢と笑いの箱でした。『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』だとか。もうどんな内容だったか覚えていませんが、毎回咳き込むほどに大笑いした記憶があります。

高校から大学時代は、山田太一氏のドラマに人生を教わりました。観る者に媚びず、「ついて来られるなら、ついて来てみろ」と突き放す迫力があった。

育ち盛りの若者には、背伸びは絶対に必要。背伸びするうち、背は本当に伸びるんですよね。そういうふうに僕らの世代には「テレビ」に対する親近感と畏敬の念があったものです。

今後試したいのはマイケル・ムーアのように、もっと厚かましいものですね。「一人称」表現で社会悪に切りこんでいきたい。金平さんは、それに近いですが。

テレビの「文法」からはみ出すものが生まれてきている

金平 そういえば最近、僕が注目している番組があってね。TBSの若手が始めた『不夜城はなぜ回る』というの。ご存じですか?

河野 いえ、知らないです。

金平 『不夜城はなぜ回る』は、若い5年目ぐらいのディレクターが考えてつくっている。深夜12時過ぎとか2時、3時に煌々と明かりがついているところに突然訪ねていくんです。アポなしで「何やってるんですか?」と聞き歩く番組なんだけど。これは、面白い。

河野 へぇー。

金平 押しつけがましさはなく、淡々と自分でカメラ回して話を聞くんですよ。

ジャーナリスト・金平茂紀氏

河野 それは報道でつくっているんですか?

金平 いや、制作局。彼は報道に1年いて「お前は向いてないんじゃないの」って言われたとか。そういう若者がつくっているのが面白いです。それから、1967年につくられたTBSの『あなたは……』ってあったでしょう。

河野 はい。制作者の勉強会で観たことがあります。

金平 街頭で「あなたは……」とインタビューするだけのドキュメンタリー。67年に寺山修司と萩元晴彦、村木良彦がつくった。それを2022年にもう一回つくり出したんですよ。『日の丸 それは今なのかもしれない』というのが映画にもなりましたけど。街録(街頭録音)だけで、よくこれだけのものをつくるなと思うくらい、本当に面白い。

河野 へぇー、面白そうですね。街録はある意味、取材の基本ですよね。

金平 いま30歳前後の彼らが「ドキュメンタリーとはこういうものでございます」というのをぶっ壊していこうとしている。僕はテレビの文法からハミだすものが出てきたということに可能性を感じています。



聞き手・構成/朝山実 撮影/野﨑慧嗣(金平氏) 定久圭吾(河野氏)

同書と「冒険」をテーマにした過去の受賞作2作を合わせた形で、丸善ジュンク堂書店の複数店舗で「開高健ノンフィクション賞20周年記念ブックフェア」が開催中。

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

河野 啓

2023年1月20日発売

825円(税込)

文庫判/384ページ

ISBN:

978-4-08-744479-7

第18回開高健ノンフィクション賞の受賞作『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)の文庫版が1月20日に発売された。2018年に亡くなった「異色の登山家」とも称される栗(くり)城(き)史(のぶ)多(かず)氏を描き、注目を集めた一冊だ。

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