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静岡だけ給食のご飯容器がアルミパックだった理由は「パン屋」のアイデア! ミルメーク、ソフト麺、QBBチーズ…なつかしの給食メニューは今や?

集英社オンライン / 2023年3月24日 12時1分

小学校時代の昼食といえば、多くの人が給食を思い出すのではないか。3時間目にお腹が空き始め、4時間目が終わるのが待ち遠しくてたまらない。今回は、懐かしく楽しかった給食の思い出を掘り起こしてみたい。

給食が食べられる店があった

教職員でもない限り、大人になった私たちがあの学校給食を食べることはもうない。しかし、誰でも給食を食べられる店が渋谷にあった。『6年4組 渋谷分校』である。

店のエントランス。ランドセルを背負って写真撮影もできる

エレベーターを降りると、そこは懐かしいものがぎっしり詰まった空間だった。黒板、ランドセル、大きな三角定規…。給食の周りに確かにあった風景だ。スタッフは「先生」というポジショニングで、ジャージを着ている。



案内してくれたのは自分よりもずっと若い女性だったが、6年生当時の自分の担任だった先生は新卒に近かったはずだから、同じような歳なのだと思う。まるで自分一人が昔の学校に、タイムスリップしたみたいだ。

黒板や教習用のブラウン管が懐かしい。バケツはゴミ箱

廊下には、個室の入り口に部屋名のプレート

店内は、教室を模した広間と「〇〇室」と名前の付いた個室に分かれている。私が通されたのは「音楽室」。巨匠の肖像画や学習プリントが掲示されている。

今回利用した音楽室。無数の穴がある防音壁も再現

早速メニューを開くと、もう何年も口にすらしていない名前があった。

なつかしいメニューが目白押し

ソフト麺

麺は記憶よりもやや細い印象だったが、それは私自身が大きくなったせいかもしれない

私と同じ世代のかつての小学生なら必ず知っているであろう給食オブ給食。袋入りの麺を、いろんな汁物に混ぜて食べる。下手に開封すると、はずみで麺が飛び散ったりするので、ビニール袋を中央からねじ切ることもあった。

ここでは定番のミートソースとカレーを選択できるが、私の学校ではけんちん汁に合わせることも。

ミルメーク

イチゴやバナナも選べる

これも知っている人はかなり多いだろう。牛乳に甘い粉を入れてミルクセーキのような飲み物に変える、魔法の粉だ。いくつかのフレーバーがあったが、やはりここはコーヒーを選択。

私は牛乳が苦手だったので、このミルメークが本当に楽しみだった。袋を開けると、40年近くご無沙汰だったあの香りが漂う。コーヒー風だけどなじみのコーヒーの香りではない。ミルメーク香だ。牛乳には思ったより溶けなくて、口の中にはミルメークと牛乳の味が交互に広がった。

QBBのチーズ

かつては苦手だったが、今は酒のツマミとしてイケる味

動物の型に押し込まれた既製品チーズなのでメニューと呼んでいいのかわからないが、私は給食以外の場面でこれを見たことがなく、ただただ懐かしかった。牛乳同様、乳臭さが苦手だった私は、よく友達に食べてもらっていたように思う。

食べ切れなかった分は持ち帰り用の容器に入れ、帰宅後に楽しんだ

他にも、シャクシャク歯を浮かせながら噛む「冷凍みかん」、調理実習よろしくマッシュポテトに具を自分で混ぜ込む「ポテトサラダ」など、面白いメニューが揃っている。

米飯(べいはん)の思い出

「わかめごはん」が出てきて、あっ、と思い出したことがあった。私の記憶にある給食のごはんはお茶碗盛りではなかったのだ。

私の通っていた静岡県静岡市の小学校は当時、生徒数が1800人を超えるマンモス校。給食は、給食センターから運ばれてきていた。ごはんの日は献立表に"米飯(べいはん)"と表記され、1人分ずつがアルミパックに入れられていた。それがどうやら静岡県だけの文化だったことが、上京後に周囲の人間と話してわかったのだ。

現在もアルミパックで提供されている、静岡県浜松市の学校給食。この日の献立は米飯、家康くんカレー、いんげん豆のサラダ、すいか、牛乳。浜松市のゆるキャラからネーミングしたカレーは、家康公も愛した「浜納豆(大豆の発酵食品)」が隠し味。浜松の航空自衛隊のレシピをアレンジして10年程前に開発された(画像提供/浜松市教育委員会)

ご飯がアルミパック容器に入っていた理由について、静岡市の給食課および、静岡県学校給食会、浜松市教育委員会に問い合わせてみた。すると、誕生秘話など、面白いエピソードが聞けた。

静岡では昭和51年から米飯給食の導入が始まった。しかしパン協会の理事は、米飯導入によりパン屋の仕事が減ることを危惧する。そんな折、パン協会の理事が行った先のハワイで、アルミパック入りのグラタンがパン窯で作られているのを目撃。「パン屋でも米飯が炊けるのでは!?」と思いついたことをきっかけに、米を1人分ずつアルミパックに入れ、パン屋がパン窯で炊くことになったという。
静岡県で育った児童の思い出の米飯には、こんな逸話が隠れていたのだ。

アルミパック米飯は、静岡県では現在も幾つかの市で提供されている。配食しやすく異物混入なども起きにくいというメリットがあるが、メーカーの廃業や機械の老朽化、生徒ごとに分量を調整したいなどの事情から、今後は徐々に教室で食器に盛る形式に変わっていくそうだ。

このアルミパックの米飯には白米だけでなく、前述のわかめごはんやコーンごはん、さくらごはんなどのバリエーションがあり、私はパンの献立より断然楽しみにしていた。

浜松市の学校で出されているある日の献立。こぎつねごはん、キスの天ぷら、キャベツの赤じそ和え、浜名湖海苔の味噌汁、牛乳。とうもろこし、油揚げ、鶏ひき肉などが入った「こぎつねごはん」はコンビニで期間限定販売も行われた(画像提供/浜松市教育委員会)

給食配布時の画伯

私には、このアルミパック米飯の思い出がもう一つある。

アルミパックのフタに、ツメで溝を掘って落書きをしたことだ。勉強も運動も得意でない私にとって、特技は絵を描くことくらいだった。米飯が配られると「いただきます」の全員挨拶までの少しの時間で、フタにアニメのキャラクターなどを描いた。それを周りの友達が見に来てくれて、ちょっとした人気者になれたのだ。好きな女の子の気を惹くためという密かな目的もあった。

給食を食べ終わると、アルミパックはフタも全部平べったく潰して回収されるので、フタのアートは毎回ごく短命に終わり、幻の拙作が山ほど生み出されては消えていった。

湧き上がる給食の風景

給食時間は席の近い6人ほどで"班"を組み、メンバーが机を向かい合わせて島を作って食べるのが習慣だった。

持参したふきんを机上に敷いたら、四角いくぼみがあるランチプレートを持って給食当番の前に並び、くぼみにおかずを盛ってもらう。食べるのに使ったのはお箸でなく先割れスプーンだった。

牛乳は、小学校4年生までは瓶入りだったが、5年生から紙パックに変わった。誰かが飲むと、必ず笑わせにいく同級生がおり、数日に一回ほど"鼻から牛乳"の大惨事が起こる。そしてそれを拭いた雑巾がとんでもなく臭くなる。

さらに給食の他に、稀に3時間目の休み時間に、三角パックの「みかんジュース」が配られることがあった。先の給食課によれば、静岡農協の好意で供されたものだったそうだ。

小学校における食の記憶がこれほど多く、そしてずっと眠っていたことに、我ながら驚いてしまった。

眠っていた記憶を呼び覚ます給食

遠い郷愁から我に返ると、50代を目前にした私が渋谷の小さな音楽室に座っていた。故郷から遠く離れた場所で食べた給食が、40年近く前の小学校での思い出につながり、そこから芋づるを引くように様々な記憶が蘇る。

食前の給食当番のこと、食後の昼休みのこと。1回ではとても書き切れない。

『6年4組 渋谷分校』は、土日祝日にはランチを楽しめるが、平日は夕方から居酒屋営業をしている。次は当時の同級生たちと来て、机を向かい合わせ、給食を肴に酒を楽しもうと決めた。

文・イラスト・撮影/柴山ヒデアキ
撮影協力/「6年4組 渋谷分校」東京都渋谷区宇田川町32-12 アソルティ渋谷4F
℡050-3196-9571 営業:平日17-23時 土日祝12-23時
https://www.6nen4kumi.com/shibuya/
取材協力・資料提供/静岡市給食課 静岡県学校給食会 浜松市教育委員会

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