徳川家康75年の生涯において“最大の危機”とされるのが徳川軍と武田軍が激突した「三方ヶ原の戦い」だ。1573年(元亀3年)12月におこったこの戦いは、武田信玄率いる2万5000とも3万とも言われる軍勢を、徳川勢8000と織田信長軍から派遣された援軍3000で迎え討ち、徳川軍の惨敗に終わったことは有名だ。
当時の家康は31歳。現在の静岡県浜松市にある浜松城を拠点とし、織田信長と同盟を結んでいた。そこへ、上洛するために甲府を出陣し、徳川方の城や砦を次々と落とし西上していた武田軍が浜松城に迫ってきた。
籠城を勧める部下たちの反対を押し切り、家康は浜松城から討って出たところ、当時最強と言われた武田軍に完膚なきまでに叩きのめされ、部下に身代わりになってもらいながら命からがら浜松城まで逃げ帰ったのだ。