昨年12月出版された『西山太吉 最後の告白』(集英社新書)で、西山さんが評論家の佐高信さんを相手にすべてを語り尽くした場にも同席することができ、文字通り最後の告白を聞く栄誉にも浴した。
西山さんとはその晩年に何度か取材する機会を得た。筆者が執筆する「サンデー毎日」のインタビューコラムに二度登場頂き、密約問題を回顧していただくと同時に、沖縄の現状や日米安保体制などについて所見を伺ってきた。
付き合ってみて、この人はやはり「運命の人」だなと思った。「運命の人」というのは、作家・山崎豊子が西山氏をモデルに描いた小説のタイトルだ。TBSのテレビドラマにもなったことがある。佐高さんに言わせるとこうなる。
「50年前、大特ダネ記者がそれがゆえに逮捕された。メディア全体が国民の前に明らかにすべきであった密約を入手、時の権力批判に使ったことが権力の怒りを買い、男女問題による不正行為とでっち上げられて、司法権力により、社会的に放擲される。その背負わされた十字架の重さ、想像するだに凄まじい。そして、時が過ぎ、ある日、権力の中で分裂が生まれ、最大の攻め手であった人物(吉野文六・元外務省アメリカ局長)が、180度証言を引っ繰り返し冤罪が証明された。これをドラマチックと言わずして何と言うか」
その運命の記者が最晩年我々に何を伝えたかったのか。私は以下3つを選びたい。
その1は、記者のモラルとは何か、である。外務省女性職員から入手した外交電文をストレートに記事にせず、野党に流し国会追及の材料に使ったことが、西山批判の基調としてあった。
【追悼】「戦後、国家機密が日本のメディアによって暴かれたことありますか!」“沖縄返還密約報道”西山太吉が伝えたかった3つのこと
集英社オンライン / 2023年3月17日 14時1分
2023年2月24日、沖縄返還密約事件の主人公で元毎日新聞記者の西山太吉氏が91歳で亡くなった。西山氏は昨年12月、『西山太吉 最後の告白』(佐高信氏との共著)を出版。同書の構成を担当した、西山氏の後輩でジャーナリストでもある倉重篤郎氏が西山氏への思いや取材の舞台裏を寄稿。今一度、西山氏の功績と、沖縄返還密約事件の本質を振り返る!
「運命の人」が最晩年に伝えたかったこと
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/03/16065934159808/0/image001.jpg)
西山太吉(にしやま たきち) 1931年、山口県生まれ。元毎日新聞記者。1972年、沖縄返還をめぐる政府の密約文書をスクープする。著書に『西山太吉 最後の告白』(佐高信との共著、集英社新書)、『国家と記者 西山太吉の遺言』『機密を開示せよ 裁かれる沖縄密約』(岩波書店等)。2023年2月、死去。享年91。
撮影/田川基成
”時の政権を震撼させるような国家機密のスクープを取ってみろよ”
これに対する西山さんの反論はこうだった。電文を直接紙面化すると必ずや取材源が特定され迷惑がかかるのは必定であり、その選択肢はなかった。ただ、「電信文の直接引用は避けながら、肩代わりの構図を匂わせる記事は何本か出した。1971年6月11日付け朝刊には、『沖縄協定文まとまる 慰謝料400万㌦』との一面トップの記事を書いているし、6月17日の沖縄返還協定調印を受けて翌6月18日付け朝刊には、『米国 基地と収入で実取る 請求処理に疑惑』という解説記事を掲載、『果たして米国側がこの見舞金を本当に支払うのだろうかという疑惑がつきまとう』とまで書いた」
野党に流したことについてはこうだ。「新聞記者なのになぜ書かなかったのか、とその時も言われたが、私は、国権の最高機関たる国会に最後に審議を委ねたんだから、何も悪いことしてない。誰一人、利用したわけでもないし、金が一銭も動いてるわけでもない。国会の審議で最後は白黒つけろっていうことは、新聞記者の選択としては、一つも間違ってない。僕が入手した600万㌦の密約は氷山の一角で、これを皮切りに国会で追及すれば氷山全体が出てくると思った」
いずれも首肯できる釈明だと、私は受け止めた。西山さんの真骨頂はこの後に出てくる言葉である。「戦後において国家機密が日本のメディアによって暴かれたことありますか、一回もないよ。西山太吉だけですよ。国家機密の暴露は。最初にして最後、情けないですよ」
メディア職場の後輩たちよ。何だかんだ批判をするのもいいが、俺のように時の政権を震撼させるような国家機密のスクープを一度でも取ってみろよ、それこそが記者の最重要なモラルではないのか、と。若干挑発的ではあったが、そこが彼の最も言いたいところ、若きメディア人たちに伝えたかった点ではなかったのか。
その2は、沖縄返還交渉における政局史観であった。なぜ池田勇人政権ではなく佐藤栄作政権が沖縄返還を担ったのか。なぜあれほどまでに多くの密約を結ばざるを得なかったのか。以下解説してくれた。
最も敬愛した大平正芳の思い出
「池田政権はベトナム戦争の渦中にある時の返還協議は、タイミングが悪いと判断した。この局面で下手を打つと、ベトナム戦争に巻き込まれる。沖縄が前線基地の中でも最重要拠点で、米国本土からではなく、沖縄から出撃していた。政治日程として後ろにずらすべきだと考えた。それに付け込んだのが佐藤栄作政権だった。池田政権が沖縄返還という政治的イシューを先送りした、と佐藤は受け止め、しめたと。池田がやらないなら、これは俺がやってやるぞとなった。これが本当の真実です」
「佐藤という人は、自分が何かをやりたい、自分が何か必ず達成したい、自分の(政権の)うちに必ずこれを実現したいという、そういう我欲の非常に強い人でした。だから、沖縄返還でも1972年までの自分の任期内、自分の内閣のうちにどうしても実現させようという、よく言えば使命感、悪く言えば政治的野心を持っていた。72年返還というタイムスケジュールは絶対で、どうしても無理が生じる。できるかできないかわからんことを無理やり一定の期間内にやるんですから、必ず無理が出る。その無理っていうのが秘密になるし、密約になるんですよ」
宏池会担当の派閥記者として、当時の激しい派閥間の角逐、権力闘争を体で体得したものでなければ出てこないであろう見立て、分析であった。
その3は、政治家の中では最も敬愛した大平正芳の思い出であった。
そもそも大平との接点はどこにあったか。食い込むために1年365日毎日夜討ち朝駆けしたこと、「楕円の思想家」としての大平、クリスチャンとしての大平、大平と田中角栄の友情…と詳しくは、『西山太吉 最後の告白』を読んでいただきたいが、私が最も聞きたかったのは、事件後の大平との関係だ。
事件で西山さんは大平との断交を迫られた。西山さんが電文を社会党に渡し、それを元に社会党の追及チームが国会で質問、佐藤政権を揺さぶったことで、西山さんが反佐藤であった大平の意向を受けて政局的な動きをした、との観測が出回ったからである。大平としては、それを打ち消すためにも、西山さんを表向きは切り捨てざるを得なかった。西山さんもある意味、大平に合わせる顔がなかった。
その後西山さんが自分の裁判闘争に専念しているうちに、大平は永田町でのステップを一歩ずつ上がり、最高裁で西山さんの刑事裁判の有罪が確定した78年には、首相の座まで上りつめた。それを西山さんはどう見ていたのか。大平とは本当に何の接触もなかったのか。
何度もそれを問うのに対し、西山さんが渋々、だが嬉しそうに明かした内容が忘れられない。
「実はね。あの大事件を起こした後に、大平から私に、密かに伝えてくれという言葉があったの。『何もできないけれども、野に下ったら会おうぜ』っていう一言。『野に下ったら、会うからな』っていう、それだけ、伝言があったですよ。私の方も、会っちゃいけない。会うべきじゃない。なぜかって言ったら、私が大平に近いからあの事件を起こした、佐藤を倒そうとした、なんて勘繰るやつがいたからね。そんなことは絶対ない、微塵もないけれど、俺が野に下るまでは会わない、とね。後は、何もない。何もなかったね。大平との間は…」
西山さんは多分、大平が野に下るのを心待ちにしていたのではないか、と私は思った。ただ、大平は80年6月12日、首相として衆参同日選挙の渦中、心不全で急死、野に下る間もなく昇天した。それから43年近く経過、運命の記者はようやく冥界で敬愛する人と魂の再会を果たしているかもしれない。
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