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【WBC優勝! 投手・山本由伸の原点】中学時代の指導者4人全員が「プロ野球選手になるとは、まったく思わなかった」という平凡な投手だった日本のエースは、いつ覚醒したのか?

集英社オンライン / 2023年3月21日 12時1分

3月22日、WBC決勝戦に挑む侍ジャパン。準決勝・メキシコ戦で重要なマウンドを託された日本のエース・山本由伸の生い立ちに迫った『オリックス・バファローズはいかに強くなったのか』(日本文芸社)より一部抜粋、再構成してお届けする。(前後編の後編)

最後の夏に見せた〝片鱗〟 チームを全国の舞台へと導くが…

中学3年、最後の夏。結果的に全国大会出場を決めることになる夏季選手権岡山県支部予選の決勝。山本少年は腰を痛めていた。本人が「投げるのは大丈夫です」というので試合に出したが、バッティングや走塁の際に腰をかばうようなしぐさを見せ、指導者たちも「本当に大丈夫か?」と心配したそうだ。


それでも「投げます」と力強く主張する山本少年は、この試合でリリーフ登板。大事をとって2イニングだけの投球に制限したが、最後の打者を渾身のストレートで見逃し三振に斬って取った。

「キャッチャーが構えたミットに寸分たがわぬコントロールでバシッと決めましたね。あの一球は、私たち指導者も一生忘れないと思います」

身体に異変を抱えながら、意地の投球でチームを全国へと導いた山本少年。
その姿は背番号4ながら、エースのそれだった。

「普段はちゃらんぽらんな一面もあったんですけど、そういう場面では底力を見せるというか、芯は強かったですね。野球が好きで、もっと野球がやりたいという強い気持ちを感じました」

中学最後の夏、晴れて全国大会に出場した東岡山ボーイズだったが、1回戦で高崎ボーイズを相手にコールド負けを喫する。この試合、先発したエースの馬迫が打ち込まれ、山本少年がリリーフでマウンドに上がったが、流れを止めることはできなかった。

「のちに八戸学院光星に進学する桜井一樹という選手に2打席連続ホームランを打たれました。そのうち一本は由伸が打たれたんじゃないかな。レフトスタンドに突き刺さるような、強烈な一発でした。上には上がいる、ということを痛感した試合だったと思います」

中学校最後の舞台で、全国の厳しさを身を持って体験した山本少年。その経験もまた、のちの成長につながったのかもしれない。小柄で、投打ともに器用にこなした山本少年だが、指導者にとっては、どこにでもいそうな、普通の野球少年だったという。

「大きな悪さをするわけでもなく、真面目すぎるわけでもない。先ほども言ったように練習で手を抜くようなこともありましたけど、中学生くらいはそれも普通です。友だちも多くて、下の年代の子たちの世話もよく見る。
手のかかるタイプでもなかったですね。たとえば、プロに行くような選手だから当時から我が強くて、ワガママだったとか、そういうこともなかったです」

「3年間で由伸が一番伸びた時期が引退後」

中学校3年生のころの山本少年を見て、のちにプロ野球選手になることを想像できたか――。

そんな問いをぶつけると、4人はそろって「まったく思わなかった」と首を横に振る。

「全国大会に出るチームの主力ですから、もちろん下手ではないです。ただ、突出した才能を感じたかといえばそんなことはないし、それこそ全国大会の1回戦で対戦してホームランを打たれた高崎ボーイズの桜井君のような怪物でもない。

我々からすれば、『あの由伸が?』という感覚です。中学を卒業してたった3年でプロに行って、そこからあれよあれよという間にスーパースターになってしまった。正直に言うと、今でも実感はあまりないかもしれません」

指導者も驚くほどの急成長。ただ、それを予感させたのが、中学野球を引退して、高校に入学するまでの半年間にあったという。

「3年間で由伸が一番伸びた時期が引退後の半年間でした」

全国大会の1回戦で敗退したあとも、進学に向けてチームの練習に参加していた山本少年。時間があればブルペンで投球練習する姿を見て、指導者は「あぁ、もっとピッチャーの練習をさせてあげても良かったのかもしれないな」と感じていたそうだ。

毎日、黙々と行う投球練習。スイッチが入ったキッカケは宮崎の都城高校への進学が決まったことだった。

運命の出会いがスイッチに

岡山県で生まれ育った山本少年にとって、宮崎は縁もゆかりもない土地。

そんな彼が、越境入学を決意した理由が、のちに都城高校で監督と教え子という間柄になる森松賢容との出会いだった。

「森松さんは岡山の作陽高校でコーチをやっていたんですけど、その年の夏から都城の監督に就任していたんですね。その縁もあってウチのOBも都城に行っていたんですけど、挨拶に来てくれたときに由伸の投球を見て、たぶん一目惚れしたんでしょうね。
『あの子、連れて行っていいですか?』って言われましたね。一期一会ですよね、本当に。その出会いがなければ今の由伸はないと思います」

中学3年時点で、特に県内の高校から誘われるようなこともなかった。唯一、声を掛けてくれたのが、都城高校の森松監督だ。

「誘いがあるという話をしたら、由伸も『行きます』と。宮崎は遠いですけど、先に進学していたOBも、もともと仲が良い子でしたから決意はしやすかったのかもしれません。そこからは見違えるように野球に真剣に取り組み始めましたよ。指導者の立場からすると『もうちょっと早く、その本気を見せてくれよ』と思いましたけどね(笑)」

由伸が150キロと聞いて「え? 人違いじゃないの?」

都城高校への進学が決まり、現役時代以上に野球に真剣に取り組むようになった山 本少年。その成果はすぐに表れる。夏までは120キロそこそこだった球速が、中学を卒業するころには130キロに達するまでになっていた。

「こんなに成長するんだ、とビックリしました。チームで二枚看板を任せていた馬迫には悪いですけど、卒業時点では正直、ふたりの間にはすでに実力差があった気がします」

ともに投手として競い合ったライバルに差をつけるほどの急成長。ただ、それでも東岡山ボーイズの指導者たちは、「さすがにプロに行くとは思わなかった」と語る。

「中学を卒業して、宮崎に行ってからは試合も見れませんし、噂で話を聞く程度です。だから2年くらいして『由伸が150キロ出したらしいよ』と聞いても
『え? 人違いじゃないの?』ってね(笑)。3年になって、ドラフト候補生と言われるようになってもピンときませんでした。中学時代の由伸と、話だけを聞く由伸に差があり過ぎてね」

ドラフト当時は、すでに『指名される』という情報が入っていたので、指導者たちも期待しながらその結果を見届けたそうだ。

「結果的に4位でしたけど、事前にはもう少し上位でという話も聞いていたんで『まだ指名されないんか』とドキドキしていました。いざ指名された瞬間は、感無量というか、やはり感慨深いものがありましたね」

プロ入り後は年を追うごとに成績を上げ、あっという間にプロ野球界のトップまで上り詰めた。

ただ、山本由伸とチームの関係は、今もあのころのまま続いている。

「正月に帰省したときには顔を出してくれます。今や沢村賞投手で金メダリストなので、こっちもどう接していいか一瞬戸惑いますけど、いざ会ってみるとあのころの笑顔は全然変わっていないんですよ。
今、チームにいる子どもたちにとってはもちろんあこがれの大先輩で、ちょっと話しかけるのも緊張するみたいですけどね。子どもたちの前でキャッチボールをしてくれることもあるんですけど、みんな遠くから『すげー』って言いながら見つめていますよ(笑)。
もっち近くで見ろ!って言っても遠慮しちゃってね。それくらい、あこがれだし雲の上の存在ですよね」

放課後、友だちに遊びに誘われても…

当時の指導者にとっても、チームのOB・山本由伸という存在はやはり特別だ。今回話を伺った4人の指導者それぞれに、教え子への思いを伺った。代表の藤岡さんは、こう語る。

「今もチームに帰ってきてくれるのは本当にうれしいです。彼が、この河川敷のグラウンドを原点と思ってくれているのであればありがたいし、まだ若いですから、これからも長くプレーしてほしいですね。日本人としては日本でプレーを続けてほしいなという思いがある一方で、メジャーリーグで投げている姿も見てみたいな……という複雑な気持ちです(笑)」

監督の中田さんは、「とにかく、長くプレーをしてほしい」と願っているという。

「日本であれアメリカであれ、少しでも長く、たとえば40歳まで投げ続けてほしいです。ファンはもちろん、チームにいる後輩の子どもたちの目標でい続けてほしいと思いま すね」

当時、チームでマネージャーとしてチームの記録をつけていた副代表の豊田さんは、「ケガには気を付けてほしい」と、教え子の体を気づかった。

「中学時代に腰を痛めた話もありましたけど、野球選手にとってケガは一大事ですし、 体を大事にしながら、それこそ200勝するくらいの活躍を見せてほしいですね。まだ24歳なので、これからもずっと由伸のプレーが見られるのを楽しみにしています」

コーチの片山さんは「自分の道を貫いてほしい」とエールを送る。

「誰に何を言われようが、『俺は山本由伸だ』という道を歩き続けてほしいです。数字云々ではなく、彼にしかやれないことをやってほしいですね」

ちなみに、片山さんの息子・飛雄馬さんは山本少年と同級生で小学校、中学校と同じチームでプレー。片山さんは中学だけでなく、小学校時代もコーチとして山本少年を指導した経験がある。

「小学校1年生から知っていますけど、当時から野球小僧。野球しか興味がない、という印象が強いですね。放課後、友だちに遊びに誘われても『野球やるから』と断っていたという話を聞いたことがあります。
それくらい、野球が好きだったんでしょうね。もちろんそれは、小学校、中学校、私たちが見ていない高校以降も変わっていないんだと思います」

野球人口の減少を止めるためには…

山本由伸の出身チームである東岡山ボーイズにとっても、近年の野球人口減少は

由々しき問題だ。現在の所属人数は3年生が引退し、1~2年生だけで11人。決して多くはない。一時は県内に17あったボーイズチームも、今は13まで減少している。

「ウチはお茶当番なども強制はしていないし、いろいろと工夫もしているんですけど、今は娯楽も多いですし、子どもがやるスポーツの選択肢も増えてきました。サッカーも子どもの数が足りなくなっているし、バスケットボールは少し増えているのかな。
もちろん、いろんなスポーツをやることは大歓迎ですけど、長く少年野球の指導者をやっている身としては、やはり野球をやる子どもが減っているのは少しさみしいですね」

野球界全体で考えなければいけない、野球人口の減少。
そのためには、OBである山本由伸のような一流選手の活躍も不可欠だ。

「彼の存在は、チームの子どもたちにとっても本当に大きいですね。毎年顔を出してくれるのも、すごく良い経験になっている。どんな教科書よりも由伸のキャッチボールを見るほうが刺激になるでしょう。その意味では、地元はもちろん、日本の子どもたちのために、これからも由伸らしいプレーをみんなに見せてほしいですね」

実際に取材中、チームの子どもたちから『由伸さんの取材ですか?』と話しかけられるシーンもあった。現役の選手にとっても、やはりチームの大先輩・山本由伸という選手は大きな存在なのだろう。

プロ野球選手は、いつの時代も野球少年、野球少女のあこがれだ。

自然豊かな岡山県の河川敷グラウンド――。
日本のエース・山本由伸の原点は、確かにそこにあった。

写真:CTK Photo/アフロ

『オリックス・バファローズはいかに強くなったのか』(日本文芸社)

花田雪

2022年12月23日

1485円

ISBN:

-

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