1982年の夏。それは高校2年の夏ですよ。男子としてはもう大変な時期です。 心身の急激な成長に対応できず歪み軋みその果ての暴発です。そんな暴発。誰にも止めることのできない欲望は、汲めども尽きぬ泉の如く我が心から吹き出し続けます。健康な男子であればもう止めることはできないでしょう。
ところがあの時代のせいなのか、我々世代特有のケースなのか、誰もが想像する向きに吹き出さなかった衝動のお話です。
最新技術を駆使して誰も見たことのないイメージを実現する——『スター・ウォーズ』(1977)然り、『未知との遭遇』(1977)然り、『エイリアン』(1979)や『スーパーマン』(1978)『スタートレック』(1979)と、チャレンジングな映画が競うように作られた一方で、特殊メイクに代表される造型技術の進化によってもたらされたもうひとつの潮流。「変形し破壊される人間たち」です。
前回紹介したクリーチャーに変身する人間と並んで、いかなる事情か、は、それぞれの映画の物語の中で色々な理由がつけられているんですが、顔が盛大に破壊されるのです。しかも誰でもない誰かではなく、映画の中でそこそこ重要な役割を与えられ、けっこう名のある役者さんの顔面が、メチャメチャになるのです。
もちろん本当にはできないから俳優さんの頭部を型取りして、本人に見まごう精巧な出来のダミーを作り、仕掛けでメチャメチャになるのを巧みな編集で作り上げます。それがけっこう衝撃的、というか名もなきものが死ぬのではなく、それなりの感情移入をしていた登場人物が無惨な最期、非業の死を遂げるのです。
なんかコレが、思春期のもうひとつの衝動っていうんですか(?)、内に秘めたる残虐な破壊衝動を呼び覚ますというか。『ゴッドファーザー』(1972)あたりに端を発したというか、映画を支配するルールに則っていたら絶対に起きないはずの、俳優の顔面に穴が開いて銃創から鮮血がドロリと流れ苦痛に歪むとか、ショックなわけですよ。
今まではおなかを抑えて苦しみつつ、顔を見せないような角度にねじりながら倒れるスタントマンだったのを、脳内であれは誰それという役者さんなんだ役者さんなんだと言い聞かせて見ていたのに、その前提契約がリセットされるようになったのです。技術の進化で!