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入管での「密造酒づくり」に「ギャンブル大会」。ギャング、犯罪者から難民まで…多国籍な日本の入管を経験した日系ブラジル人ギャングの証言

集英社オンライン / 2023年4月7日 16時1分

2021年に名古屋市の入管施設でスリランカ人女性が死亡した事件を筆頭に、日本の在留外国人が増えつづける中での入管(出入国在留管理庁)の問題が浮上している。

日系ブラジル人ギャングの証言

ここ数年、日本で入管(出入国在留管理庁)の問題がクローズアップされるようになった。

もっとも大きな話題になったのは、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんの死亡事件だろう。入管内で彼女が体調を崩したにもかかわらず、職員から適切な処置を施してもらえず、命を落としたことが、一連の報道に火をつけた。

この事件は、間違いなく入管の闇を示す出来事だった。ただ、私が取材した入管の元職員は、こんなことを言った。

「入管にいる外国人は油断ならない人が多い。いちいち真剣に取り合っていたら、こっちが足元をすくわれることもあるんです」



私はこの発言に違和感を覚えずにはいられなかった。とはいえ、入管には、ウィシュマ・サンダマリさんとは異なり、日本で懲役刑を受けた後に、そのまま連れてこられる元受刑者も多数いるのも事実だ。

これまで入管の闇は、主に難民として来日した人々の立場から言及されることが多かった。では、日本で犯罪を犯し、刑務所に入った人たちに視点を変えた時、入管はどんな空間に映るのだろうか。入管に収容された日系ブラジル人ギャングの証言から考えたい。

多国籍な入管での一日

日系ブラジル人のペドロ(仮名)は、日系人の父とブラジル人の母に連れられて小学3年生の時に来日した。

まだ幼かったこともあって日本語をすぐに覚えたものの、肌の色や文化の違いが原因でいじめられ、中学を卒業後に同じような仲間とともに20人くらいのギャングを結成し、非行に走った。

10代の時は数々の暴行事件を起こし、傷害や窃盗で逮捕され、少年院へ収容される。20代になってからも荒んだ生活をつづけ、強盗、コカインの密輸、窃盗などに手を染めながら約10年を過ごした。
その間、2人の日本人女性との間にそれぞれ1児をもうけるが、いずれもすぐに離婚。そして20代の後半に再び逮捕。日本で約2年の懲役刑を受けることになった。

写真はイメージです

懲役刑を受けた外国籍の人間は、一般的には刑期を終えると同時に入管へ移される。そこで数か月から数年かけて在留を認めるかどうかの審査が行われるのだ。ペドロは言う。

「牛久にある入管の場合、1フロアに30~40人くらいがいるんだ。そのうち3人に1人くらいが刑務所を出てきた元受刑者。残りは不法滞在で捕まった人とか、成田や羽田で前科なんかがあって引っかかって送られてきた人とかいろいろだ。国際犯罪組織のナイジェリア人幹部もいれば、日本語も何もわからないクルドの難民なんかもいる。
入管では朝7時に起きて点呼や食事を終えた後は、基本的に何をするかは自由だ。刑務所のような作業がないので楽は楽だけど、本当にすることがないんで飼い殺しみたいな状態だ」

入管の中では3度の食事や運動の時間などはあるが、それ以外は自由に過ごすことができる。外部の支援者がいれば、その人が持ってきた差し入れを食べることもできれば、決められた時間内にテレビを見ることもできる。ただし、携帯電話や飲酒は禁止だ。

問題は、いつ審査の結論が出て入管から出られるのか、強制送還されるのか定かではないということだ。人々は自分の運命がどうなるかわからないまま、何もせず、不安な時間を過ごさなければならない。長い人になると、理由も聞かされず、5年以上閉じ込められることもある。

ワルの達人たちが造る入管の密造酒

それに音を上げて自ら帰国すると言い出す者もいれば、最悪なケースとして自ら命を絶つ者もいる。入管が「外国人を閉じ込めて無理やり帰国する方向へ追いやっている」と言われる所以だ。

「フロアにいる人間は自由に交流できるので、自然と力関係が決まる。俺はあるイラン人と仲良くなって、入管の外にいるイラン人を紹介してもらった。彼は定期的に面会に来てくれて、偽造のテレフォンカードを売ってくれるんだ。3000円分のテレカを1500円とかで差し入れしてくれる。

携帯が使えない入管の中では、テレカは重要なものだ。俺はその偽造テレカを同じフロアの収容者たちに安く売ってやった。すると、周りから感謝されるだろ。あとは日本語の読み書きが完璧にできるから通訳や書類の代筆もできる。それで信頼を集めてフロアで力を持つようになっていったんだ」

30年くらい前、イラン人の偽造テレカの密売が大きな話題になった。携帯電話の普及とともに、その闇ビジネスは消え去ったかに思われたが、こうしたところで生きていたのである。
ちなみに、ペドロが入管内で会ったイランの不法滞在者は、自ら帰国する人が多かったそうだ。

彼らの大半は1980~1990年代にかけて来日し、20年以上日本で働いて金を貯め込んできた人たちだ。入管に無駄に長く閉じ込められて不自由な思いをするより、潮時だと思って帰国を選ぶ傾向にあるらしい。ペドロはつづける。

「入管にいる元受刑者はみんなワルばかりだから、あの手この手でいろんなことをしていたよ。よくやったのが酒造りだ。入管の中では酒の持ち込みが禁止されているので、食事で出される食べ物を発酵させて酒を造るんだ。俺はバナナで酒を造ったよ。造り方は、前にいた人から新しく入った人へ伝えられていく。

すごい奴だと、外にいる仲間に頼んでシャンプーやリンスの中に大麻を隠して差し入れてもらう奴もいたね。密輸をやっていた奴は、隠し方をちゃんと知っているので、入管の職員の目を盗んでできるんだ。入管内では煙草はOKだったから、臭いはするけど、うまくやれば怪しまれずに大麻を吸うことができた」

入管のギャンブル大会

アジアやアフリカの田舎では、多くの家が果物を使って自家製のどぶろくを造っている。そのノウハウが入管にいる人々の中で広まっているのだろう。

また、ペドロがグループのリーダーとしてよくやったのが、ギャンブル大会だったそうだ。同じフロアの人間たちで金を出し合ってビンゴをやって一位が金を総取りするといったものだった。することもない毎日の中では、数少ないエキサイトする遊びだったらしい。

このようにフロアでは、出所者など悪いことをしてきた人たちが好き勝手をする傾向にあった。往々にして彼らは日本語をはじめ複数の言語ができるので、コミュニケーション力に長けて、情報もたくさん持っている。一方、難民などはそうではないので、肩身の狭い思いをしていることが少なくなかったそうだ。この十把一絡げにする収容方法は考え直すべきだろう。ペドロは言う。

「俺が入管にいたのは全部で1年半くらいだ。俺はギャング時代の仲間に入管への嘆願書へ署名をしてもらったり、コカインの密輸で稼いだ時の金で弁護士を雇ったり、入管の仲間をそそのかしてストをやったり、あの手この手で抵抗した。そうしなきゃ、何年も閉じ込められると思っていたからね」

入管の中でペドロはニュースにもなった騒ぎも起こしたので、相当厄介な存在として見なされていたようだ。

ペドロの入管からの解放は、前触れもなく決まった。ある日いきなり呼び出され、「仮放免になったから」と言われ、出られることになったという。仮放免とは、正式な在留資格ではないが、就労しない、定期的に面会に応じるなどの必要な条件を満たすことで一時的に在留が認められる資格だ。

「俺は小学生の時に来日していてブラジルのことを知らない。それに、日本人女性との間に2人の子供がいて親としての責任もある。そうしたことが加味されて仮放免にしてもらえたみたいだ。
逆にいえば、俺みたいな日系人は仮放免をされるのが基本なのに、入管は閉じ込めることでさっさと帰国しろと促すんだよ。俺の知り合いなんて、2年の懲役なのに、刑期が終わった後に3年以上も入管に閉じ込められた奴がいた。罪を償ったのに、これが嫌がらせじゃなくてなんなんだよ」

「入管にいる外国人は油断ならない人が多い」

現在、ペドロは仮放免という立場にありながら、違法な就労をしている。本人いわく、「働かないでどうやって生きていけっていうんだ」とのことだ。本稿の冒頭で、私は入管の元職員の次のような言葉を紹介した。

「入管にいる外国人は油断ならない人が多い。いちいち真剣に取り合っていたら、こっちが足元をすくわれることもあるんです」

それを聞いた時、私はこの言葉を非常に乱暴な物言いだと感じた。これまで私は入管で苦しんでいる罪のない難民の取材なども数多くしてきた。入管の軽率な対応によって、ウィシュマさんのような事件を起こすことは絶対に避けなければならない。

一方で、今回のペドロのような入管体験を聞くと、また別の印象を抱かずにはいられない。

どちらが正しいかどうかではなく、問題は「外国人の在留問題」としてあらゆる人間をひとまとめにして対応しようとしている縦割りの構造にあるだろう。まずはその構造自体を見直さなければ何も変わらない。

取材・文/石井光太

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