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40年ぶりに再会した父は「4500円でいいからお金を貸してほしい」と。祖父、父、夫、三代にわたるギャンブル依存症たちと過ごした壮絶な半生

集英社オンライン / 2023年4月2日 19時0分

コロナ禍の影響もあり、この数年で競馬、競艇、競輪、オートレースの四大公営ギャンブルが軒並み売上増を続けている。それに伴い、のめり込み過ぎてギャンブルがやめられなくなってしまう、ギャンブル依存症に陥る人も増えている。「ギャンブル依存症問題を考える会」の代表で、家族や自身が依存症に苦しんだ経験を持つ田中紀子さんに、家族に依存症者がいた体験について聞いた。(全3回の1回目)

お年玉を賭け金にしてギャンブルを楽しんだ子供時代

――幼少期からギャンブルが身近な存在だったそうですね。

子供の頃は、周囲の大人にギャンブル好きが多く、ギャンブルが当たり前にある環境で育ちました。私が育った家は本家だったので、正月やお盆になると親戚が集まるのですが、親戚の大人たちはギャンブルが好きで、皆で花札やトランプをしていました。私やいとこの子供たちもお年玉を賭け金にして、大人に交じって参加するんです。しばらく遊んで飽きてきた頃に、祖父が「パチンコに行くぞ!」と言い出して、皆を連れてパチンコに行ってました。

――子供たちもパチンコに行くんですか。

親戚の子供たちもずらっと並んでパチンコを打っていました。子供の頃はそれが楽しみで仕方なくて、いつも盆暮れ正月が待ち遠しかったです。それがおかしなことだという感覚もなくて、純粋にギャンブルは楽しいものだと思っていました。

――当時のご家族にギャンブル依存症の問題はありましたか。

今思い返すと、私の母や親戚はギャンブルが好きだけれど、それでも愛好家の範疇でした。その中で祖父だけはギャンブル依存症を発症していたように思います。うちの実家は小さな雑貨屋を営んでいましたが、祖父は仕事を娘である私の母に押しつけて、自分は毎日朝からパチンコ三昧。そんな状態だから我が家の家計はとても苦しく、祖父は祖母や母としょっちゅう喧嘩していました。

――当時は、ギャンブルで家計を圧迫するお祖父様をどのように感じていたのでしょう。

子供の頃は、ギャンブルが原因で貧乏になっていると理解できていなかったので、祖父を恨むこともなく、祖父のことは好きでした。むしろ、祖父を口うるさく批判する母や祖母の方が嫌いでしたね。祖父は、外面がよくて、近所の人からも非常に好かれている人物でした。
これって、ギャンブル依存症あるあるなんですけれど、依存症者って人当たりがよくて、仕事ができて頼られる、評判のいい人が多いんですよ。でも、家では家族に大変な仕打ちをしているんです。当時の家族や親戚は、依存症に対する知識がなかったので、祖父はだらしない怠け者な性格だからギャンブル漬けになっている、と考えていたと思います。

「絶対迷惑はかけないから携帯電話の番号を教えてほしい」

――幼少期はお父様とは一緒に暮らしていなかったんですね。

父と母は私が3歳の時に離婚しています。父がギャンブル資金にするために会社のお金を横領したことがバレて、解雇されたことが離婚の原因でした。それ以降、私は母方の実家で暮らすことになったのですが、当時は母子家庭が珍しく、母はコンプレックスに感じていたのでしょう。
母から父は亡くなったと聞かされていました。実際には離婚だったということを、高校生の時にこっそり戸籍謄本をとった際に知りました。父についてはほとんど何も知らず、記憶もないまま生きてきましたが、大人になってから40年ぶりに父に再会する機会があったんです。

――どのような経緯で再会したんですか。

父が生活保護の申請をしたことで、私たち家族の元に区役所から確認の連絡があったことがきっかけです。私は、父がどんな人か知りたい、という思いがあったので、母に内緒で会いに行きました。40年ぶりに会って「私のことわかりますか? 紀子です」って言ったらすごく嬉しそうにしていましたね。

――生活保護を申請したということでしたが、当時のお父様はどのような暮らしぶりだったのでしょう。

後でわかったことですが、母と離婚した後に父は事業で成功したのですが、外国人女性に熱を上げてしまい、巨額をつぎ込んでしまうんです。それで、会社もお金もなくなって、夜逃げした後に、生活保護を申請したと。
私が会いに行った時、父は、とある邸宅の庭にある物置小屋のような納屋を借りて暮らしていました。それで、「絶対迷惑はかけないから携帯電話の番号を教えてほしい」と言われて教えたのですが、そこから私の苦労が始まりました。

40年ぶりに再会した父との奇跡の共通点

――お父様との再会後の苦労といいますと?

再会後、しばらくして父から電話があって「お金を貸してほしい」と。病院に行ったら思いのほか薬代が高くて払えない、とか言うんですが、生活保護受給者は医療費がかからないから完全に嘘なんですよ。
私はそれを知っていたので、そう指摘すると「じゃあ4500円でいいから」なんて言ってきて、そんなことが何回も続いたんです。それと、父はしょっちゅう行き倒れになっていたのですが、その度に病院から私に連絡がきて、呼び出されました。

――めちゃくちゃ大変ですね。

そんなことが続いた後、父が亡くなりました。また私が呼ばれて火葬の手続きとか諸々の対応をする羽目になって。その際、病院で父の所持品の引き取りをしなければならなかったのですが、私はもう心底うんざりしていたので、病院の人に「すみませんが、全然愛着もないので病院で処分してもらえないですか?」とお願いしました。

病院のスタッフの方は仰天していましたが、特例として対応してもらえました。でも一応、処分する前に確認のために遺品を一通り見てみたら、その中に鍵があったんです。その鍵にキーホルダーがついていたんですが、それは私が競艇にハマっていた頃に大好きだったボートレーサーの加藤峻二選手のキーホルダーだったんです。

「父も加藤峻二好きだったんだ!」ってびっくりして、これは遺伝なんだなって思いました。

――離ればなれで40年以上過ごしてきた親子が、同じ競艇選手のファンだったんですね。お父様も競艇が好きだったんですか。

父が住んでいた納屋の大家さんからも遺品の整理を頼まれて、しぶしぶ行くことになったんですが、納屋の中から年末に競艇場で来場者に配られるカレンダーがたくさん出てきました。何個も持っているということは、父は亡くなる直前まで足繁く競艇場に通っていたのでしょう。その証拠に、納屋の中で見つけた封筒を見ると1400万円もの借金があったことが発覚しました。急いで相続放棄の手続きをしましたよ。

初デートの競艇場で夫が豹変

――旦那さんもギャンブル依存症だったそうですね。どのようにして出会ったのですか。

アルバイト先が同じだったことがきっかけです。夫と出会った当時の私は、会社員をしながらもダブルワークでバイトを始めて、そのバイト先に大学を留年中の夫がいました。ある時、夫が「競艇が好き」という話をしているのを聞いて、面白そうだから連れていってもらったんです。

――初デートで競艇に行ったんですか。

夫は普段は穏やかなんですが、レースが白熱してくると「おらぁッ! まくってけェェぃ!」なんて大きな声で騒ぐんです。その姿を「男らしい!」と感じて、それをきっかけに親密になっていきました。

――それにしても大学生にしては競艇って珍しい気がします。

出会った当時の夫は、ギャンブルが原因で大学を留年していました。大手企業から内定をもらっていて、あと1つ単位を取れば卒業できたのですが、試験の日が競艇の重賞レースと重なって、競艇に行ってしまって留年したそうです。本人は「試験に行かなくても卒業できると思っていた」と言っていましたが、その時点で認知が歪んでいたといえそうです。


#2につづく

取材・文/内田陽  撮影/高木陽春

豹柄コートで1レース数十万円の舟券を買っていた20代…子供の保育費、数千円を滞納して気づいたギャンブル依存症の苦しみ。「これが当たらなかったら、死ぬしかないかもしれない…」〉へ続く

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